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<<   作成日時 : 2005/10/11 21:51   >>

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 最近聞いた話であるが、ある市では、椅子を小学校入学時にそれぞれの生徒に渡して卒業するまで「自分の」椅子として使用させるのだそうだ。もちろん、高さ調節が可能になっていて、机は「自分の」ものではないが、やはり高さ調節できるようになっているという。もちろん「自分の」といっても、所有権があるわけではなく、使用権があるだけだ。そうした理由は、あまりに乱暴に椅子や机を扱い、傷つけたりするので、「自分の」ものなら大切に扱うだろう、そうやって、物を大切に扱うことを学ばせるということらしい。
 高さを調節することができることは、非常にいいことだ。机や椅子の高さは個人に合わせて変えられることが重要だからだ。高さのあわない椅子や机を使用していると、姿勢が悪くなること、それは当然のこととして健康にもいい影響は与えないからだ。
 しかし、このやり方は教師たちに大きな負担をかけるという。つまり、高さ調節ができる椅子というのは、概して頑丈にできている。そして、調節ができるといっても、一旦高さを決めればしっかりとめないとがたがたするから、固定するときにはかなり強く締めなければならない。これは小学生には無理だという。また、女性の先生にも大変な作業のようだ。ということは、男の先生がかなりの椅子や机の高さ調節を行わなければならないことを意味する。しかも、小学校の先生は多くが女だから、少ない男の先生がやることになると、ほんとうに大変らしい。また、多くの小学校では、式典を体育館で行うが、そのときに座る椅子は、やはりその「自分の」椅子を教室から体育館に運ぶことになるのだが、これもまた、重いからやはり小学生では持ち運びが大変になる。そういうときには、6年生がかりだされることもあるようだが、またしても男の先生の負担になることが多いという。
 つまり、目的はいいのだが、それを実施するための条件を考慮していないために、ただただ現場に大きな負担をかけている。だが、それを考えた人は、こうやって子どもにあった椅子を入れるようにした、と「手柄」を自慢しているのかも知れない。
 しかし、よく考えてみると、「目的」もいいのだろうか。調節できることはいいが、「自分の」ものとして6年間使用する必要があるのだろうか。1年生は小さいに決まっているのだから、小さいのを用意し、5年生や6年生用には大きなものを用意する。しかし、すこしずつ体の大きさが違うのだから、その椅子で調節できるようにしておけば、調節が不要なものだったけっこうあるから、かなり負担が減るはずだ。今のような使いかただと、かならずすべての椅子が、おそらく学年ごとに調節する必要がある。
 そして、一番疑問なのは、物を大切に扱うということは、自分のものだけではなく、公共の物を大切に扱うことを教えることではないのか。自分のものだから大切にしなさいと教えるのだろうか。それなら、自分のものではない、机は傷つけるかも知れない。また、自分のものだから気軽に傷つける生徒だっているだろう。大切に扱うことは、自分のものでも、公共のものでも同じはずであり、実際に同じように子どもは接するのではないだろうか。確かに、自分の物だけ大切にする生徒もいるだろうが、多くの生徒は自分のものも公共のものを同じように大切にしたり、乱暴にしたりするのではないのだろうかと思うのだが。

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