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zoom RSS 学位審査と金銭授受

<<   作成日時 : 2009/02/05 09:34   >>

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 東京医大の学位審査のあとの謝礼について、朝日新聞で報道されている。博士論文の審査の後、審査員の教授に論文提出者が一人あたり10万程度の謝礼を慣行的に支払っていたという問題だ。文部科学省は、2008年に横浜市大で同様の問題が発覚したときに、「審査を厳正に」という通知を出していたが、東京医大では継続していたということらしい。
 もちろん、申請者が謝礼金を払うというのは、学位という制度にとって大きな問題であるが、こうした金銭の授受が一般的に行なわれているようには思えない。実際に私自身学位を取ったが、謝礼など考えもしなかった。また、学位授与式のようなものがあって、そのときに、5人くらい同時に取得した人と教授が数名が出席したが、そのあと同じ部屋でお茶とケーキが出た。学部長が、「こういうのは、ほんとうは受けた人が開くものだと思うが、ここでは大学がやるんだなあ」と冗談まじりに言ったとおり、費用は私たちは出さなかった。どこから出たかはわからないが、全員分でも5000円程度のものだった。
 
 しかし、謝礼がなければ問題ないというわけではない。もともと、医学部関係でこうした謝礼問題が発生するのは、審査にかかる仕事量とその対価が、通常の医学部教授がやっている仕事と対価にまったく見合わないからだろう。万単位の自給で働く人たちが、かなり大変な論文審査をして、その対価が3000円というのでは、ばからしくてやっていられないに違いない。そのままだったら、審査がいいかげんになるし、ちゃんとやろうとしたら、それなりの対価を要求するのは当然である。内心10万でや少ないと思っているかも知れない。
 
 だからといって、申請者に数十万円の費用を負担させるというのも、おかしな話だ。大学予算のなかに、適正な額をいれるべきだろう。
 
 さて、謝礼がない状態であれば、厳正な審査が行なわれているのか、というと、そうもいいきれない。端的にいえば、「政治」「人間関係」で動く面が少なからずあるといえる。審査は通常学内関係者で行なわれるから、下手に厳しくすると、自分の弟子が出したときに、しっぺ返しをされる危険があるから、そこらをうまく利用できる人が、パスさせる力をもつことになる。また、同僚に頭を下げられれば、無下に不合格にはしにくくなるという面もあるだろう。
 
 だいたい、学位というのは、そんなに大切なものだろうか。夏目漱石が、文部省から学位を授与されることになったときに、断り通したことは有名だ。学位という制度に疑問を呈したわけだが、学位に限らず、知的世界に「制度」が入り込むことが、プラス面とマイナス面をもつことは他にもある。戦前の留学などもそうだろう。留学については、川上肇の批判があった。つまり、それを享受できる人たちから、厳しい批判も受けた「知的制度」なのである。現に、教授の公募で、「学位」を必要要件にすると、実はあまり優秀な人材が応募しなくなる傾向もある。日本では10年程度前までは、学位をとることが、特に文系では難しく、無理に学位をとろうとしなかったために、学位取得に興味のない優秀な研究者がたくさんいたからだ。それはそれとして健全なことだったと思う。
 
 ただ、学位制度がある以上、公正に運用されなければならないと思う。そのために必要なことは、審査に外部研究者を必ず入れることが、最低限のことだろう。身内に甘いのは、けっして相撲の世界だけではない。また、審査ができるだけオープンにされる必要がある。不当に甘くしたり、不当に辛くしたりすることは、オープンにしなければ防げないはずである。
 

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