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zoom RSS 高崎経済大学の懲戒免職処分

<<   作成日時 : 2007/04/10 20:39   >>

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 高崎経済大学の教師が「過度」なレポートを課し、提出していない学生に留年だと通告したことが原因で、学生が自殺し、そのためにその教師(准教授)が懲戒免職となった。
 一般的には、「セクハラ」(この件以外の場面で)的な面もあったと報道されており、当然ではないか、というような受け取りをされているのではないかと思うが、しかし、私自身大学の教師として、すっきりしないものをいろいろ感じる。この教師がどんな人で、どんな授業を行い、実際に自殺した学生にどのように接していたのかわからないから、あくまでも報道された中での受け取りに過ぎないのであるが、確かに、自殺は痛ましいとしても、だから懲戒免職が当然か、と疑問にも思うのである。
 まずは、報道された限りで確認できることを整理してみよう。

1 レポートは過度な課題だったのか。
 読売新聞によると、「アダム・スミスの重商主義批判の論点を説明させるなど10の設問から五つを選んでリポートするのと、新聞社説10本の要約とそれについてのコメントをまとめる」というものだったそうで、大学側は、「大学院生並の厳しい課題」だという。私は経済学者ではないので、これが大学院並ではないと断定はできないが、経済学を専門に学ぶ学生に対して課すのは無理だというようなものだと決めつけるほど困難な課題のようには思えない。もちろん、どの程度の掘り下げを求めるのかによっては、「過度」にもなるだろうが、課題自体が、そんなに不当な「過度」のものとは思えないのである。アダム・スミスといっても、当然の古典であるし、社説10本読ませるのがそんなに大変とは思えない。なにしろ夏休みの課題なのだから、この程度はおかしくないような気もする。 いつ出した課題かあいまいだが、毎日新聞によれば6月に出したものであり、12月に出していない学生が3名だったそうだ。他の学生は出したのだから、特別に困難だったのだろうか。

2 留年通告は不当なのか。これは、大学のシステムがわからないのでなんともいえない。もし、この科目が必修科目で、この必修科目をとることが、進級の条件になっているのならば、事実を伝えるという意味で不当ではない。しかし、この科目を落としても進級そのものはできる、つまり、3年生になって再履修ができるというのならば、ナンセンスなことをいっており、確かに不当な脅しになるだろう。しかし、実際には3年での再履修が可能なシステムになっているのならば、そんなことは学生はわかっているのだから、そのことで、勘違いするのだろうか。また、レポートを出さないのに、単位を与えるべきだったというような論理ならば、それは同意できない。

3 メールのやりとりを報道されており、そのメールの内容が厳密にはわからない。自殺をほのめかしたようだ。4月9日の3紙では報道されていないが(インターネット版)、今日テレビを見ていたら、「自殺する」というメールを教師に送り、教師は、「連絡せよ、命令だ」という返事を出したと報道していた。ということは、留年だというメールの返事として、自殺するという返事を出したことになる。
 この時点で、「連絡せよ、命令だ」という返事が適切だったかということになるだろう。それ以外のことをしなかったとしたら、確かに非難されても仕方ない。普通であれば、ゼミ生や事務、同僚に直ちにこのことを連絡し、本人を探し出す努力をするべきだろう。もしそういうことをしなかったのなら、何らかの処分が必要だと思われる。(それでも懲戒免職は疑問だが。)

 毎日新聞だけ、当人の弁明を載せており、間違ったことはしていないと主張しているようだ。テレビでは、顔を隠してインタビューに応じていた。

 この教師の留年通告が自殺の原因だということについては、事情が全くわからないので、判断できない。

 しかし、この事件に関連して、いろいろなことを考えざるをえなかった。
 普段学生に暴言的なことを言っていたということを差し引いて考えてみると、それなりに高度な課題を出し、学生に厳しくそれを求めることは、間違っているとは思えない。
 日本の大学は、アメリカの大学に比較して、教育水準が低いと考えられている。それは、大学の成績が企業などの就職に際してほとんど考慮されず、大学の格だけで判断されてきた歴史が長かったという事情がある。しかし、少子化の影響で、大学の競争が起こり、また、就職試験で大学名が以前ほど問題にされなくなって、大学が教育の効果をあげるための努力をせざるをえないようになった。それは実は直ちに、いままでかなりいいかげんであったかも知れない教育、つまり、学生の学習を厳しくするということに他ならないのである。
 以前明治大学で、就職が決まっている学生に単位を出さなかった教授がいて、大きな社会問題となったことがあった。たしか親が、就職が決まっているのだから、卒業させてくれと要求し、勉強の成果が合格水準に達していないのだから、合格させるわけにはいかない、そんなことすべきではないという意見が対立した。
 こういう風土が社会の中にあるわけだ。

 実際に、近年私のまわりの学生に、大きな変化があることを感じている。以前は、まったくといっていいほどなかったクレームが来るようになったのである。私の大学では、成績に不満がある場合、「確認願い」という書類を提出して、成績に間違いがないかを検討するよう教師に要請することができる仕組みになっている。
 そのクレームで、自分は全部レポートを出したのだから、単位を認められて当然であるのに、不可の成績になっているがおかしいのではないか、というようなのが目立ってきているのである。「確認願い」の歴史が3年程度なので、断定的なことは言えないが、私の場合、こうしたクレームは昨年からで、今年はいくつもあった。
 成績を付けたものとして、返事を書かねばならないのだが、この高崎の事件が起きて、注意して返事を書く必要があるなと強く意識せざるをえなかった。もちろん、注意して書くべきだろう。暴言などはもっての他だし、落ちて当然というような書き方もいけないとは思う。
 しかし、少なくともこれまでなかったことを実施しなければならない事態になっていることは確かだ。
 レポート出したのだから単位認定されて当然だというのは、誤解であるとしても、その底には、どんなことをレポートを書くときに求められているのか、ということを認識できないないということなのだろう。
 本の読み方、レポートの書き方、ノートの取り方など、これまでは指導の対象にしてこなかったことを、丁寧に指導する必要がある大学が多くなっているのではないだろうか。「こんなこともわからないのか」というのではなく、やはり、これまでそういう指導をされてこなかったのだろうし、また、大学自身が「入試」という高校生へのメッセージの中で、「本をたくさん読みなさい」とか、「文章を自由に書けるようしなさい」というようなことを伝えて来なかった、つまり、選択式の客観テストだけやってきた弊害が、現実的な問題として現れているのだから、丁寧な、かつ合理的な指導が必要なのだろう。
 しかし、それは大学全体として取り組むべき課題であって、不十分だった教師の不幸な結果を免職という形で済ませることではないように思われる。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
報道された限りのことで忘れておられることが1つあります。

マスコミに「こんなことでクビになっていては教育などできない」と発言したことです。女子学生にも遺族や残された友人がいるわけで、そういう人にとっては信じられないような発言だったと思いますよ。

こういうことがあって「社会やご遺族ご友人にご迷惑をおかけして申し訳ない。ご悔やみを申し上げ遺族にはご挨拶に伺い事情を説明したい」すらいえない常識・思いやりのない人は大学の先生やる資格はないです。

指導が適切かどうだったかはそれからの話なわけですね。問題の本質はこの先生は前の茨城大学でも問題があって高経大にうつされたそうですが、それが高経大の学生の自殺につながってしまったことだと思いますよ。
じゃっく
2009/02/08 04:41

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