教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 「明徳義塾の出場辞退」について

<<   作成日時 : 2005/08/06 18:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 2

明徳義塾の出場辞退」について
 明徳義塾の甲子園大会辞退問題は、またいろいろと考えさせられるところがあった。私自身は野球好きだが、甲子園大会はあまり好きではないので、まったく見ないが、今回のことは、高校生の問題なので、関心をもたざるをえなかった。
 知っていることは報道されたことだけなので、それを前提に考える。
 つまり、部員の数名が喫煙した。2年生と3年生が1年生の部員に対して、しごきだろうと思うが、暴力を振るった。(被害者は転校した?)教師でもある監督は部内で解決しようとはかったが、高野連に伝わるところとなり、既に甲子園に着いていた段階での辞退となった。校長は知らなかったらしい。高野連は、「事前に報告されていないことが問題で、されていれば、なんとか出場はできたのに」と語っている。
 喫煙はいけないし、しごきもいけない。そういうことではなく、監督の自分たちで解決しようと思った、というやり方が、間違っているとされている点に疑問をもつ。
 部内で問題があったら、部内で解決しようとするのは、当たり前のことではないだろうか。部内で問題があったからといって、それを高野連に報告して、取り扱いの指導でも受けろというのだろうか。報告受けた高野連はどうするのだろう。もし、今回の不祥事の内容が、処分に値するのならば、高野連だって、処分すべきものだろう。しかし、高野連はそれを「自分たちで処理し、外部には公表しない」のだろうか。しかし、それは無理だろう。なぜならば、処分とは出場停止なのだから。では、報告したのならば、処分せずに済ませたのだろうか。つまり、明徳義塾は出場できたのだろうか。それなら、高野連が事件のもみ消しをしたことと同じではないか。
 つまり、高野連の主張しているらしい、不祥事はすぐに報告し、自分たちで解決するべきではない、という立場は自己矛盾なのだ。
 このような不祥事があった場合、本当に必要なのは、自分たちできちんとした解決をすることではないのか。それはいたずらに処分することではない。近年の不祥事に対する対応をみると、要するに管理者たちの責任逃れに過ぎないことが非常に多いと思う。もちろん、今回の監督のやり方が、適切な解決だったというつもりはまったくない。具体的にはよく分からないから。ただ、「自分たちで解決する」というやり方自体は、間違っていない、むしろ大切な責任のとり方だと思う。責任逃れ的な処分ではなく、自分たちで解決する力こそ、教育現場には求められているはずである。ただし、誤解のないように断っておくが、「内密に」ということを認めているわけではない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「「明徳義塾の出場辞退」について」について
「「明徳義塾の出場辞退」について」について  wakei さん今日は。 ...続きを見る
小学校教師のつぶやきブログ
2005/08/07 06:05

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 私の考え方は違う。高野連が事前に、というのは処分を出場辞退にするというのでなくて、監督の謹慎とか交替とか厳重注意ですませることが可能だったという意味と考える。でもこの時期ではそういうこともできない。やむを得ない措置だったのかと思う。東北高校時代のダルビッシュの例もある。でも投書はいじめられた部員の父兄?出場辞退を告げられた選手は「なぜ?」と言ったという。自分たちのしたことの自覚がない証拠のように思う。馬渕監督は星稜高・松井の5打席敬遠指示や全国から優秀な生徒をかき集めるという悪評で有名。全国制覇してもあまり感心しなかったから、今回の事件を聞いても同情の念は湧いてこない。
一つの石
2005/08/07 13:16
コメントありがとうございます。私は甲子園大会には興味がなく、今回の件を野球大会のとして考えたわけではなく、夏の高校野球大会に関していえば、あまりに体力を酷使させる、反教育的大会であると思っているので、むしろ反感をもっているくらいです。出場できなくなったことを同情しているわけでもありません。あくまでも「自分たちで解決する」ということが、まるで間違っているかのように言われていることについて論じたものです。自分たちで解決しようとしたけれども、できなかったから、不満に思う人が告発したのですから、ちゃんと解決できなかった事例でしょう。ただ、事前に報告すれば、監督の謹慎等の処分で済んだというのは疑問です。明徳義塾の監督が処分されれば、マスコミが報道するでしょうから。当事者たちがまるで自覚していないというのは、スポーツ界の体質の問題として考える必要があると思います。考えが違うのかどうかは、分かりませんが、監督及び部員、学校が、適切に「自分たちで解決できなかった」から問題になったわけで、解決できたらよかったのです。ただ、それが「彼等に」可能であったかどうかは、かなりあやしいところです。
wakei
2005/08/07 14:24

コメントする help

ニックネーム
本 文
「明徳義塾の出場辞退」について 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる