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zoom RSS 全国学力テスト秋田問題

<<   作成日時 : 2009/01/14 07:39   >>

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 秋田県の学力テスト参加問題は、大きな論点を提起している。
 この一連の動きの中で、最も重要な意味をもっているのは、文部科学省、県教育委員会、市町村教育委員会は、「同等」の団体であって、上下関係にはないことが、事実として浮き彫りにされたということだろう。市町村教育委員会が、明確に方針を文部科学省や県に反対する形で提起していることは、教育行政の実質的な民主化にとって、大きな意味をもつ。
 これまで、教育委員会に関しては、ふたつの全く異なる問題があった。
 第一に、文部科学省や県を「上部」のように考え、ほとんど無条件に従う傾向にあったこと。(もっともこれには、制度的背景があったことも事実であり、市町村側を責めることはできないだろう。)第二に、その結果として、自ら方針をたてるという姿勢が極めて弱かったことである。今回の学力テスト問題では、文部科学省に大きな「矛盾」があるのだから、県や市町村が予定調和的に処理することは、もともと困難だったのである。
 
 他方、寺田秋田県知事の発言は、新聞に紹介されている限りでは、大きな問題を感じる。
 読売新聞の1月10日版は次のように報道している。
 
−−−
  寺田知事は9日、県庁で報道陣に対し、「教育はプライバシーを除いてはオープンであるべきだ。私の考えは変わらない」と述べ、新年度の全国学力テストの成績も公表すべきとの考えを示した。

 知事は、藤里町教委が「結果を公表するならテストには参加しない」との方針を県教委に報告したことについて、「試験があるのに放棄するというのは、義務教育のあるべき姿ではない」と批判した。
−−−

 「プライバシー」とそれ以外がどこで線引きされるのか不明であるので、なんとも言い難いし、また、オープンであるということの意味もまた、これだけではわからない。つまり、意味によっては、かなり問題であると言わざるをえない。
 
 私も教育については、できる限りオープンにすべきであると考える。例えば、学校の授業などは、とくに支障のない限り、市民がだれでも、いつでも参観できるのが望ましいと考えている。それではまずいという場合もあるだろうから、参観を不可にすることが学校側に認められるべきであるとは思うが、いわゆる学級王国(10坪主義)は克服されるべきだ。しかし、そこで行なわれていることを、だれかが「勝手に」記事にして公表していいかといえば、それは違うだろう。授業を参観するというのは、その場を共有することでもある。私は、大学で授業をしているときに、外部の人が見たいといえば、少なくとも学生が合理的な理由で否定しなければ、認めるだろう。しかし、参観する以上は授業に参加している気持ちをもってもらわねばならないと考える。つまり、その参観者に意見を求めることも、当然ありうる。
 オープンは「参加」「参観」がオープンなのであって、それ以上に、そこの情報が更に外部に知らされることについては、その場を共有した人の「合意」が必要である。だから、新聞記者がある授業に参観を許されたとしても、それを記事にするのは、また別の許可が必要である。これは常識だろう。
 
 では「試験結果」というのは、どうなのか。これは、プライバシーなのか、それ以外なのか。もちろん、公表という場合、プライバシーは「個人」ではなく、「団体」であっても、公表にその合意が必要という点では、同じであろう。そういう意味では、明らかに寺田知事の見解は間違っている。寺田知事は、公表については市町村の意思ではなく、文部科学省の規則によって可能であるという立場だからだ。
 
 また「試験があるのに放棄するのは、義務教育のあるべき姿ではない」という批判も理解不能である。教育は試験のためにあるわけではない。試験はあくまでも教育をよりよく行なうために行なうものであって、そのためには、教育を行なっている者の判断こそが重要であって、外部の機関が試験を行なうことは、自動的に強制するようなことではない。実に非教育的な発言だ。
 
 また、ここには書かれていないが、別の記事では、教育委員会が試験に参加しないのは、子どもの試験を受ける権利を侵すものであるという趣旨の寺田発言が紹介されていた。これもまた実におかしな発言というべきだろう。
 この全国学力テストは、「権利」として実施されているのではなく、文部科学省のかなり恣意的な判断の元に「強制された」つまり「義務」として実施されている。子どもにとっては、権利性はまったくないというべきだろう。権利というからには、子ども(親)の主体的な判断で、参加したりしなかったできなくてはならない。知事という重要なポストにある者が、権利という言葉を、これほど粗雑に使うというのは、民主主義のレベルを表していると見るべきなのだろうか。

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