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zoom RSS いまだにソシオメトリーまがいのことが

<<   作成日時 : 2008/05/11 21:24   >>

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 朝日新聞の5月10日付けに以下のような記事がある。

小4担任、「一番嫌われている人」募り公表 生徒が提訴
2008年05月10日11時44分
 小学校時代の担任教師がクラスで嫌いな人のアンケートを取り、一番嫌われている人として実名を公表したために級友からいじめられて精神的な苦痛を受けたとして、千葉市内の男子中学生とその両親が、千葉市を相手取り、約1千万円の損害賠償を求める訴えを千葉地裁に起こしていたことが10日、わかった。「いじめが始まった後に学校側が十分な対策をとらなかった」と主張している。
 訴えによると、05年4月、当時千葉市立の小学校4年生だった男子生徒の担任教師が、クラス内で「好きな人と、嫌いな人」の実名を全員に書かせたとされる。教師が1週間後に、公表するかどうか子どもたちから多数決をとったうえで一番嫌われている人としてこの男子生徒の名前を発表。これを機にクラスメートからいじめを受けるようになったという。男子生徒は約1年半後に、別の市立小学校に転校した。
 千葉市教育委員会は「事実関係を調べているが、係争中なのでコメントできない」としている。

 いろいろと考えさせる記事だ。もちろん、この被害者の生徒は非常につらい思いをしただろう。学校側の責任は重い。ただ、それだけで済ませることはできないものを感じる。
 見出しや文の最初の方を読むと、「嫌いな生徒」の名前だけを書かせたように感じるのだが、あとの方には、「好きな人と嫌いな人」を書かせていることがわかる。今はあまり使用されていないと思っていたが、ソシオメトリーのようなことをやらせたのだろう。ソシオメトリーは、一時非常に広まったし、また、学問的な裏付けがあるかのように、アカデミックな世界でも言われた。だから、学生のときにソシオメトリーを学んで、いまでも実践している人たちが年配者にいるかも知れない。校長がそうであれば、学校全体として推進していたとしても不思議ではない。この記事の担任の年齢はわからないが、年配であれば、自分の経験として、若いとすれば、学校全体の方針としてやった可能性がある。
 一般的にソシオメトリーをして、このように「好きな人、嫌いな人」を書かせたとしても、それを生徒たちに公表することはないだろう。私の知っている手法としても、そんなことはしないものとしている。
 しかし、生徒たちが、あのようなアンケートをしたのなら、「結果を知りたい」と強く主張する可能性がある。
 現在、大学で行なっている授業評価アンケートでも、学生はその公表を求めている。人間の自然な感情ではある。しかし、だからといって、調査の公表がいつも必要であるわけではないし、また公表すべきであるというわけでもない。
 この場合には、単純素朴な「知りたい」という欲求に、担任が負けたということになる。もちろん、一番嫌われている生徒として、公表されたら、相当なショックを受けるわけだから、そんなことは、絶対に公表すべきではなかったし、また、公表したことによって生じたいじめには、学校・担任は責任をもって対応すべきであった。
 
 しかし、本当の問題はそういうところ「以前」にあるのではなかろうか。
 
 ソシオメトリーは一種の「調査技術」「調査方法」であるが、こうした調査手法が開発されることは、常に状況の把握を助けるわけではないように思われる。そもそも子どもの交遊関係などは、教師と生徒の間の交流で自然とわかるはずだし、そうした目を持たねば教師としての役割を果たすことはできないはずだ。調査法の開発がそうした目を鈍らせるとしたら、逆効果でしかない。
 もちろん、ソシオメトリーの最大の問題は、プライバシーや倫理の問題だろう。既に「好きな人と嫌いな人」などを書かせる時点で、この教師の、あるいはそれを学校としてやっているとしたら、学校のモラルが問われるべきであり、従って、生徒たちの要求(があったとして)それを断れるモラルを喪失していたのだろう。(もちろん、生徒たちの要求なしに、「一番嫌いな生徒」を公表したとしたら、モラルの問題というより、教師の資格の問題だろう。)
 
