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zoom RSS 義務教育費国庫負担法の両論

<<   作成日時 : 2005/10/24 17:12   >>

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 10月24日の毎日新聞に義務教育費国庫負担法問題について、岡山県知事の石井正弘氏と兵庫教育大学長・梶田叡一氏の賛否両論が掲載されていて興味深いものがある。私自身は、教師の給与を国家的な基準で保障している現行制度がベターだと思っているし、これまで地方の主張が理由も含めて掲載されることがあまりないので、興味深く読んだ。
 しかし、やはり石井氏の主張には疑問をもつ。
 まず、懸念されることは、一般財源にしたら、教師の給与を下げて他に使うのではないかということだ。それに対して、石井氏は「教育はどの首長にとっても最大の関心事で、地方に税源が移譲されても他分野に予算を流用することなどあり得ない。」と述べている。しかし、これはどう考えても納得できない主張であろう。
 小泉改革というのは、地方をみれば一目瞭然であるように、大都会中心の政策であり、地方はほんとうに疲弊している。こういう中で、一般財源化して、なおかつ、これまでのように教員給与を維持するとは思えない。地方の格差があってもいいとか、そういう議論がありえないとは思わないが、そういう議論ではなく、流用はないと断言しているのだが、郵便局の問題でもはっきりしているように、地方における「維持」が困難であることは、教育に限らない。とくに人件費は固定的な支出だから、その分を減額させれば他にまわすことができるので、そうした誘惑が働くことは自然すぎるほど自然だろう。
 そして、積極的には次のようなことができるのだという。
 「納税者の目の届く自治体に財源が移れば学校現場は確実に変わる。自分たちが納めた税で先生を支えているのだという意識が高まれば、住民が学校や自治体に注文を出し始めるだろう。自治体は文部科学省にお伺いを立てなくても、外国人講師や伝統芸能の担い手を登用したり、きめ細かい教員配置や、実践的な職業教育もしやすくなる。」
 これもおかしな論だ。現在だって、教師の給与は「税金」であり、自分たちが納めたものだ。それこそ自治体は注文をどんどん住民から受け付ければよいことではないか。今は「みんなが納めた税金ではないから注文は受け付けません」とでも言っているのだろうか。
 きめ細かい教員配置について、今の制度で不可能というのは、地方のごまかしだろう。基準の部分について国庫と都道府県で負担しているのであって、市町村が独自予算でそれを増やすことについて、現在では認められており、実際に多くの自治体が実施していることである。
 もちろん、地方に独自の財源が十分にあることは重要であるし、また、そうした財源こそが自由に、地方にあったように使えるものであるという点も間違いない。しかし、現在のような地方格差が拡大しているときに、地方格差を絶対起こしてはならない分野というものもあるのではないだろうか。教員の給与はその一つであるように私には思われる。
 

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