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zoom RSS 教育再生か教育撲滅か(3)

<<   作成日時 : 2007/01/05 16:04   >>

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 教育委員会が攻撃の対象になっているというのが、今回の議論の特徴である。確かに現在の教育委員会は非常に問題がある。しかし、前回指摘したように、問題があるから廃止するという議論は、戦後の教育委員会の歴史を全く無視したものと言わざるを得ない。現在の教育委員会はまだましなのである。都道府県教育長の文部省承認制度があったときには、さすがの文部省ですら教育委員会の不活発さを憂えて、その承認制度を外したという経緯がある。少なくとも、この承認制の廃止は、他の省庁や内閣からの圧力があったとしても、中央教育審議会での建議に基づいたものだったから、文部省の支持があったと考えられる。

 この廃止以前、つまり、県教育長が文部省の承認制の時代には、実際には公開とされた教育委員会が実質的にはほとんどの自治体で非公開とされ、住民には教育委員会は何をやっているところか全く分からない状態だった。それが、承認制が外され、同時に教育委員会の公開制を確実にするようにという行政指導があって、住民が教育委員会の審議を傍聴することが実質的にできるようになってきた。住民が見ている以上、あまりいいかげんなことはできないものだ。従って、教育委員会はまだ改善された状態になっているという側面を見逃すべきではない。そして、その改善が住民に目を少しでも向けるようになったことによって実現してという点も重要である。

 従って教育委員会の問題を解決するためには、更に住民に密着した審議や施策が実現されることが重要なのであって、決してその廃止が必要なのではない。教育委員会がなくなるということは、戦前のように、教育行政が単なる行政組織の一部となって、教育という独自の観点から審議する機関がなくなるということを意味するのである。もちろん、公選制の教育委員会になれば何事も解決するとは思わないが、現状の打開としては最も適切な方向性だろう。

 しかし、いかにも庶民の味方であるような意見を述べている教育再生会議の委員である義家委員は、第一回の委員会で、全く異なった方向の意見を述べている。第一回の審議のみ詳細な議事録が公開されており、その後は公開されなくなってしまったのだが、そのこともまた、教育再生会議が決して「再生」に向けた委員会ではなく、国民にきちんと開かれた組織ではないことがわかる。それはさておき、第一回会議で、義家委員は、教育長承認制と同時に廃止された文部省の教育委員会に対する措置要求がなくなったことが、現在の混迷を招いているという認識を示しているのである。国民のほとんどは文部科学省が教育委員会の上位組織であるという印象をもっていると思うが、それは事実ではなく、かつてどんな時期でも文部省と教育委員会は同格であり、文部省が教育委員会に対して行うのは「指導・助言」であり、「監督」ではなかったし、また今でもない。指導・助言は同格の組織のあり方の象徴であり、監督は上下関係の象徴である。
 実際に文部省が教育委員会の上位であるように見えていたのは、先の承認制と現在では廃止されている「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」52条の措置要求によっていた。
 指導・助言はその内容が優れていれば受け入れられるという前提がある。少なくともまともに考えれば、教育委員会がまともに機能していれば、優れた助言や指導に従わないはずがないだろう。優れていなくても従うべきだというのは、まったく教育的論理に反するのである。だから、監督権限が存在しない「原則的あり方」が正しいのである。

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