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zoom RSS 光市高校爆破事件の処分から考える−いじめ被害者の復讐

<<   作成日時 : 2005/08/04 22:13   >>

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 光市の県立高校で爆弾事件を起こした生徒が中等少年院送致の処分となったことが報じられている。(4日毎日)かなりのけが人が出たわけだし、また、爆弾をつくって爆破させるという行為は許されないものだから、仕方ないのかも知れない。しかし、なんとなく割り切れないものを感じる。もっとも、この事件について、詳細に追いかけているわけではないし、他にあまりにたんさんの事件があったために、この事件はそれほど詳しくメディアが追いかけていないような気もするので、わからないことがたくさんあるという限定付きの文章であることを、予めお断りしておく。
 割り切れないのは、この生徒はかなりひどいいじめを受けていたという事実は、どのように対応されたのか、という点がわからないことである。事件があったときに、当初いじめはなかったと学校関係者はメディアに述べていた。しかし、このような事件を起こすほどのいじめだったのだから、学校側もつかんでいたはずであるし、もし本当に知らなかったのだとしたら、簡単に「いじめはなかった」と公表することは、非常に問題があったというべきだろう。いずれにせよ、つまり、知っていたにせよ、知らなかったにせよ、あの公表には大きな問題があったのだし、そうした問題を露顕させた学校側の管理・運営の問題は、どのようになるのかという問題だ。
 この生徒が大きな被害を与えたことは事実であるが、この生徒も大きな被害を受けていた。そちらの被害はどうなるのだろうか。等閑視されているように思われて仕方ない。
 昔からアメリカで起きたことは20年後に日本でも起きると言われていたが、そういう意味でいうと、ドラマの世界であるが、興味深い内容のドラマがあった。「ボストン・パブリック」というアメリカのボストンにある公立高校を舞台にしたドラマがある。そこで、ある生徒がひどいいじめを受けていて、日記をつけていたのだが、好きな女の子がいて、自分の日記に彼女を襲うようなことを書いてしまったのである。もちろん、日記だから、知られることもないし、日記に書くことで問題になることもないはずだが、誰かに見られてしまって、当人の女の子にその話が伝わってしまう。そして、女の子は恐ろしくなって学校に訴える。すると、教育委員会がやってきて、処分を決めるのだが、本人は単に日記に書いただけで、そんなことをするつもりはまったくなかったと弁明したのだが、それは受け入れられず、退学処分になってしまう。まったく実行していない「話」に対して、退学という処分がなされるわけだ。もちろん、ドラマだから極端に描いているということは考えられ、実際にアメリカの学校がこのように運営されているとは思えない。しかし、そのことではなく、処分を議論するやりとりについては、やはり、アメリカの「雰囲気」が反映されていると考えられるのである。つまり、通常であれば、日記に書いたことなど、単に思っているだけであり、処分とは「行為」に対してなされるのだから、「考えたこと」などは、処分の対象になるはずがない。しかし、これは「単に考えたことではなく、実行に移すことは間違いない」という主張がなされ、その根拠が「いじめられているから」というものなのだ。いじめていることではなく、いじめられていることが非難の原因になっており、「彼はいじめられているから恐ろしいやつだ」という論理だ。このドラマを見たときは、そんな馬鹿な発想をするんだろうかと、信じる気にもならなかったのだが、この光市の事件の処理を見ると、あまり違わない発想が土台にあるのだろうかと思えてきた。
 報道によると、逆送致、つまり、一般刑事事件として扱い起訴するかどうかを検察に委ねることも考えたが、「(1)いじめは男子生徒にかなりの苦痛を与えた(2)爆発物を投げ込むことで生じる被害について想像力が欠如しているなど思考上の問題がある(3)いじめに閉塞(へいそく)感を強め、自らを追い込んでおり、対人関係の持ち方など社会適応上の問題が大きい−−ことを挙げ、保護処分を選択した」という。つまり、3項目の理由で、逆送致ではなく、保護処分にしたという。
 少年院に入ることで、対人関係が改善され、社会的な適応ができるようになるのか、かなり疑問だが、「学校側のいじめに対する軽視 → 恨みの感情 → いじめ被害者への恐怖感」という筋道が今後増幅されるのではないかというのは、杞憂だろうか。
 そういう隘路に陥られないためには何が必要なのだろうか。
 小学生はほぼ間違いなく、いじめられても、学校側が何もしてくれなければ、とにかく嵐が去るのを待つか、転校するしかないだろう。中学生だと、復讐したり、自殺したり、転校したりするだろう。
 しかし、高校生になると、復讐行為の確率は高くなるような気がする。もし、学校側が今回のように何もせず、いじめがあったこと事態を糊塗するような体制であったら、被害者は何ができるのか。私に考えられるのは、以下の二つだ。
 第一に、北欧の学校で実施しているように、校長にいじめ対策義務を課すことである。もちろん、罰則付きの義務でなければならない。そうすれば、学校全体としてもっと真剣にいじめに対応するだろう。被害者は教育委員会に訴えれば、教育委員会が校長が対応しているかを審査する。
 第二に、いじめがあった段階での訴訟をやりやすく、かつ有効にしていくことである。いじめ裁判はいくらでもあるが、死亡・自殺という結果を伴っているものがほとんどだ。いじめがある段階で、学校なり加害者を訴えるというのは、ほとんど聞いたことがない。
 他にもあるかも知れないし、これらがどの程度有効であるかは、未知であるが、第一の方法が北欧で効果をあげていることは、よく知られている。
 何もしなければ、不合理な復讐に走る生徒が今後もでてくることが危惧される。

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内 容 ニックネーム/日時
大人と同等の腕力のある生徒たちを、
圧倒的に数の少ない教師だけで、統治
できるわけない現実。警察の力を借りない
事がいいとする無責任な美意識。

興味のない知識、なんの役にも立たない知識。
それを詰め込まれるストレス。
精神が凶悪化しやすい教室という環境。

「いじめ」は起こるべきして起こっている。
同じ環境に置かれたら、大人だっていじめをする。
http://www6.ocn.ne.jp/~buraiha/
http://www.bungeisha.co.jp/search/detail.php?bid=21830

映画なら、岩井俊二監督作品
『リリイ・シュシュのすべて』をおすすめします。
観ていて、とてもつらい映画ですが、観てほしいです。

最後に、いま現在の僕の意見です。
なんで、政治家たちは、このひどい環境を変えないのか?
それは、選挙権のない子どもが自殺しようが、
知ったことじゃないから。
すぎもと
2005/09/27 12:09
 wakeiさんのおっしゃる対策の内、日本で迅速に実行可能なのは前者でしょう。日本では裁判を受ける権利が実質的に保障されていないので、後者の実行にはまずこの権利の保障が必要となるからです。ただし後者の方も、裁判を受ける権利を保障したら実施するべきだと思います。ゆくゆくは両方の対策を実施するのが望ましいと思います。
Omoimegurasu-Kame
2007/09/01 01:03

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