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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(10)

<<   作成日時 : 2006/06/06 13:27   >>

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 オランダと日本の社会や人々の意識の違いを考えるために、オランダで製作・放映され、日本でもTBSから放映された安楽死の実態を記録したドキュメントについて触れておこう。1994年の10月に世界で初めて、オランダでの実際の安楽死の場面がテレビで放映され、11月16日に、日本でも取り上げられたものである。オランでも「安楽死」の実際のプロセスが克明に公表されたのは初めてのことであった。
 映像は、患者が急病になって不治の病であることがわかり、安楽死を希望して、医者が悩んでいるあたりから始まる。20年来の患者のホームドクターである医師が、往診のために車を運転しながら、安楽死は正しいことであるが、やはり非常に重いことであり、憂鬱なことだと淡々と語る。患者は62歳の商店経営者で、突然筋肉が萎縮し動かなくなる難病 ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかる。現代の医療では治療法がなく、しかも、非常な苦痛を伴う病気である。物理学者として世界的に有名なホーキング博士がこの病気にかかっており、発病以来かなりの年数が経っている。しかし、この患者の場合病気は通常よりも急速に進行し、車椅子生活、そして、発音も不明瞭になり、コンピュ−タ−のキーボードを打つのも困難になって、アルファベットを書いた紙を指差しながらの筆談でコミュニケ−ションをはかるだけになる。
 患者自身が安楽死を希望し、ホームドクターとずっと意見を交換する。そして、ホームドクターは別の専門家の意見を聞く。
 そうして、本人の誕生日に、まず睡眠薬を注射する。

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そして完全に眠りについてから、筋肉弛緩剤を注射して静かに死んで行くのである。(いずれもTBSで放映された映像より)

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その後医者は検視官を呼び、まず書類を提出する。検視官は「この書類を検察に送り審査します。手続き上の瑕疵がなければ、起訴されることはありません」と述べる。彼は、死の前日5時間かけて最後の力をふりしぼって、妻に感謝の手紙を書く。番組ではその手紙が淡々と朗読された。

 この放送を見た人は、日本で問題になった東海大事件における安楽死のイメージとは、まったく違うことを感じたに違いない。安楽死と言えば、非常に陰湿で陰でひっそりと処理してしまうという印象をもっているかも知れないが、オランダの安楽死はかなり異なる。患者、家族、医者すべてが、「共通の情報・認識」をもち、あらゆる可能性を検討した結果、患者本人の意思を尊重して、支え合うプロセスが中心になっている。3人が話している雰囲気は、とても親密で暗い感じはない。時には冗談も言合い、笑顔で接しているのである。平安時代の仏像の微笑のような雰囲気を感じた人も多いのではないだろうか。
 
 実際このビデオを授業で見た学生の一人は次のような感想を書いている。(私の授業用のホームページで公開されている。)このような感想は決して少数派ではない。

 私はもちろん安楽死の映像なんて見たことがなかったので、授業でそれを見て、あんなふうに人が一生を終えるなんてとても不思議だと思った。でも私は、それがひどいとか悲しいとかいう感情はなく、むしろああよかったなというような気持ちになった。それは、最期のときをとても落ち着いて安らかに迎えられたように思ったからだ。もちろん死を自ら決断するまでには長く葛藤をしてきたと思うが、これから先どれほど苦しみが続くのかという絶望感しか残されていない状態では、残りの人生はただつらいだけのものになってしまうと思う。

 おそらくオランダでの放映もこのような感想が抱かれたのだろう。しかし、1994年11月にTBSで放映されたときには、激しい抗議が局に寄せられたことをTBS自身が明らかにし、アムステルダムで生活している妻に取材するなどの「後日談」の放映があった。その抗議は主にALSの日本の患者や家族からのものだったという。それは「日本にもいる患者たちに安楽死を勧めているかのように思われたので、患者たちの気持ちを傷つけるものだ」というものだったそうだ。TBSはこのような危惧を当初からもっていたと思われ、最初の放映でも、局としては安楽死を勧めるものでも、また否定するものでもなく、考えてもらう素材として放映するという立場をスタッフが繰り返し述べていた。
 しかし、おそらくこの放映を見た日本人たちは、多くの人がある点について「違和感」を感じたに違いない。それは、この患者が死ななければならないほどの病状には感じられなかったという点である。確かに筋肉が萎縮して、自分のとりたい行動が取れなくなったことは感じられる。しかし、意識はしっかりしており、目や耳などの感覚器系統は侵されない病気なので、認識力は衰えておらず、ただ行動の自由が奪われているだけであるように感じられるのだ。ホーキング博士は自分の伝えたいことをキーボードで打ち込み、機械がそれを読み上げる仕組みで会話をし、また、講義も行っていた。同じことは十分にこの患者も可能であり、ただ、ホーキング博士と異なるのは、配偶者が通訳のような役割を果たしていたことであるが文字読み上げソフトを使用すれば、ホーキング博士と同じことが可能だったろう。
 従って、このビデオを見る限り、まだ死ぬ必要がないではないか、と多くの日本人が思ったに違いないし、また私もそう思った。放映側に安楽死を勧める意図が全くなかったとしても、同じ病気をもつ患者が、「勧められている」ように受け取ってしまうというのも、日本人としての感覚として理解できた。
 オランダ人は、制度を認めることと、その制度を個人が選択するかどうかは、全く異なる次元の問題であると認識すること、そして、多くのオランダ人がそうであるというわけではないが、自立的な生活とは、身の回りのことを自分で処理することができることであり、家族であったとしても、そのことを他の人に依存せざるをえない状況になってまで生きていたいと思わない人がいる、そういう自立心が強いのだということは、日本人の一般的な感覚と異なると感じざるをえないのである。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
わたしも、このドキュメント番組を見ました!
とても衝撃的で、16年経った今でもぼんやりと思い出したりしていました。
詳しい説明と画像がついていて、鮮明に思い出すことができました。
ありがとうございました。
みろぴん
2011/03/24 00:10

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