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zoom RSS 入学選抜の基準の問題 神田高校問題について

<<   作成日時 : 2008/11/04 11:54   >>

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 神奈川県立神田高校で、入学試験で服装チェックをしていた問題が、いろいろと議論されている。産経新聞によると、県教委や同校によせられた意見の9割は、校長を擁護する意見だったという。「服装や態度で選考して何が悪いのか。選考基準になくても当然」「高校は義務教育ではない。(不合格にした)校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」というような擁護論だそうだ。
 朝日新聞の声にも、最初の意見と同趣旨の投書が掲載されていた。朝日新聞と産経新聞が同意見を紹介するというのも、めずらしいかも知れない。
 ところで、この問題はふたつの要素が混在している。
 第一は、服装等の基準を入学選抜の基準にすることが妥当であるのか、という問題。
 第二に、それが妥当だったとして、事前に明示しておかなかったことの妥当性の問題。このふたつはきちんと区別されるべきものだろう。
 第一の問題については、高校は義務教育ではないのだから、その学校独自の校則を決めることは、著しく不合理ではなければ何ら問題はないだろう。服装をある程度制限することは、私自身はあまり好まないが、社会的には普通のことであり、何ら問題はないといえる。問題は、やはり、第二の点である。「選考基準はなくても当然」というのは、乱暴な見解と言わざるをえない。朝日の投書では、企業の採用試験などで、服装をきちんとしていくのは当たり前、学校も同じだ、という趣旨であったが、これも少々乱暴ではないだろうか。企業が採用するのは、基本的に企業の都合が優先され、企業に雇われるのであり、しかも、企業は企業イメージという観点から、あらゆる面から人を見ることが、当然でことと意識されている。そもそも、企業は「採用基準」などを通常公示していない。特定の採用基準など明示できないというべきだろう。従って、いかなる面から見られても、不利にならないように、企業就職の試験を受ける場合には、服装等にも受験者は注意するし、また、まわりもそのように気をつける。
 しかし、高校の入学試験というのは、選抜基準が明示されており、しかも、在学は、「在学契約」という法的関係に置かれるのであって、「契約」の場合、条件が事前に明示され、その基準に従って契約が行なわれるものであろう。とするならば、選考基準に存在しない基準で落とすのは、在学契約関係としては、容認されないというべきである。高校として、服装をきちんとさせたい、当校の生徒には、こうした服装ルールを守ってもらう、という姿勢を示すのであれば、選考基準に明示すればいいことである。あるいは、少なくとも、学校パンフやホームページなどの宣伝媒体がいまでは必ず公立学校でもあるはずだから、そこに我が校の生徒は、こうしたルールを守らなければいけないという程度でも明示しておくべきだ。事前に明示することのデメリットは考えられない。
 明示されない基準で、合格や不合格、つまり、在学契約の内容を自由に学校が裁量できるという議論は、逆に教育を円滑に進める上で、また、生徒の成長を促す教育という点で、大きな問題がある。
 従って、今回不合格にされた合格圏内の生徒は合格にされるべきである。しかし、校長を処分的な意味をこめて転任させる必要があったのだろうか。校長が、「明示しないことを断固として主張した」というなら別だが、来年度からは明示するという方針に転換するなら、別に転任させるほどのことでもないのではないか。また、明示しない基準によって、選抜を行なってもいい、という確信をもった人なら、そもそも校長として不適格といえる。生徒の基本的権利を理解していないことになるからである。

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