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zoom RSS 「除斥期間」再論

<<   作成日時 : 2009/05/06 18:31   >>

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 26年後に殺人が発覚したことによる損害賠償の請求権があるかとどうかが争われた事件での書き込みについて、間違いを指摘され、その後いろいろと考えてみたので、再度書いてみる。またまた、間違いがあるかも知れないが、そのときはご寛恕願いたい。なお、最高裁のホームページから、判決文を入手した。

 前回の書き込みで、勘違いをしたのは、法律上の知識であって、結局は考えという点では、変化がなかった。そして、最高裁の判決を読むと、もちろん、請求を認めたという部分については大賛成であるが、しかし、素人の素朴な感覚からすると、その論理はいかにも法律家の詭弁という感じがする。最高裁は違憲立法審査権ももっており、法形成に対しての発言権を事実上もっているのだから、もっと踏み込んだ、すっきりした論理を構成すべきだったのではないかと思う。しかし、逆にそうしなかったのは、最高裁としての「政策」的意図があるのだろうか、と逆に邪推してしまう。

 まずは判決を検討してみる。

1 事件の事実経過
 小学校の教諭だったAを、学校警備主事だったD(判決文では上告人)が1978年に学校内で殺害し、死体を自宅床下に埋め、自宅を塀で囲んだりして隠匿した。
 Aの両親B、Cは警察に捜索願いを出して捜したが、手がかりがつかめなかった。1982年にBが死亡したので、CとAの弟が権利義務を相続した。
 1996年頃からDの自宅を含む土地が区画整理事業の対象となり、当初明け渡しを拒んでいたが、最終的に明け渡しを余儀なくされたので、発覚が避けられないと思い、2004年に自首した。約一カ月後、Aの死体であることが確認され、Cや弟たちは死亡を知った。
 そして、2005年に損害賠償請求の訴訟を起こした。
 Cは2007年に死亡した。

2 判決の論理
 問題は当然民法724条の後段の解釈である。(*1)

(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)
第七百二十四条  不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。

 この後段を、最高裁はこれまで「除斥期間」と解釈してきたが、以前の最高裁判決での判断を踏襲した。そこで判決は、一端

「不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきである」

と判断している。
 除斥には、中断や停止がないのだから、ここで、あえてこの条文が除斥期間であることを定めたものであると解釈したなら、請求を認めないのが筋だろう。

 報道によれば、実際にこの論理で多くの損害賠償訴訟、特に国に対する保障が認められない状況があったという。従って、この「除斥期間」解釈を政策的に捨てるわけにはいかない、という想像をせざるをえないのである。

 しかし、この場合、殺人事件であり、しかも殺害された事実自体、長期間知ることができず、知った時点では既に20年をはるかに過ぎていたわけであり*2、これが賠償請求できないとなると、明らかに社会正義に反するので、ここから、なんとか、「例外として」請求権を認める必要があると判断したのであろう。だが、自ら一端否定した論理をひっくり返す必要がある。

 そこで以下のような論理が使われる。

 第一に民法160条と915条。
 民法160条の「相続財産に関して、相続人が確定してから6カ月を経過するまでの間は時効は成立しない」規定を使っている。判決は、「相続人が確定しないことにより権利者が時効中断の機会を逸し、時効関係の不利益を受けることを防ぐ」という趣旨と、「第九百十五条  相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。 」という規定の「知った時から」という規定を使い、結局、「知らなければ請求もできない」という論理を使い、結局、除斥期間の意味を無効にするのである。

 「相続人が確定しないことの原因を作った加害者は損害賠償義務を免れるということは、著しく正義・公平の理念に反する。このような場合に相続人を保護する必要があることは、前記の時効の場合と同様であり、その限度で民法724条後段の効果を制限することは、条理にもかなうというべきである。」

 新聞報道及び判決だけでは、事実関係が不明な点があるので、厳密には言えないが、「相続が確定していない」という事実があったのだろうか。被害者は29歳の女性であり、子どもがいたかどうかは書かれていない。親の財産に関しては、弟が相続したと判決で書かれている。子どもがいたにしても、いないにしても、殺害されて20年以上、被害者の相続対象となる財産の相続が放置されていたとは考えにくい。
 あるいは、損害賠償請求権は相続されていないということなのだろうか。もちろん、殺害されたことを知らないわけだから、損害賠償請求権など想定外だろうが、少なくとも20年間生存しているという前提での扱いをしていたとも考えにくい。というのは、弟が親の財産を相続しているからである。

 とりあえず、最高裁判決の論理は、請求権に関する相続人は確定していない、発生することを知った時点から一定期間内に(原則3カ月だが延長できる。)手続する。そして、その場合、請求権が生じるので、それは「知ってから」という論理が妥当する、ということだろう。

