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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(7)

<<   作成日時 : 2006/06/02 23:11   >>

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次に起きた1982年のアルクマール事件が、オランダの安楽死容認に決定的な一歩を踏み出したステップとなった。また、この事件で現れたいくつかの点は、日本との社会的・文化的比較でも興味深い。
1 95歳の女性患者が回復の合理的な展望がないほど衰弱していた。
2 患者はその条件に厳しい苦痛を感じていた。精神は明晰で独立心が強かった。そして、他人への依存は耐えがたいと感じていた。
3 患者は医者に繰り返し生命を終焉させるように依頼していた。
4 死の一週間前に、深刻な状態に陥り、意識を失い、再び意識を取り戻したときには話すことも食事をとることもできなかった。
5 2、3日後、話したり、食べたり飲んだりすることが再びできるようになり、如き、医者に強く、このような経験は耐えられないと主張した。
6 医者は他の医者と相談し、患者の依頼を受けいれることにした。医者は二種類の薬を投与し、患者は死んだ。
これが事実関係である。医者は安楽死の後警察に届け出て、異例と思われる長い裁判が始まった。そしてこの裁判は二転三転したのである。アルクマール地方裁判所は、患者の自己決定権を認め、死の要請もその範囲であること、患者の文書による要請を慎重に扱ったのであり、その行為は間違っておらず、「実質的違法性」はなく、犯罪はなかったと認定し、無罪としたのである。
検察は先に紹介したロッテルダム原則に反し、「実質的違法性」がないなどとは、裁判所がでっち上げの法制定をしていると批判して、控訴した。
控訴審判決では、患者に「耐えがたい苦痛」があったのかどうかを問題とし、「耐えがたい苦痛」に対する別の対応策を考慮していないとして、有効な法規である刑法239条(安楽死を禁止する規程)に違反し有罪と認定した。(1984年)しかし、不思議なことに刑罰が課せられない有罪であった。
医者は上告し最高裁で争われることになった。最高裁が問題としたのは、痛みに苦しんでいる患者を痛みから解放することが必要である場合、他の手段があったのかという点であった。高裁判決はこの点を考慮していないとして、治療義務と苦痛除去義務というふたつの義務の板挟みになったときに、そして、それを合理的にコントロールできないときには、不可抗力(beyond one's control) として容認されるとして、ハーグ高裁に差し戻し審理を命じた。(以上 Gomes p34-39)
検察は医師会に見解を求めたが、医師会は基本的に最高裁の「不可抗力」の考えを提示し、ハーグ高裁は、決論的には、患者の自己決定権を重視し、更に苦痛は単に肉体的なものだけではなく、精神的なものも含めて考えるとして、無罪としたのである。
こうして合法化に至る前の訴訟の流れを見てきたが、ここでいくつか日本との相違を感じることができる。
実際には後で述べるつもりであるが、オランダにおいても大多数の実際の安楽死は秘密裏に行われていた。しかし、自分が起訴されることを覚悟で、準備をして安楽死を実行し、そして裁判で主張することで無罪を勝ち取る、つまり、安楽死が事実上法的に容認される道を開いた医師がいたという点である。実際、アルクマール事件では安楽死を実行した医師が自ら警察に届けている。日本ではまだ安楽死で無罪となった事例は存在しない。
次に安楽死裁判が行われているときに、医師の組織が真剣に議論し、具体的な基準作成のための努力をして、その意見を公表している点である。これも、「議論が必要だ」という声は医師から聞くが、容認のための条件を提案することはなされていないと思われる。
この長い裁判の歩みの中で、試行錯誤を経て、安楽死を容認できる条件が社会的な合意として形成されてきたことである。
日本との比較をするために、次に東海大安楽死事件を素材に考えてみよう。

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