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zoom RSS 中教審答申の検討(2)

<<   作成日時 : 2009/03/06 17:10   >>

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 第2回は、「今後の教員免許制度の在り方について」(答申)2002.2.21について。
 教員免許については、この答申で一端否定された免許更新制度を提起した答申が2006年に出される。つまり、5年弱の間に中教審で逆の内容の答申が出されたことになる。

 諮問事項は以下の3点であった。
1 教員免許状の総合化・弾力化について
2 教員免許更新制の可能性の検討について
3 特別免許状制度の活用促進について

 第1は、小学校から高校までの様々な教科の免許について、縦断横断的に使える免許形態にできないかという意識が文部科学省にあったようだ。そうすることによって、学校間の相互協力がよりスムーズにいくし、また、不足しがちな領域を補い安くなる。
 第2は、特に社会的に問題視されてきた「指導力不足教員」を排除するための方策として、免許更新制度を検討するということである。
 第3はこれまでの学校教育に関わる教員では、対応が難しいが、社会人を活用することで対応しやすい、情報化、国際化等で、社会人を教員として活用するための、通常の免許がなくてもよいとする方法を、どこまで広げられるかという問題意識である。しかし、これは表面上、新しい分野の人材獲得といっているが、当時言われていたのは、リストラされた人材の受け皿として学校を利用するということだった。もちろん、その真偽はわからないが、そのことも念頭に起きながら検討する必要があるのだろう。

 21世紀になって顕著になってきた教員政策は、一方での高度化・高度専門職化であり、他方専門性の値引きである。まとめて言えば、教職を多層・重層化する政策が押し進められてきた。このことは、高度成長期に論議された「教職の単層論と重層論」の問題からすれば、既に政策的には重層化が進んでいたのを、より徹底するということを意味する。しかし、そのことが、教職の水準を向上させたかどうかは、全く別の問題である。

 答申は、第1の課題について、早急かつ積極的に総合化・弾力化を押し進めるべきだとする。
 早急に対応すべき領域として、小学校における「専科指導」の充実とあげる。そのために、中学の理科教師を小学校でも教えられるようにするというのがポイントであろう。

 「小学校高学年では,専科指導の充実も含めた指導方法(学習集団)の多様性が求められており,チームによる指導を推進する指導方法の在り方が課題となっていることから,小学校における各教科及び総合的な学習の時間の指導充実を図るため,教科に関する専門性の高い教員が担当できるよう免許制度上の措置を講じることが重要である。」

となっているが、中心が理科であることは推測できる。また「総合的学習」がこの方法で解決できる問題でないことも明らかだろう。更に特殊教育の障害の重複化に対応するための総合化も主張されている。これはやがて「特別支援教育」へと発展していくことになる。 そして、幼稚園から高校までの免許の総合化については、発達段階等に則した教育を十分に研究した上で実施すべきであるとして、答申では否定的な方向を示している。

 ところで、この小学校における理科を中心とする「専科」化の方向性は妥当なのだろうか。理科を中心に教える専門的な教師がいてもいいとは思うが、そうした専科化には疑問を感じる。日本の小学校の教師は、主要4教科の上に、芸術科目や技術科目、そして体育を教える。しかし、ヨーロッパの小学校教師は通常主要4教科を教えるが、その他の科目は専科の教師が教えるのが普通である。もっとも、規模の小さいヨーロッパの小学校では、音楽や美術の教師がそれぞれの学校の専任となるのが難しいので、複数の学校を掛け持ちする形が多い。私はその方が合理的であるように思われる。というのは、芸術や体育は得手不得手の幅が大きいのに対して、主要4教科については、小学校の教師としては「苦手」であることは許すべきではないからである。非常に負担の大きな、また、苦手とする教師が多いはずの、芸術や体育を残して、理科を専科化するのは、合理的な教育活動の向上策とは言い難いと思うのだ。
 ただ、私の勤務校の教育学部では、小学校から高校までの基本教科の免許取得が必修になっているので、まさしくこの答申をより進めた形での教員養成になっている。しかし、中学への就職は少ないし、高校はほとんどいないと思われる。

 総合的学習は、多くの場合あまり成功しているとは言い難い。そして、PISAの低迷のあおりで新学習指導要領で削減されてしまった。総合的学習に関する教員免許については、考慮されなかったのだろう。必要な養成上の措置がとれらることなく出発した形だが、ここでもその問題は掘り下げられていない。

 第2の免許更新制度については、明確に退けられている。不適格教員、指導力不足教員の排除を目的とした諮問だったが、それは分限処分で行う方が適切であり、免許更新で対処するのは、かえって問題の解決を遅らせるという、しごくまっとうな判断がなされている。さらに、免許取得時には無期限であったこと、他の公務員には期限付き免許は存在しないこと、等が考慮された。4年後何故この方針がひっくり返されたのか、それは次の答申で検討する。
 更新制度は否定したが、「信頼される学校づくりのため」の方策を5つ提案している。
・学校からの情報提供の充実
・授業の公開の拡大
・学校評議員制度等の活用
・学校評価システムの確立
・新しい教員評価システムの導入
 しかし、後2者については、具体的な案が提示されているとはいえない。だから「新しい」という形容詞がついているのだろう。この答申全体に研修における「自主性」の強調と、更新制の検討に現れる「管理性」の正反対の方向性を併存させており、結局、矛盾が解決されない内容となっているといわざるをえない。

 第3は、明確に教職の専門性低減の方向を示している。そして、答申もその方向を支持した。
 「大学における教員養成」は戦後改革の柱となる原則であった。事実上その原則は、特別免許、臨時免許、認定資格試験等で一部崩れていた。もっとも、実際のところ、教員養成学部では、「大学」にふさわしい研究・教育条件が十分に保障されていなかったから、原則は完全に実現していたわけではないが、ただ、大学である以上、自由な研究を行いながら、資格をとるという建前は存在し、一部とはいえ、学生たちはそういう形で学んできた。
 しかし、答申はこの原則そのものを否定しているように感じられる。
 特別免許においては、それまであった「学士」の要件を削る提言をしている。情報化や国際化に対応するという目的であれば、「特別非常勤講師制度」があり、確かに非常勤講師であれば、学士である必要はないだろう。しかし、担任をもち、学校の運営に携わる教員は、学士である必要があるのではなかろうか。
 (1)で検討した答申は、社会人が大学で学ぶことを促進するためのものだった。その同じ審議会が、学校の中核となる教師になるなら、社会人として大学で学びつつ、資格をとってからという提案をしなかったのだろうか。基礎要件は短大でよいのだから、それほど困難ではないはずである。

 私には、この教職の専門性低減の施策は、管理対象として教師を考え、底辺教師はそれでよいとする発想があるように思われる。しかし、それで、「信頼される学校」の担い手となれるのだろうか。多いに疑問である。

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