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zoom RSS 中教審答申の検討(1)

<<   作成日時 : 2009/03/06 11:51   >>

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 教育政策の分析をする必要があり、とりあえず、中教審の答申を検討しておくことにした。21世紀になってから出された中教審の答申を順次検討したい。まず第一弾として、2002年2月21日の「大学における社会人受け入れの推進方策について(答申)」である。

 目次は以下の通りである。

大学等における社会人受入れの推進方策について(答申)
はじめに
基本的考え方
具体的な方策
1 学生が個人の事情に応じて柔軟に修業年限を超えて履修し学位等を取得する仕組み(長期履修学生)の導入
(1) 対象となる学生の位置付け
(2) 長期履修学生を受け入れる高等教育機関
(3) 在学年限及び年間修得単位数
(4) 配慮事項
2 専門大学院1年制コースの制度化
(1) 対象者
(2) 分野等
(3) 教育方法,修了要件
(4) 教育研究水準の確保,評価制度
(5) 教育研究環境等の整備
3 通信制博士課程の制度化
(1) 分野
(2) 教育方法,研究指導
(3) 教育研究水準の確保,評価制度

 基本的な認識として、現代社会は高度な技術革新の時代で、「個人が自ら積極的に学習を行い、高度で多様な職業能力を身につける」ことが求められており、そのために大学が社会人の教育を積極的に行う方策を提起したというものである。具体的には、修業年限を超えた学習を可能にすることが、柱となっている。また、専門大学院の充実を重視し、従来のアカデミックな修士論文ではなく、大学設置基準にも規定されている「特定の課題についての研究成果の審査に合格」するという日常的な教育重視を強調している。
 そして、教育研究環境の整備として、インターネット利用、図書館の利用時間延長、オフィス・アワーなど。そして、通信課程の博士課程なども、慎重ではあるが、提案されている。

 中教審答申としては非常に短いもので、要するに、社会人は通常の学生よりも長期間の履修が保障されることが必要である、また、通常の授業に出られなくても、学習が可能な環境を整備するということにつきる気がする。
 しかし、程度の差はあれ、このようなことは、履修年限などは、4年に限っている大学などないだろうし、通常最大8年だから、これでも不足なのか、それが曖昧であるし、また、インターネット等の利用については、インターネットが整備される段階で、大学はほとんどができるだけ利用可能な環境を整えている。つまり、大学の自主努力で行われていることを、提言しているに過ぎない印象がある一方、社会人が学ぶ上で障害となっていることに、ほとんど切り込んでないという印象を拭えない。これで、社会人が大学で学び安くなるなら、既に多くの社会人が職業と両立させながら、あるいは一時的に休業しながら、大学や大学院で学んでいることだろう。アメリカやヨーロッパでは、社会人や中高年の学生は多数在籍しており、それが社会全体の知的レベルをあげているだけではなく、通常の若者の大学における学習にとっても、非常によい結果をもたらしている。

 なぜ日本ではそれが難しいのか。
 基本的には、これまでの日本の企業は、入社してから研修をすることによって、仕事に必要なことを学ぶ体制が基本だったために、社員を大学で学ばせるというシステムになっていないことがある。企業内教育という日本的経営が、少なくとも大企業では一般的だった。しかし、流動的雇用の増大や、企業における負担の軽減ということで、企業内で十分な研修や教育ができなくなりつつあるという状況が、こうした中教審答申になっているわけだが、しかし、長時間の残業等による、仕事に縛られている体制はあまり変化しておらず、大学に行く時間がとれないというのが、まずは大きな理由のひとつだろう。
 また、ヨーロッパの大学と違って、日本の大学は授業料が非常に高い。アメリカも州立大学は、日本ほど高くない。日本で私立大学に通常の学生として通うには、相当な出費を覚悟する必要があり、それに堪えられる社会人は少ないだろう。
 企業が大学で学ぶことを奨励するならば、あるいは政府が日本社会の発展のために有用であると考えるならば、双方の協力による社会人が大学で学ぶための奨学金(支給方式)を創設かつ充実させる必要がある。

 また、長期履修の学生といっても、日本の大学の授業料は「年間」単位で決まっていることがほとんどで、履修単位数で支払う大学は、私はあまり聞いたことがない。私自身は、それが非常に合理的な授業料徴収方式だと思っているが、そうすると、日本の大学は3年までに単位をとってしまって、4年ではほとんど授業がない学生が、少なくとも文系では多いから、大学としてはこまるという考え方にたっているような気がする。履修単位数に応じて授業料を払うシステムでないと、社会人のための長期履修保障は難しいはずである。そうした観点がこの答申ではまったく欠けている。

 更に、極めて大きなことは、会社側の保障の問題である。もちろん、インターネットなどを利用した学習の部分を多くすれば、働きながら学ぶことは、少しは容易になるかも知れないが、それでは、大学で学ぶことの利点を十分に発揮できない。やはり、通常の授業に出席できるような学習形態を軸に考えるべきであり、そのためには、企業に対しての措置が必要であろう。有給休暇を自由に、かつもっと多く取れること、教育休暇のような制度を設定すること、復帰を保証すること、こうしたことを、法的に義務つけるようにならなければ、意欲的に学ぶことは難しいだろう。

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