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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(22)

<<   作成日時 : 2006/07/09 21:58   >>

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 「住」の心地よさは単に入れ物によっては決まらない。地域の人々との間の人間関係によって相当左右されるはずだ。日本でも地域差が大きいのと同様に、オランダでもどこでも同じような人間関係があるわけではなかろう。実際に私が体験した2度のオランダ生活でも、地域の人間関係はまったく違っていた。最初は1992年、ライデンの北隣のウーフストヘーストという小さな村だ。昔も今もライデン大学関係者が多く住んでいる典型的な中産階級の地域である。2002年はライデン南西部の移民の多い地域で、集合住宅が多く、洗濯物を窓の外に出して乾すなど、明らかにオランダ的風習と異なる人々がたくさん住んでいる地域だった。
 欧米では家の住所の最小単位は通りの名前で、その向かいに並んでいる家に番号をつけて番地を示す。前回写真として掲載した通りが私が1992年に住んでいたトーレンフェルト通りだ。そして、通りがコミュニティの単位となっている。この通りでは毎年8月の真ん中の土曜日を「通りの祭り」として、自治体に届けた上で通りを通行止めにし、テントを出して料理を持ち寄り、一日通りの人々で交流する。もちろん、日常的に非常に親しい間柄だが、この時は特別に親しむわけだ。私たちは翌日からここに住むことになっていたが、わざわざこの祭りに招待されていて、そこで通りの人たちに紹介された。この通りには中学校の教師が住んでいて、彼が子どもたちの遊びをたくさん知っており、大人たちは料理を食べながら語りあっているが、子どもたちはゲームをして楽しんでいた。私の子どもたちもこの遊びの輪に入れてもらい、その日からすっかり仲良しになった。上の写真は、2メートルくらいの板の4分の1くらいのところに足がとりつけてあり、片方に水の入ったバケツを置き、他方を思いっきり蹴る、そして、高くあがってから落ちてくるバケツを受け取るというゲームをやっているところだ。もちろん、バケツをとったら必ず水をかぶることになる。それをみんなでやりあって面白がるわけだ。

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 下の写真は別の遊びで、瓶を並べておき、じゃがいもを股に挟んで瓶の間を通ってくるという極めて単純な遊びだが、どうしてもじゃがいもが落ちてしまうのでけっこう難しい。
幸いこうした祭りに招待され、子どもたちが遊びに入り込んで、私たち一家は自然に通りのコミュニティに溶け込むことができた。子どもたちはびしょ濡れになってしまったが、同じ年齢の子どもがいたので、その子の服を借りることができた。大人たちは多少心配している向きもあったようだが、この通りの子どもたちは格別仲がよかったようで、いつも日没後も一緒に遊んでいた。
 祭りは親しい人間関係を築く上でずいぶんと役にたっているが、むしろ普段のコミュニケーションがいい関係をもたらしていると感じた。前回誕生日の祝い方を紹介したが、もちろん通りの親密さは誕生日に大いに発揮される。オランダでは50歳の誕生日はとくに重視されており、盛大に祝われる。先の中学校の先生が私たちの滞在中に50歳を迎えたが、当日は朝早く地域の人たちが料理をもって訪れ、一日家事をすべて代行し、本人はまるで貴族のような気分になる。
 このような人間関係を見ていると、オランダが長い間商業国家であったということを実感する。スーパーマーケットでも店員と客は親しく話をし、必ず挨拶をする。外国人の私たちも必ず互いに挨拶をするし、語り合ったりする。話がはずんで他の客を待たせる場合もけっこうあるが、誰もほとんど気にしない。
 一年経って日本に帰るときに、通りの人たちは普段から取りためていた写真と自分達のメッセージを書いたアルバムを私たちにプレゼントしてくれた。日本人は集団主義で欧米人は個人主義とよく言われるが、ここでのコミュニケーションは決して単なる個人主義者の集まりではないものを感じさせてくれた。
 しかし、10年後住んだライデンの南西部は、通りのコミュニティという感じはしなかった。私たちがそこに溶け込めなかったということではなく、日本の団地のように、「隣は何をする人ぞ」という感じで生活していた。2Kの小さなアパートだったので、独身者も多く、家族ぐるみのつきあいをしている人たちはほとんどいなかった。通りの祭りもなかったようだし、ここでは「個人主義」を強く感じたのだが、そこが移民の多く住む地域であったということがなんとなく皮肉に感じられる。
子どもの様子も違うものを感じた。
 スーパーで買い物をしていたところ、10歳程度のイスラムの女の子が、何か言っているのだ。こっちは全然言っていることがわからないので、わからないと英語で言ったところ、一度ひっこんだのだが、また話しかけて来る。今度は身振りだ。50セントしかもっていないことをコインで示して、もっと高価な物をさして、これ買えるか、と聞いてくる。ノーというと、これは、これは、と次々と物を指し示す。みんな高い。だいたい50セントで買えるものなど、スーパーの食品売り場にはほとんどない。ひとつだけ、周辺に安い、小さな牛乳があったので、これはオーケーというと、いやいやと、買う気がないというしぐさをする。そのうち、これはお金をねだっているのだ、ということが、やっとわかった。オランダではそういうことはないと思っていたから、気がつくのが遅かったのかも知れない。
 小さなお金だし、あげてもよかったのだが、やはりそれはよくないと、ノーノーと言っていたところ、少し離れたところに、店の人たちが2、3人ドアをあけて出てきたところ、急いでその女の子は逃げてしまった。そして、ちゃっかりレジで買い物をして、帰って行ったのである。たぶんお金は、それなりに持っていたのだろう。
 また、学校で授業をやっている時間帯に、学校に行っているはずの年齢の子どもが、道路をうろついていることがある。朝相当遅いのに、学校に向かう生徒がいる。地域性もあるのだろうが、10年前にはこうした子どもはほとんどみかけなかった。時代の変化もあるかも知れないが、おそらく移民が多くなることによる地域の人間関係の希薄化が影響しているのだろう。

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