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zoom RSS 北欧の教育(3)

<<   作成日時 : 2007/10/23 18:30   >>

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 北欧教育の特質は、フォルケホイスコレに最も鮮明に現れている。民衆教育の国際的発信源となったこの学校は、9世紀半ばにデンマークで形成され、プロシャとの戦争に破れて最も肥沃なシュレスビヒ・ホルシュタインを失って国力の衰えたデンマークを、精神的に再生させる原動力となり、スウェーデンやノルウェーだけではなく、ドイツ・イギリス、アメリカと国際的に広く、民衆教育の学校として広まっていった。
 現在では高等教育が発展したために、したためにデンマークでは学校数も減少しているが、その原則は保持され、新しい時代に適応した形で展開している。
 フォルケホイスコレは、18歳以上なら誰でも入学することができ、寮で生活をともにしながら、学ぶ学校である。入学に年齢以外の制限がない代わりに、卒業したことが何ら資格を生まない、つまり、純粋に学びたいから学ぶという教育機関である。かつては普通教育の要素もあったが、現在ではほとんどのフォルケホイスコレで、専門的なコアをもったカリキュラムになっている。社会科学の専門や芸術、趣味、スポーツなど多彩なテーマを学びたいひとが選択して、入学し、食事や掃除等を共同に行いながら、文化的催しを付加して、数カ月を過ごす。有給休暇をとってやってくる者や、既に退職した高齢者もいる。
 私はこの学校を研究するために、実際に体験的に3カ月入学し、ともに学習したのだが、他の国にはない実に独特で、有意義な学習を可能とする学校だと感じた。私が入学したのは、英語で授業を行い、国際理解のために第一次大戦後に設置されたインターナショナル・ピープルズ・カレッジだが、22カ国からやっきた20代から50代の学生と、国際問題や地域文化を学んだ。中には国際的な対立関係を反映して、中国人とチベット人、パレスチナ人とイスラエル人など、緊張したできごとも多かったが、それゆえリアルに国際関係を学ぶこともできたし、また、ともに生活することで、日常的な文化感覚の相違なども、書籍では学べない微妙なことを知る機会にもなった。
 このような学習形態を可能にする社会的背景も重要だろう。
 純粋に学ぶことだけを目的とした学校が大きな位置を占めていることは、学習好きな国民性の現れであると同時に、逆に国民を学習好きにしていることである。デンマークには、他にも自発的な学習グループに公的な補助をするシステムがあるが、同じことが言える。
 また、労働者の権利が守られていることがこのような学習を可能にしている。日本の労働者が、会社の有給休暇を使って、半月、あるいは1カ月という単位で、寮生活をしながら、好きな学習に励むことを可能にするだろうか。

 さて、フォルケホイスコレを日本人にとっても忘れてはならない影響を戦前の日本に与えていた。加藤寛治らが中心となり「国民高等学校」としていくつか作られた。今ではあまり意識されないが、戦前の日本は、ドイツとの戦争に破れて疲弊したデンマークが、荒れ地を開拓して有数の農業国家として再生した姿を、農村復興のモデルとして重視されていた。内村鑑三の「」が多いに読まれたのである。国民高等学校はそうした精神的なことを超えて、教育モデルとしてデンマークに学ぼうというより意欲的な試みであった。宮沢賢治が岩手の国民高等学校で、「農民芸術論」を講義した事実もある。しかし、満州事変を経て、日本が満州の開拓団を送り込む時代になると、その中心的組織として、国民高等学校がスタッフや生徒、そして教育内容が利用されるようになる。
 軍国主義に協力したとされ、戦後大きな批判を受けた日本版フォルケと、自国の発展に寄与し、他国を侵害することのなかったデンマークのフォルトとは、何が違ったのだろうか。

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