 次に「正義・公平の理念」であるが、そもそも不法行為の賠償請求に時効を認めているということは、かなりの部分が、正義・公平の理念に反するものなのではないだろうか。もし、それをを徹底させれば、時効概念は成立しないだろうし、また、「権利の上に眠る」者の救済をしないという原則に照らしても、除斥期間を設けることは、「知っているにもかかわらず」なのだから、「正義・公平の理念」とは相いれない。そして、中断や停止のない除斥期間と解釈したにもかかわらず、知らない状態で請求できないのは、おかしいというのでは、除斥期間だけではなく、時効すら否定しているように読める。

 もちろん、社会正義に反することは事実だから、救済の論理が必要である。最後に、「条理」を持ち出している。
 しかし、条理は、実際の条文を無効にするほどの効力をもたせていいのだろうか。条文や慣習法がない場合に条理解釈ということが、通常言われていると思うが、実際に存在している条文を無効にすることまで、条理で許されるというのは、素人には不可解である。*3

 そして、最高裁判決の結論は次の通りである。

 「被害者を殺害した加害者が、被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し、そのために相続人はその事実を知ることができず、相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において、その後相続人が確定した時から6カ月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなどの特段の事情があるときは、民法160条の法意に照らし、同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」

 少数意見を表明した田原裁判官はどうなのだろうか。
 田原見解は、724条後段は除斥ではなく、時効だというものである。そして、160条が直接適用されるので、請求が認められるというのである。
 
 ただ、724条後段を、日本語の文章として素直に読めば、「除斥期間」と解釈するのが自然だろう。「同様である」というのは、「消滅する」点で同様であると通常理解されるだろう。前段が時効による消滅で、後段は20年経過による消滅ということだろう。

 田原見解は、「民法724条後段の規定を時効と解することにより、その適用は加害者の援用をまたなければならないと解することになるが、そのことにより、個々の事案において、その援用が権利濫用や信義則違反に該当すると認められる場合には、その援用の効力を否定するという既に確立した手法を用いることができるのであって、損害賠償請求権という個別性の強い事案において、当該事案に応じた社会的に妥当な会質を導くことができることとなるのである。」と述べ、この場合、権利濫用、信義則違反であるから、後段の援用を否定することができるという論理である。
 これもまた、素人的であるが、そもそも不法行為は、権利濫用か信義則違反なのであるから、その場合には、時効の援用を否定できるというのであれば、常に否定できるわけだし、個々の事案によって判断するのであれば、法的安定性そのものを否定することにならないのだろうか。後段の意味はないというならわかるが、線引きのあいまいな解釈はマイナスなのではなかろうか。

 損害賠償請求権という債権の相続という観点から考えれば、殺人事件の場合には、必ず同様な事態が起きるのだから、どちらにしても、殺人事件の場合は、相続が未確定であるから、民法160条と915条によって、何年たったあとでも、損害賠償請求をすることができる、という解釈を確定したものであるなら、それはそれなりに、論理としてはわかる。しかし、レイプされて自殺した場合、あるいは、殺人事件でも、殺害事実そのものは発覚して、犯人がわからず、ただし、正式な相続手続が済んでいる場合など、さまざまな場合があるが、それらが個別に請求権があるかどうかが問題となるのは、被害者救済にとって望ましいとは思えない。また、殺人事件だけを救済するというのも、社会正義に適うとは思えない。

 結局、権利濫用であり、信義則違反である不法行為については、「知ってから3年」という原則を常に適用すればよい、というように私には思えるのである。ならば、後段は「違憲」(憲法13条に反する。)という判断の方がすっきりするように思うのだが。「国への請求権を制限するという意図から、除斥期間を残す」などということがないように、現在検討中という時効制度の見直しに際しては、願いたいところだ。

 ということで、結局は、法的知識という点では、誤解に基づく見解を書いてしまったが、最終的結論としては、「知ってから」という原則を「例外として」ではなく、「常に」適用することが最も合理的なのではないかという結論は、同じであった。

*1 この条文を前回チェックせずに書いてしまったので、間違った解釈をしてしまった。
 なおその際の「知ってから」というのは、当然この条文を記憶していたので書いたのだが、必ずしも「知ってから」という規定はない、と指摘を受けた。条文上、規定がないのが多いのは当然だが、「知ってから」という規定がない場合に、「知らなくても」ということが前提となっているかというのは疑問である。そもそも法的行為は、全く知らなければ実行しようがないのだから、時効という権利義務関係において、通常はそれを知っている、あるいは関係者として知っておくべき、知っているのが当然という場合がほとんどで、その場合、知らないのは当事者の怠慢ということで、「権利の上に眠る者」ということになるのだろう。したがって、それを含めると、時効の期限は「知っていること」を前提としていると考えるのが自然なのではないだろうか。

