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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(39)

<<   作成日時 : 2006/08/08 22:09   >>

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オランダの歴史

このような伝統にとらわれない様式は、どのようにして形成されたのだろうか。いうまでもなくこれらはオランダの歴史に深く根ざしている。そして、オランダの歴史をひもといてみるとすぐに、伝統にとらわれない、時代に先駆けた行動は近年始まったことではないことがわかる。世界最初の先物取引所である商品取引所がアントワープに開設されたのは1531年のことだった。また、最初東インド会社はイギリスであったが、2年後の1602年にオランダが設立した東インド会社は世界で初めての株式会社であった。国際法という全く新しい法体系を提唱したのがオランダ人のグロチウスであることはよく知られている。このようにオランダが時代の先を行くシステムを編み出したのは、オランダの地理的条件が他の地域にはないものだったことも影響しているだろう。通常の歴史は「社会」の歴史であるが、オランダの場合にはまた「国土」の歴史でもある。
 尚「オランダ」という名称は現在は特定の国を示し、本書で扱っているのもオランダという国であるが、歴史的には「ベネルクス三国」と言われるベルギーとルクセンブルクを合わせた地域がひとつのまとまったものとして理解されていた時代が長く、オランダの歴史を扱う場合には、現在のベルギーやルクセンブルクも含まれことがあることをお断りしておきたい。

    土地との闘い

 オランダの歴史の根幹は土地との闘いであった。オランダの正式名称「ネーデルランドNederland」は「低い土地」という意味であり、「高い土地」から流れてくるライン川やマース川の河口流域にあり、たとえ住める場合であっても常に洪水の危機に晒されていた。古い文献によると、河口周辺の住民は、潮の満干で居場所を変えたという。土地の大部分がかつては海面下にあり、埋め立てによって人が住めるようにしてきた。そして、洪水から守るために、堤防、運河、ダム、水門を作ってきた。ローマの征服が古ライン川に及んだとき既にライン川とマース川の間の30キロに運河が掘られたことでわかるように、それ以来運河による水の管理と水運の拡張、そして干拓による土地の拡大が続いてきた。水の管理は直ちに生活の危険を意味した。中世以来風車を建設してポンプとして利用してきた。入り江になっている部分に堤防を築き、水をくみ出して陸地にしていくやり方で国土を拡大してきた。現在のオランダ人は「神が地球をつくったが、オランダ人がオランダをつくった」というが、昔は、「神が海をつくり、バタウィ人が海岸線を築いた」と言われたそうだ。
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           http://www.ne.jp/asahi/gaisui/iori/battle/battle5m1.html

上の地図は16世紀半ば頃の低地諸国のものであるが、最も中心的な地域であったホラント州が今とはかなり違う地形であったことがわかる。現在は文字通りの「陸地」だが、当時は島に近いものだったことがわかる。堤防を築き、水をくみ出して干拓した結果現在のような地形となった。
単純かつ安易な比較は慎むべきだろうが、オランダ人も勤勉な人たちであり、勤勉さでは劣らない評価の日本人と、勤勉さをもたらしく要因が似ているように思われる。明治時代までは人口の多くが農民であり、そのほとんどは水田で米を作っていた。そのために灌漑施設をつくって管理する必要があった。やはり日本も川や水路が縦横に走っていたのだ。そして梅雨や台風による洪水の危険に晒されていた。更に農作物は雑草や害虫の除去をしないと収穫には至らない。こうした環境が日本人を勤勉にした土台のひとつであることは間違いないだろう。
 オランダも大洪水で村が消滅したり膨大な死者が出た歴史がずっと続いてきた。しかし、中世以降の経済の発展は、逆に運河を利用した水運など、土地の条件をオランダの強さの源に変えてきた。そして、干拓技術の発展が土地を拡大させ、こうした営みは今でも続いている。そして他の国にはないこうした悪条件を乗り越える必要から、さまざまな新しい思想や技術が生まれてきたのだろう。
かつては大きな湾だった旧ゾイデル海と北海とをへだてる大堤防が1932年に完成し、ポルダーとよばれる干拓地がつくられ、80年代初めには約4分の3の干拓がおわっている。残りの部分はライン川から水をひいて淡水湖のアイセル湖となっている。写真のようにこの大堤防は高速道路のようになっており、ノールトホラントとフリースランドを結んでいる。途中には小さな博物館があり、この難工事の様子が写真で展示されている。

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 このように水の管理をしてきたにもかかわらず、1953年の2月に大暴風雨によってゼーランドで大洪水が起こり、1800名の死者が出た。2003年にオランダに滞在していたのだが、50周年記念のために連日のように行事やテレビの番組があった。オランダはこの洪水を契機に国家計画で安全な国土づくりを進めてきた。ゼーランドでは大きな堤防が作られ、内部の低い海(湖というべきか)から外海に水を絶えずくみ上げ吐き出している。ここにも博物館があって、水の管理の仕組みをつぶさに見ることができる。
 1990年代にヨーロッパはかなりの大洪水に見舞われたが、オランダでもベルギー国境付近の比較的高い地域で洪水が起きたが、低い土地では起きなかった。

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