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zoom RSS 給食費の問題

<<   作成日時 : 2007/02/15 22:02   >>

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 給食費を払わない親の問題は最近はあまり語られることがなくなった。しかし、全く解決したわけではない。
 ただ、この問題はほとんどが責任を果たさない親の問題として、彼らを非難する論調で終始した。もちろん、彼らは責任を果たしていないのだから批判されても仕方ないし、また、子どもが給食を食べているのだから払うべきだろう。
 だが、それで問題が済むようなことなのだろうか。もう少し問題をきちんと考えるべきだろう。というのは、「制度的」な問題がいくつかあるからである。
 日本国憲法では、義務教育は無償であると規定されている。しかし、これまでずっと教育基本法が義務教育では授業料を徴収しないと規定していることでもって、「無償」は無視されてきた。「無償」とは文字通り、公立義務教育学校には教育費を徴収されることがないという意味である。少なくともヨーロッパではそうだ。しかし、ヨーロッパは日本の学校よりはずっと条件的に貧弱であることは事実で、もちろん、多くの国では給食などはない。
 つまり、無償であるのが憲法的原則であるのに、義務教育の学校では、強制的に徴収される費用がたくさんある。以前は教科書もそうだったが、今では教科書は無償となった。(もっともその形には多くの問題があるが。)その他にワークブックとか、様々な教材・教具を強制的に買わされる。しかも、以前は兄弟や知人から譲り受けることができても、それを認めないというかなり酷いことが行われていた。教材会社と裏でつながっていると思われても仕方ないような話だ。最近ではさすがに絶対的に新しい教材・教具を買わせることは少なくなったとは思うが。
 また多くの人は修学旅行などは「義務」だと思っているが、実際にはそうではない。行かないという選択も可能なはずであるし、実際に行かない人もいる。
 こういうことからみて、本当は無償で全員が平等に教育を受けられることが原則だが、特別に徴収される費用については、自分で調達したり、それを受けいれない選択権を保障すべきなのだ。また次第にそういう選択権を認めるようになっている。
 しかし、給食は体質などの相違があるのだから、本当は選択範囲があるべきなのだが、全員が同じ料理を食べることを「強制」されるにもかかわらず、その費用を払わされることになっている。ここに制度的矛盾があるというべきなのである。もし、費用を払わせるなら、弁当を持っていくことを認めるというような選択の余地を残すべきなのだ。それを全員の強制的に食べさせて、強制的に支払わせる、ということが、やはり憲法的な原則に著しく反するということが問題の基本である。もちろん、子どもが給食を食べているのに、費用を負担しないのは、負担することになっている以上、批判されるべきだ。しかし、他方では給食費は公費で負担するという政策もありうるし、また、実際にそうしている国もあるということも注意すべきだろう。
 また、地域によって異なるが、自動引落にする場合、給与振込銀行での引き落としを認めないというようなやり方をとっているところもあるようで、その場合、わざわざ口座に振込をしなければならないから面倒なことは事実である。そうしたことき配慮なども必要なのではなかろうか。

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