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zoom RSS 学校選択は下校時危険?

<<   作成日時 : 2006/02/26 23:14   >>

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2月26日の朝日新聞に、日教組の教研集会での学校選択と登下校時の犯罪被害についての議論を紹介している。しかし、ここで語られていることはかなり一方的であり、納得できるものではない。
例えばまず次のような指摘がある。
「1年前に市内の小学校で教職員殺傷事件が起きて以来、保護者や地域の人たちは、子どもたちが最後まで1人にならないよう、下校時の付き添いや見守りを続けている。
 ところが、新年度から市は隣り合う2校のどちらかを選べる小学校の選択制を始める。すると、圧倒的に人数が少ない校区外の子が、下校時に1人になってしまう。
 『市はそのことを保護者に説明せず、対応を学校任せにしている』」
 主題が子どもが被害者となることがらなのに、教職員殺傷事件をきっかけとしている。教職員殺傷事件と通り魔的な子どもへの犯罪とは、まったく別ではないだろうか。
 そして、学校選択制が実施されてから、少ない校区の生徒が下校時に一人になってしまうということで、学校選択に反対している。
 そして、「大阪府教組のメンバーも、01年に児童8人が殺害された大阪教育大学付属池田小事件以来、学校が地域の核となって人と人の結びつきを取り戻す取り組みをしてきた、と報告。そのうえで『一番大事なのは学校選択制を導入させないこと』と、強調した。」とまで強調している。しかし、池田小学校は、学校に犯人が侵入したのであって、登下校時の犯罪ではない。登下校の安全が確保されても、池田小的な犯罪は防げないのである。なぜ、このように、無関係なことを持ち出すのだろうか。
 ところで、奈良の事件から始まって、下校中の犯罪は、それぞれ学校選択制度が実施されている地域の事件だったのだろうか。少なくとも私の理解している限りでは、校区指定制度での事件である。その事実を、この教師たちはどのように考えているのだろうか。
 「行政の転換を求めても、それには時間がかかる。山梨県の教員は『それで明日の安全を心配する保護者たちの納得を得られるだろうか。学校は、できることは何でもやる姿勢が必要ではないか』と述べた。」という。
 しかし、ここにすれ違いの認識があるように思えてならない。「できることは何でもやる姿勢」ということは、確かに「りっぱ」だ。しかし、できることと、できないことを冷静に見つめることも大切であり、できないことはできないといい、できる人、他の責任ある人にきちんとやってもらう体制をつくることの方が有効であり、大切だろう。できないことを無理にやって、結果が伴わないことの方が無責任であるといえる。そうした事実は誰も身近にもあるのではないか。
 私はある地域で、学校選択制度の導入に関わったことがある。そのときに、登下校を安全にする、あるいは安全な通学路について責任をもつのは、第一に親であることをきちんと知らせることを確認した。学校を選ぶときには、親は通常通学路のことを第一に考えるものである。様々な調査でそれは裏付けられている。だから、結果的には校区の学校を選ぶ親が最も多い。しかし、学校選択で選んだか、校区指定でそこに行くことになったかは、結果として同じでも、親の意識は異なるのである。つまり、通学路の安全のことをきちんと考える契機があるかどうか、である。
 教師はこのことをきちんと理解すべきではないだろうか。



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