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<<   作成日時 : 2007/04/05 21:12   >>

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ソクラテスの死は「処刑」か「自殺」か
 慰安婦に軍の関与は「狭義」にはなかったとか、沖縄の集団自殺は軍が強制したものではないとかいう議論があるが、こういう論理はやはり、「美しい」ものではあるまい。
 ソクラテスの死について考えてみた。ソクラテスは周知のように、若者をかどわかしたとか、神を冒涜したというような「告発」を受けて裁判にかけられ、「死刑」判決を受けた。もちろん、正式な裁判の正規の判決だから、国家の意思決定であろう。
 しかし、これもよく知られているように、ソクラテスは、絞首刑になったり、斬首されたりして、国家の役人による能動的な行為によって殺されたわけではない。自分で毒をあおったのである。そればかりではない、『クリトン』に克明に書かれているように、ソクラテスの弟子たちは、なんとかしてソクラテスを助けようと牢内に立ち入って、ソクラテスに逃げるように勧めている。当時の死刑判決では、どうやら、逃げることを大目にみていたようだ。逃げようと思えば逃げることはできたらしい。
 しかし、それをソクラテスは拒んで、自ら毒を飲む。死刑のやり方がそういうものだったらしい。
 では、ソクラテスは「自殺」したのだろうか。少なくともソクラテスについて書いた文章で、ソクラテスの死を自殺としたものがあるだろうか。あるいは、アテネという都市国家が裁判において、ソクラテスの死を決めたのではない、アテネは国家としては関わっていなかった、というような解釈をしている人がいるのだろうか。少なくとも私は読んだことがない。
 死の形態が自らの服毒によってもたらされたとしても、服毒という行為自体を強いたのは、強制したのは、アテネという国家だったことは否定しようのないことだろう。ここで、最も重要な判断ポイントは、裁判の判決という国家意思の決定において、「死刑」を選択したということである。その後の「執行」は中心的なことではない。
 つまり、国家が関与したかどうかは、国家意思が示されたかどうか、その国家意思によってその後の事態が生じたかどうかだろう。
 従軍慰安婦は、国家意思(軍の意思)として、慰安所を設立したところに行ったのである。確かに慰安婦を募集する行為を行ったのが、民間の業者であったかもしれないが、それは、国家意思に基づいて行われたことなのである。長期的な戦争に、売春行為が広範囲に行われることは通常見られることのようだが、ただ、そのほとんどは、現地での、自然発生的な行為として行われる。しかし、日本軍は日本から(朝鮮も当時は日本だった)慰安婦を連れて行ったところに特異性、つまり、国家(軍)の関与性がある。戦後日本を占領したアメリカ軍を対象にした、売春行為がはびこっていたことはさまざまな小説に描かれているが、アメリカは慰安婦をアメリカから連れてきたわけではない。何故、日本の従軍慰安婦政策が批判されるのか、どこの国だってやっているではないか、という論理で考えている人には理解されないのだろうが、日本のやったことと、他の国がやったことの違いを考えてみるべきだろう。
 沖縄の事例の方が、ソクラテスとの類似性がはっきりしているかも知れない。日本の軍隊は、沖縄住民に、徹底抗戦を命じ、捕虜になって辱めをうけてはいけないと諭し、いざというときのために手榴弾をわたせば、実際の最後の手段を実施したのが「住民自身」の意思であったとしても、それは強いられたものというべきだろう。

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