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zoom RSS 教育の再生か撲殺か(13)

<<   作成日時 : 2007/04/02 23:56   >>

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教育の再生か撲殺か(13)

 最近の教育に対する国家の介入的姿勢はますますひどくなっている。そして、メディア等の批判力も完全に低下してしまっているようだ。教育基本法反対の運動はかなり盛り上がったのに、その後に来た「本番」に対しては、ほとんど声になっていないような感じがある。そうした間隙をついて、次々と策を繰り出しているという感じだ。
 しかも、それがことごとく「傲慢」さが露骨に出ているのが目につく。社会そのものが弱気を挫く雰囲気になっているのもそれに拍車をかけているのかも知れない。
 従軍慰安婦問題や沖縄の集団自決の問題はまったく同じような事実歪曲の手法だ。
 いずれもこれまで批判されてきた内容に対して、論点を勝手に厳格に縮小し、それに当てはまらないというような論法をとっている。
 従軍慰安婦については、「狭義」とわざわざ断って、軍や国の関与はなかったという。しかし、この「狭義」というのが通用するのは、「身内」だけだろう。外に人たちにとってみれば、狭義と広義を含んで事実を判断するのだ。軍が民間に委託してやれば、それは外から見れば軍が関与していると見られるのは自明だ。それを「あれは民間がやったことだ」と言い張れば、軽蔑されるだけのことだろう。しかも、日本は国家総動員体制で、戦争に国家政策として国民を総動員したのだから、国民がやることも、民間がやることも、国の政策の一環であると見られることが自然なことなのだ。
 また、沖縄の問題も同様だ。
 戦争で起きたことが、一様な状況であるはずがないから、確かに、すべての集団自決が軍の命令であったはずはなかろう。逆のケースがあったことを、実際に私は聞いている。かなり前の沖縄出身の学生から聞いた話だが、その学生の母親はまさしく集団自決をしようとしているところに、日本の兵隊が通りかかって、そんな馬鹿なことはやめなさい、と諭されて自決をやめたという。それで生き延びて、その学生が誕生したわけだから、軍がすべて集団自決に関わっていたなどと、沖縄の人だって思っているわけではない。
 しかし、日本軍そのものが、生きて捕虜になることのないようにせよ、捕虜になるくらいなら自決せよという「教育」を受けていたことは、有名な事実であり、本土焦土作戦をとっていたのだから、住民の自決を事実上強いたことは否定できないだろう。実際に自決した手段となった武器は日本軍から支給されたものなのだから、それが事実上の強制(広義のいってもよい)であったことは明らかだ。教科書も、すべて強制されたなどと書いたわけではなく、そういう場合もあったと「正確に」書いている。それを削除させるということは、実際にあったことをなかったように記述することで、誤魔化し以外のなにものでもないだろう。
 大きな犯罪集団というのは、トップはみずから手を汚さず、また、命令も暗示するだけなのではないだろうか。こういうとき、今の政府はこのトップの責任を免罪するのだろうか。
 最近は中国や韓国だけではなく、アメリカまでもかなりこの点について、日本政府への批判を行っている。

 ただ、救いなのは、こうした政策について、「真実を知らせることが大切」と思っている若者が多いことだ。

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