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zoom RSS オランダの文化と社会 日本と比較しながら(32)

<<   作成日時 : 2006/08/02 21:26   >>

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 オランダの学校生活を具体的に紹介しよう。
 オランダの学校教育の特徴は?とオランダの教育関係者に質問しても、決まって「オランダの教育は学校ごとにみな違うので答えようがありません。私の学校の教育についてなら説明できます。」という回答が返ってくるはずだ。「百の学校があれば百の教育がある」というのが、オランダの教育関係者のオランダ教育に対する一種の誇りとなっている。オランダには日本のような学習指導要領はなく、非常に大まかな大綱的基準があるだけだ。もちろん、それはオランダ人全体の意思というわけでもなく、もっと詳細な基準を作って教育の質をあげるべきだという声があることも事実だ。そうした声を反映して、CITOテストの回数や範囲を広げたり、あるいは教育に「核」を決めさせる政策が取られているが、それでも学校の教育内容に干渉しているわけではなく、基本的には学校が教育内容を決める制度は維持されている。あまりに奇怪な教育をやっていれば選択されることはないという社会的な合意があるからだろう。
 だからこれから紹介する事例も「ひとつの事例」に過ぎないことをお断りしておく。
 まずは私の娘たちが一年間通った小学校である。ライデンの北側にあるウーフストヘーストという人口2万程度の村の公立小学校でアウデンホフ・バッカスプロング小学校という。長い名前だ。日本人は最初娘二人だけだったが、2カ月ほど遅れて医学部に1年の留学でやってきた夫婦のふたりの男の子が在籍したので4人だった。外国人は少なくないがたぶんあまり日本人が在籍したことはないと思う。
 まったく英語もオランダ語もできない娘たちのために、担任はとても配慮してくれた。しかし、非常に面白いことにオランダ語指導で、ふたりの担任はまったく違う方法をとった。長女の担任はまだ若い、教師になって2年目のいかにもオランダ人男性らしい背の196センチもある意欲的な教師で、まず娘にテープを渡し、徹底的に聴くように指導した。授業中も一緒に授業を受けさせずにホールに出してテープを聴かせたようだ。算数や理科、体育、音楽など言葉が支障にならない教科は一緒に受けさせるが、オランダ語や社会など言葉ができなければ受けても意味のない科目のときにテープ学習となった。家でも聴くように言われた。もっとも学校から帰ると「通り」の子どもたちと暗くなるまで遊んでいたので、家でテープはあまり聴かなかったのだが。娘はこうしたやり方を当初は理解できず、かなり不満があったし、学校にもなじめず日本に帰りたいと絶えず言っていた。
 一方次女の担任は40代後半のベテランの女性教師で、非常に伝統的なやり方をとっていた。娘を教卓の前に座らせ、まずアルファベットから教え、テキストを使って初歩の文法から丁寧に教えていった。その間自習になりがちなので、必ずしも好意的でない親もいたようだ。
 一般的に小さな子ほど外国に行った場合現地語を習得するのが早いと言われるが、娘の場合はまったく逆だった。動機の程度もあるのだが、やはり方法的に徹底的に聴かせたやり方が優れていたと思われ、長女は半年もするとかなり自由にオランダ語で友人とコミュニケーションをとることができるようになった。少しできるようになると、体育の時間に体育館に移動する道々、クラスメイトが物を指しながら単語を教えてくれることも語彙を増やすことになった。小さい子の習得が早いというのは、遊びのレベルであって、学校の授業を受けるための語学力は、やはり適切な指導がないと難しいと思われる。
 娘達のオランダ語習得の際面白いと感じたのは、オランダでは方言が学校で使用されていることだった。オランダの学校は1950年代までは格式や行儀が重んじられているのが一般的で、キリスト教系の私立はもちろん、公立学校でも、言葉は標準語を使い、先生に対しては「**先生」と呼んでいたという。しかし、60年代から70年代にかけての政治革新の波を受けて、学校でも「民主主義的雰囲気?」が広まり、方言を使い、先生に対してファーストネイムで呼ぶのが普通になった。伝統を重んじる人たちは快く思っていないようだ。教師の使っているオランダ語の影響を受けて、長女は比較的標準語に近かったが、次女はアムステルダム方言を学んだようだ。ラジオやテレビなどでも、方言でしゃべる放送人は少なくない。
 60年代から70年代はまた外国人がオランダに大量にやってきた時代でもあり、外国人子弟、特にイスラム系の子どもたちが学校に入りだして学校の民主化が進んだようだ。イスラム系の子どもたちは、ひとつは旧植民地であるインドネシアやマロッコであり、短期労働者としてやってきて定住するようになったトルコ人である。外国人たちの学校への移入は学校の伝統を大きく変えたと言われている。それまで学級王国として閉鎖的に運営されていたが、それでは言葉の通じないイスラム系の子どもを指導することができず、地域住民や親たちの協力を求めたところから、開かれた学校へと転換していった。今では親が日常的に学校に協力するようになっており、私の妻も美術の授業の補助に入って活動した。もともと学校の方針を支持して選択した親たちだから、学校が協力を求めれば進んで協力する。

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日本の小学校では原則として担任が全ての授業を行い、特別に専科の先生がいる場合だけ、その科目を委ねるが、オランダではむしろ原則として担任は国語・算数・理科・社会などの主要科目のみを担当する。体育は市の体育施設で専門の指導員が授業を行うことは既に述べたが、アウデンホフの場合、音楽、宗教も別の先生が教えていた。小さな学校だから専科の先生がいるわけではなく、いくつかの学校を担当する巡回の教師がいる。日本の学校では栄養士がそうした巡回で仕事をする場合がある。また何かの事情で教師が授業ができない場合、臨時に教える市の雇う補助の教師もいる。だから教師も安心して休めるのだろう。日本では教師がストライキをしたら大変なことになり、かなりの処分を覚悟しなければならないが、オランダでは労働条件の改善を求めた教師のストライキがあったが、別段なんの騒ぎにもならなかった。長女の担任がストライキで別の場所で行われた集会に出かけたが、補助の教師を依頼してあるので、授業にまったく支障がないわけだ。社会の側も騒がないが、ストライキをやる方も、授業をとめるから意味がある、というような姿勢を示すこともない。いかにも妥協と寛容の国オランダらしいやり方だ。

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