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zoom RSS 高校英語は「英語で教える」?

<<   作成日時 : 2008/12/23 22:47   >>

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 今日の新聞(12月23日)は、各紙が高校学習指導要領の改訂に関連して、英語の授業は「英語で」行なうことを基本とするということを報道している。朝日は社説で、「高校指導要領−−英語で授業 really?」という題をつけ、その現実性に疑問を投げかけている。
 ずいぶんと思い切った内容だが、朝日新聞の報道によれば、これを決めた会議で、「実現性に疑問」というような論議は一切なかったそうだ。そうした論議が起きないことが、およそ不思議な感じだが。
 
 そもそも英語は英語で、というのは、絶対的に正しいのだろうか。もちろん、ベルリッツのような方式も有力な方法としてあるから、その言語で教えることが、有効であるという側面もあるだろう。しかし、それは絶対的ではないし、また、通常の学校教育で、そんな教え方をしている「国」があるのだろうか。比較的高度な、あるいは抽象的な内容は、語学として学んでいる生徒にとっては、原語で説明されても理解するのが難しいから、かえって誤解を生じる面もある。
 
 高等教育の英語力を試すtoeflは、オランダとデンマークが常に一位、二位をわけあっているが、だいたいオランダが一位であることが多い。オランダは、英語が外国語である国として、国民の英語力がもっとも高い国として知られている。しかし、オランダの学校の英語教育は、すべて英語で教えている、などということは、聞いたことがない。
 ただ、はっきりしていることは、オランダの学校の先生は、みんな英語がちゃんと話せる、英語できちんとコミュニケーションがとれるということだ。だから、英語で説明することは可能だろう。だから生徒にとって有益なら、英語で説明できるが、普段からそうしているわけではない。わからないから学んでいることは、自分たちの言語で学ぶのがもっとも理解しやすいのは、誰だって同じだろう。
 
 日本の英語教育の最大の問題は、英語の先生が英語で会話できないということだ。英語で会話さえできない人たちが、英語で教えられるわけがない。ずいぶん前から、ネイティブの英語教師を中学や高校に招いて、生徒たちに教える授業が行なわれてきた。しかし、これは、大変な間違いだったと思う。そうした英語教師には、日本人の英語教師の英語力を高めるための講習をしてもらうべきだったのだし、また、今後もそうした方向に転換すべきだと思う。中学生に、挨拶のようなことばかり教えて、何の役にたつのだろう。確かに、経験にはなるかも知れない。しかし、英語の先生の英語力を高めることの方がずっと容易だったはずだし、また、その効果も高かったはずである。
 
 英語教師が、いざとなれば、ちゃんと英語を使える人であることは、絶対に必要であろう。
 学習指導要領というのは、ごくわずかな人しか読まないと思うが、本当に妙なことが時々書いてあるものだ。文章も、なさけないような日本語感覚で書かれていることが多い。今回のこの改訂内容は、現実性を欠いたものといわざるをえないだろう。

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