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正月かけて、アバド、ベルリンフィルのベートーヴェンの交響曲全集を聴いた。(見た。)ベーレンライター版を使用して話題になったということらしいが、なるほどと思わせる演奏だろう。ベーレンライター版といっても、あくまでも楽譜であって、それが演奏の質を規定するわけではないのだが、やはり、音の特に「強弱」のつけかたや、音のつなげ方、きり方については、これまでの楽譜とは多少違うものを求めた演奏が多いようだし(ジンマン)、そういう中で、このアバドの演奏はさすがと感じた。ジンマンの演奏は、少しも感動しなかったが、アバドでは、ベルリンフィルということもあるのか、あるいは映像がついているせいもあると思うが、ベートーヴェンはこういう演奏をもとめていたのかと思わせる。 まず強弱が極めて精密に計算され、伝統的には、pからfに移るときに、なんとなく自然にクレッシェンドする感じがあるが、楽譜に指定がない限り、いきなり強くなるし、強さの配分も段階的に制御されている。坂ではなく、階段を昇り降りする感じだ。またスフォルツァンドやスビートピアノって、こうやるのか、という模範みたいな演奏だが、それが実に大量にあるのに、きちんと実行されている。 次にヘーと思ったのが、弦楽器の数だ。アバドはベルリンの低音重視の演奏が嫌いだったらしいが、画面を通してよくわかる。コントラバスで一番多いのが9番で、それでも6人しかいない。あとは3番や5番などのダイナミックな曲でも4人。小型の1番などでは4人。チェロも少ない。管も増強している例はごくわずかで、ほぼ楽譜通りでやっている。 しかし、さすがというか、音量的な不満はほとんどなく、実にダイナミックレンジが広く、強烈な音がでている。そして、録音が非常にいいので、どんな強奏でも、中声部がきちんと聞こえる。 テンポが概して速めにとられており、表情付けなども古楽器奏法を研究したのだろうが、あくまでも近代的なオケであるベルリンフィルの特質が発揮され、叙情的な部分は極めて美しくたっぷりとしたビブラートがかけられた演奏だ。 古典派の演奏で最大の問題は、作曲家が接した自作の演奏は、必ずしも作曲家にとって最良のものではなかったということだ。モーツァルトの曲について、父親は常に、今の演奏家の技量では良さを発揮できないような、難しい書法で作曲されていると、息子に忠告を与えていたようだし、ベートーヴェンはよく知られているように、今の楽器や演奏者のために書いているわけではないと語っていたらしい。交響曲を演奏したのも、プロのオケではなく、寄せ集め集団だったわけであり、そんな演奏に満足していたはずがない。だから、当時こんな風に演奏されていた、などということは、あまり意味がないわけだ。 しかし、アバドの演奏を聴くと、ベートーヴェンの時代がもっていた制約を離れることなく、しかし、ベートーヴェンが心に理想的に描いた音楽はこんなだったのではないか、と思える。カラヤンの演奏は、ベートーヴェンが現在生きていて、特に楽譜をいじらなかったとしたら、こんなオケの編成で演奏されることを望んだに違いない、ということを考えての演奏のような気がする。 というわけで、アバドの演奏は極めて優れたものだ。イタリアで演奏した記録というのも、いい結果を生んだような気がする。 |
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