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zoom RSS 中教審答申の検討(4)

<<   作成日時 : 2009/03/18 04:54   >>

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 教養答申の第3章は、「どのように教養を培っていくのか」を扱っている。そして、これまで教養は「高等教育」で問題とされてきたが、答申は「生涯の課題である」として、幼児の段階から成人まで、教養を形成するものと把握する。これはかなり大きな展開であろう。
 確かに、大学では「教養課程」とか「教養科目」という区分があり、今は単位制限が外されているが、私が大学生のときには、教養科目で履修すべき単位がたくさんあり、しかも、語学や「社会科学」「人文科学」「自然科学」などに分類されている科目から、それぞれ何科目ずつとっていくことが求められていた。今は大学では教養科目は縮小の方向にあり、法令的にもゼロで構わないことになっているが、まだ多くの大学では、いくらか残しているはずである。ところが、高校以下には、「教養」と名付けられた科目は存在しない。しかし、ヨーロッパの言葉との関連でいうと、必ずしもそうではない。
 高等教育だけではなく、広く子どもから成人までと考えると、「文化」と相違がないように感じられるが、英語では、教養と文化は同じ culture という言葉になる。だから、同じでいいのかも知れない。しかし、ドイツ語では、教養は通常 bildung という言葉と対応させ、文化は kultur と対応させる。bildung は形成するという意味だから、内容よりは、内容の修得過程を重視するニュアンスがあるのだろう。
 いずれにせよ、高等教育だけではなく、子どもから成人までの生涯を通じての教養形成を視野にいれたことは、妥当であろう。

 さて、教養教育を考えるにあたって、重視すべき点が3つあるという。
1 主体的な態度の形成
2 生涯にわたって新しい知識を獲得・統合していく力の育成
3 異文化接触、多様な文化を理解する
 そこで、各段階の獲得内容が列記されていく。おおざっぱにまとめていくと
・幼・少年期の課題 成長の為の受容体の形成、道徳・生きる力の形成
 何をするか 
  豊かな知恵のために 我が家の決まり、しけつ、文化施設の活用、居場所作り
  基礎学力のために  基礎の徹底指導、読書指導、評価の研究
  意欲・態度のために 授業に体験活動、進度に応じた指導
  豊かな人間性のために 道徳教育、知・徳・体の調和
  教師の力量向上   研究・自己啓発活動、社会体験研修、教員評価

 これが小学校・中学校の時期の課題と具体策である。基礎学力の部分では、社会人や学生によるTAの活用や、中学・高校の教師が小学校で教えるなどが提言されている。率直なところ、これで基礎学力が「低下しているにもかかわらず、向上させることができる」ための措置として、有効であるとは思えない。中教審の答申の特徴は、現状があり、対策があるが、原因の分析がないことである。それは中教審の日程表をみるとよくわかる。当初有名人を招いてヒアリングをしており、その次は自由討議になっている。そして、素案ができ、その間1年半であるが、課題に関する調査研究をどこかに依頼し、その結果の報告をうけて討議したという形跡は見られない。ヒアリングの中でそのようなことが話題にはなっているだろうが、しかし、それは個人の意見に過ぎないだろう。この答申についても、そうした調査研究の結果を踏まえた形式にはなっていないのである。

 従って、提言もいかにも抽象的なお題目に留まっている。学習意欲が低下したことは、いろいろな調査によって示されているが、その原因は、いくつか考えられる。(これは別に調査したわけではない。私の主観である。)
 第一に、教材がつまらないから。教科書は検定と無償配布によって強化されてきた教科書会社の淘汰によって、非常に画一的で内容的にも興味をそそるとは思えないものがほとんどである。
 第二に教師の力量が落ちている。教師への締めつけ、授業以外の作業の増大、それに伴う授業準備の不足、にもかかわらず、あまり有効とは思えない研修の押しつけ等々によって、教師が育たなくなっている。
 第三に、競争圧力の低下である。日本の教育は明治以来一貫して、競争によって子どもたちに学習を喚起してきた。しかし、今は大学全入の時代である。欲張らなければ大学まで行くことは難しくない。競争が必要でなければ、競争的な勉強をする者はほとんどいない。特別の大学に強い意欲をもっている者だけが競争に参加する。
 これは現状を考えての論理的な理由付けである。中教審のような組織は、研究チームに依頼して、これらの原因がどれに近いのか、また別のことがあるのか、調査研究をして、その成果を踏まえて提言をしなければならない。それをやっていないから、お題目になるしかないし、現状を打破することにもならないのである。もちろん、ひとつひとつの提言はそんなに間違っていることではなかろうが。

 そういう「虚しさ」が特に目立つのが、「教員の力量を高める」という部分である。
 教員は生涯にわたって教育者としての力量を高め、教養を磨くことが必要であるとされて、以下のように書いている。

 「教員が自ら研究したり,読書等を通じて自己研鑽に励む姿は,子どもたちにあこがれの気持ちを抱かせ,向学心を高めるなど良い影響を及ぼす。教員の研究活動を奨励したり,教員用の図書や映像資料を充実したり,校内で教員と子どもが一緒に読書できるスペースを充実するなどの取組が求められる。」

 研修の自由は戦後一貫して、文部省は否定的であり、実際に多くの民間教育研究団体への教師の参加に対して、制限的に対応してきた。教育委員会が行う研修は、授業をつぶしてでも義務として参加させているのに対して。そして、後者においては、多くの教師が居眠りなどをしており、効果の程を疑わせるものであることは、残念ながら否定できないことである。子どもの前で自己研鑽している姿を見せることが期待されているが、それならば、教師が抱える多くの無駄な事務(管理のためとしかいいようのない書類書き)等を減らす提言をしなければ、絵に描いた餅にしかならないだろう。他方、土日は地域の一員としてボランティアをやれというのでは、いつ、研究などやるのだろうか。
 また、研究をするためには、また、子どもの前で読書するには、そうした書籍を購入できなければならないが、教員が自由最良で購入できる図書費を認めている自治体がどれだけあるのだろうか。また、認めていたとしても、どの程度の金額を保障しているのだろうか。
 そして、最後に評価で教員に格差をつける政策が締めになっているのだから、およそ「教養」概念を否定していることになるのではなかろうか。
 ランジュバン・ワロン計画で有名なランジュバンは、「教養は人を結びつけるものである」と述べたが、この答申全体においては、結びつきを阻害する競争の媒体として位置付いているように思われる。

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