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zoom RSS 教育再生か教育撲殺か(5)

<<   作成日時 : 2007/01/07 21:05   >>

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今後どのように新教育基本法が運営されているのかはまだわからないが、重要な改正点について考察しておこう。
まずはわかりやすい点として旧10条、新16条を見てみよう。10条こそは旧教育基本法において最も先鋭な対立点が存在した条項であり、従って、新法になって大きく変更された条文である。
旧規定は以下のようになっていた。

第十条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 そして以下のように改定された。

第三章 教育行政 
(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 団及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

 旧規定の争点の第一は「不当な支配」の主体は何かという点であった。もちろん、政党とか労働組合等の団体が不当な干渉をすることは、「不当な支配」にあたることは誰も異論のないところだったが、「政府」機関が不当な支配をする場合があるかどうかが争点であった。もちろん、歴史的な事実からみて、政府が教育に対する不当な支配を行うことがあることいくらでもあるし、論理的にもまた自明なことであるはずであり、また、判例においても認められているところだが、政府解釈は違っていた。つまり、政府は国民によって選挙で選ばれた政党が組織しているのであるから、政府の政策は国民の意思の反映であり、それは不当ではありえないというのである。
 新規定がそうした政府解釈を補強するための文章を挿入したことは明らかである。つまり、「この法律及び他の法律の定めるところにより」ということで、政府の行うことは、国民の代表たる国会が決めた法律によって行われるのだから、不当ではないということであろう。しかし、法律を逸脱した行政はありうるし、また、法律そのものが憲法に違反する場合もある。また、日本の「教育法規」については、国会で審議されず、内閣や文部科学省の規定である政令や省令に規定されることが多く、国民の選挙した国会が細部まで決めていないことも多いのである。
 従って、このような文章を挿入したとしても、政府機関が「不当な支配」の当事者になることは、論理的に十分ありうるのであり、政府の行政がいかなる場合にも正当だとは言えないことは銘記すべきであり、そうした点からの「点検・評価」が必要である。

 次の争点は「国民全体に直接責任を負う」という点である。実はこの条文だけではなく、教師に関する旧規定に、同じような「国民全体の奉仕者」という文言があったが、これも削除されている。従って、新規定を作成した人たちは「国民全体に責任を負う」とか、「国民全体に奉仕する」という言葉を嫌ったのだろう。後者は公務員の規定として、憲法にも使用されている文言だから、明らかに、憲法に対しても否定的なのだろう。安倍内閣は憲法改正を主張しているのだから、新憲法案では、公務員の国民全体への奉仕者規定が削除されるかも知れない。
 確かに、「国民全体に直接責任を負う」というのは、曖昧な規定である。しかし、憲法や旧教育基本法が制定された当時は、この言葉は明瞭な意味をもっていた。つまり、戦前「官吏」は天皇に責任を負っていたのであって、国民に責任を負っていたのではなかった。つまり、「天皇に奉仕する」のが役人だったわけであり、教師ももちろん官職だったから、国民に直接責任を負っていたわけではなかった。だから、憲法や教育基本法が「国民全体に責任」を負うという意味は、「天皇ではなく国民」という意味だった。
 今回の改定が単に曖昧だからというのならば、明確な言葉に変えるべきであったろう。もしかしたら、「国民ではなく官」というように本質的な転換をめざしているのかも知れない。まさか、「国民ではなく天皇」へという復帰ではなかろうから。
 では、消極的な意味での「国民全体」は理解できるとしても、積極的に国民全体に責任を負うというのはどういうことなのか。

 教育行政に関しては、旧教育基本法制定時の教育委員会は住民による直接選挙、つまり、公選制教育委員会だったのがら、教育行政が住民に責任を負って行われるべきであるということは、第一の意味だった。前回指摘したように、文部省と教育委員会は同格の行政組織だから、地方教育行政は文部省とか国よりも、まずは住民への責任を重視したということである。実際に旧教育委員会法が実施されているときには、この10条の意味は文字通り実施されていたわけである。公選制教育委員会が廃止され、教育長が承認制になって、行政が住民ではなく、任命者や文部省の方を向いて行われるようになって久しいわけだが、それが現在問題になっているような教育委員会の実態の原因になっていることは前回してした。
(第二項関連は次回)

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