 上の記事では、細かい事情はわからない。ただ想像するだけだ。
 ただ、このような無神経な調査が行なわれていること自体が、既に大きな問題だろう。

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初めまして。
「トポロジーの発想―○と△を同じと見ると何が見えるか (ブルーバックス) 川久保 勝夫 (著) 」
を読んでいて、いじめ問題への対処可能性にソシオメトリーというのが有るのを知り、ネットで検索していましたら、御ページに辿り着きました。

>ソシオメトリーは、一時非常に広まったし、また、学問的な裏付けがあるかのように、アカデミックな世界でも言われた。

現在では科学的に否定されている、という事でしょうか?
何にでも学問的な裏付けは最初から有るわけでは無いので、まだ研究が不十分・洗練されていない。誤解されているという可能性もありますが、その点をご存知であればご教示下さい。
dawntext
2013/09/19 11:25
続き:
> ソシオメトリーは一種の「調査技術」「調査方法」であるが、こうした調査手法が開発されることは、常に状況の把握を助けるわけではないように思われる。そもそも子どもの交遊関係などは、教師と生徒の間の交流で自然とわかるはずだし、そうした目を持たねば教師としての役割を果たすことはできないはずだ。調査法の開発がそうした目を鈍らせるとしたら、逆効果でしかない。

確かに万能では無いでしょうし、私が知るかぎり、万能な方法は有りません。
問題は、万能だと思い込む事、手法の限界を理解しないで、完成品のように扱う事かもしれません。
完成品だと見なしてしまうと、何らかの理由で上手くいかない場合、製造物責任ばりに、手法の提唱者・協力者を批判する行動に繋がります。
その根底には、子どもの問題について、スーパーマン(万能手法)が助けに来てくれるのを待ってるだけの大人達というイメージを感じます。
「自然とわかるはず」が上手く行かない事が多いからこそ、このような手法が試みとして注目されたのでは?と考えます。
一つの方法だけでカバー出来る万能信仰をやめ、多面的に複数の方法でカバーしあう事が必要だと思います。
dawntext
2013/09/19 11:26
誤記を訂正致します。
X まだ研究が不十分・洗練されていない。誤解されているという可能性
O まだ研究が不十分・洗練されていない、または誤解されているという可能性
dawntext
2013/09/19 11:29
dawntext さま

 ずいぶん古い文章に対して、コメントありがとうございます。文章を読んでいただければわかると思いますが、あくまでも「学校」で、教師(担任)がクラスの子どもたちに対して行なうソシオメトリー調査を念頭においているものです。元来、ソシオメトリーは教室で使用するような目的で開発されたものではないわけです。開発したモレノは精神医学者で、心理劇などでも有名ですが、医者である以上、特定の現象の改善のために開発したわけで、それをまったく別の分野に、別の手法をまぜた形で応用するのは、よほど気をつけるべきものです。私が読んだモレノの文章では、ソシオメトリーは、例えば刑務所の雑居房に、囚人たちをどのように組み合わせていれるのがよいか、というような課題に対して考えられたものだったと記憶します。もちろん、もっと応用範囲が広いものとして、モレノ自身も考えていたでしょうが。この場合、組み合わせが悪いと当然犯罪者ですから、互いにいがみあって、かなり深刻な喧嘩などを起きる危険性があるわけです。しかし、長い間観察したりできるわけではありませんから、何らかのテストで害の少ない組み合わせを知る方法がないかと考えた、刑務所側がモレノに依頼したのでしょう。この場合、テストをする人は、刑務所の外部の人であること、内部の人間も適切な判断ができない事象であることという前提条件があり、それがこうしたテストをすることの害を少なくしているといえます。
wakei
2013/09/19 21:18
 しかし、担任がクラスで行なうとすると、このいずれもあてはまりません。テストを行なうのが、日々接している担任であること、転任は適切な判断を、このようなテストを用いなくても可能であることなどでわかります。つまり、モレノが考えた状況と、学校で教師が行なう状況とでは、まったく異なるのです。
 担任が、子どもたちに、「好きな人」と「嫌いな人」の名前を書かせたら、子どもたちがどういう気持ちになるかは、明らかです。100%いい気持ちはしないでしょう。訴訟が起きることは稀だと思いますが、不快感が残るだけです。また、こんなテストをしないと教師が子どもたちの間の人間関係がわからないとしたら、教師としての資質を欠いているといわざるをえませんし、また、教師自体が子どもたちに馬鹿にされることも十分にありえます。
 このような理由で、担任教師が受け持ちクラスの子どもたちにソシオメトリーテストを実施するのは、まったく間違いであると書いたのです。

 実は、心理劇についても同じようなことがいえます。ソシオメトリーは現在、教育現場では否定されていますが、心理劇の方は推奨されています。もっとも典型的な利用例は、いじめ指導に関連してです。いじめの心理劇を、加害者と被害者をわりあてて、ロールプレイとして心理劇を演じさせ、被害者の気持ちを理解させて、いじめをしてはいけないと指導するというようなものです。
wakei
2013/09/19 21:19
 しかし、これは、私はおかしな指導法だと思っています。いろいろありますが、まずは、こんなやり方で、被害者の気持ちを斟酌させるのではなく、ひとつは、かなり多くの子どもがいじめられた経験をもっているのですから、そのときのことを思い出させることで、気持ちを理解させることができるはずです。また、実際にいじめが起きているとしたら、もちろん慎重にやる必要がありますが、被害者がつらい気持ちをみんなに訴えるというのが、少なくとも教師の指導力がしっかりしていれば、効果があるものです。訴え方は口頭で、文章で、などひとつではないと思いますし、軽率にやれば逆効果の危険もありますが、クラスのいじめを解決するためには、やはり必要な段階であると思うのです。やはり、「実際」のこと以上の教育力はありません。
 また、別のことになりますが、被害者の気持ちがわかることはあるかも知れませんが、加害者役をやった子どもが、いじめる快感を体験するという危険性がないとはいいきれません。そうして隠れていじめをするようになるということが、ないとはいいきれないのです。いじめのロールプレイで、被害者側の気持ちだけを理解して、加害者側が無視されると考えるのは、少々甘いといわざるをえません。

 このように、まったく異なる分野の手法が、安直に教育の世界に導入されると、思わぬ副作用的害が生じることは、もっと他にもありますが、やはり、内発的に起こった手法をもっと大切にする必要があるのだと思うわけです。
wakei
2013/09/19 21:19
成る程、モレノがソシオメトリーを開発した経緯・目的がそうであれば、そのまま教育現場では使えませんね。

>まったく異なる分野の手法が、安直に教育の世界に導入されると、思わぬ副作用的害が生じる

これに同意します。
また、それを踏まえた上でなお、個人的に可能性に期待する部分もあります。
ここで言う可能性というのは、モレノの手法を構成するパーツ
・人間関係の見える化
・関係の鍵となる情報が何であるかの見極め(モレノの場合は好き・嫌いなど)
・情報の集め方(現在は個人情報の取り扱い)
・関係者にどこまで詳細を開示するか(この子が嫌われてる、とクラスの生徒に宣言するだけなのはネガティブすぎますね)
などについて、パーツの目的を保ったまま、教育の本来の目的に合った手法の開発に使えないか?という事です。
この場合、モレノ以外の手法についてもパーツ化し、寄せ集めたパーツの山から、使えそうなものを組み合わせていく作業が必要になるでしょう。
とても根気の要る作業ですが、先人の実績(教育現場用でなくても)を知らずに車輪の再発明をあちこちの現場で繰り返すよりは、見込が高いのではないかと考えています。
具体例を示せればいいのですが、手法の構築の合理化について最近考え始めたばかりですので、やや抽象的になっていますことをご容赦下さい。
dawntext
2013/09/20 21:55

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