*2 素人考えであるが、この724条の20年という規定は、殺人罪の時効が15年であったことを受け、もっとも大きな権利侵害である殺人を考慮し、20年と定めたものだろうと推測する。しかし、現在は殺人罪は時効が25年にのびたのだから、この不法行為に対する賠償請求の期限も25年を基準に30年あるいは35年とすれば、少なくともこのような事例については、問題なく扱えたわけである。(もっとも法の遡及の問題があるかも知れないが、法の不遡及を規定したのは憲法的には刑罰であるから、損害賠償には原則禁止はないものと理解すると、可能であったと解釈できる。)


*3 条理については、私が学生だったころ、教育法学を前進させた兼子仁教授が、極端に言えば、「条理に反する法は無効である」と、法律として成立しているものまで、無効にできるようなことを、よく強調していたのを覚えている。さすがに、すっきりしないものを感じたが、確かに、教育関係の法は、条理に反するものが多い。また、条理に反することが、行政的に強制されることも少なくない。例えば、東京都教育委員会は、都立高校の校長に対して、職員会議で挙手をさせてはならない、というような馬鹿げた通達を出している。つまり、教職員の意見を聞くことすら認めないというに等しい内容である。そんなことが、ずっと以前からまかり通っていた状況があるので、兼子教授のような条理を重視する見解が出てきたのだろう。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
前回誤りを指摘した者です。
お節介かもしれませんが、相続人の確定に関して簡単に説明しておきます。

>「相続が確定していない」という事実があったのだろうか。

相続人は、「自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内」に相続放棄をしない場合に確定します。
つまり、「その期間に相続放棄をしていない」ということが、「相続人が確定していない」という事実に当たります。

「相続の開始」と「相続人の確定」は別次元の問題なので、「相続が開始したが、相続人が確定していない」というのは両立するのです。

「相続の開始」は「死亡」という事実によって当然に生じるものです。
現実に被害者が死亡している以上は、理屈の上では当然に相続が開始しているので、被上告人らが「権利義務を相続した」ということになります。
これは「被害者の死亡→相続開始」という、単なる事実関係を述べているのであって、実際に被害者の家族が被害者の死亡を認識しているということを意味しません。

したがって、「生存しているという前提で被害者の財産は放置していた」ということです。
通りすがりの法学徒
2009/05/07 05:09
長くなったので分割。

*1の疑問について。

「そもそも法的行為は、全く知らなければ実行しようがない」というのは、その通りですが、時効の完成(=権利の消滅)は法的「行為」ではなく、時間の経過によって生じる「事実」です。

915条のように「債権者が知った時から○○年」という規定の場合は、知った時から時効期間が進行しますが、そうでない限り、債権者が知っているか否かに関わらず、債権行使に関して法的障害が無くなった時から一定期間の経過で債権は消滅します。

(「債務者側」は時効の完成を知らなければ援用できませんが、それはまた別論)


「権利の上に眠る者は保護しない」という場合、「債権者が知っていることを前提としなければおかしい」というのはもっともですが、時効の趣旨はもっと多元的で、一般的には「権利の上に眠る者は保護しない」「永続した事実状態の保護」「過去の事実の立証困難の証明」等が存在理由とされています。
したがって、「権利の上に眠っているとはいえない」場合にも「永続した事実状態の保護」という趣旨から時効が完成するのです。
通りすがりの法学徒
2009/05/07 05:17
長くなって済みません。
本文の内容に関しては、ほぼ完全に同意見です。

今回の判決は結論として妥当ですが、無理がある解釈です。
また、いろんなパターンの事件の解決には役に立ちません。
「殺人事件でも、殺害事実そのものは発覚して、犯人がわからず、ただし、正式な相続手続が済んでいる場合」には、今回の理論構成では対処できない・・・というのは、私も全く同じ事案を考えていました。

そして、そこまで除斥期間が正義に反するなら、724条後段を廃止してしまったほうがすっきりするというのも同感です。

ただ、これを「違憲無効」とすることもまた無理があるように思います。
そして、裁判所の「違憲審査権」で無効とすることが難しい以上、国会の「立法権」によって解決すべきです問題です。

そうすると、立法的に解決されるまでの間、多少無理があっても妥当な結論を導く・・・というのが、裁判所の取り得るギリギリの選択だったのかもしれません。
通りすがりの法学徒
2009/05/07 05:20
詳細な説明ありがとうございました。相続に関してよくわかりました。相続というのは、非常に難しいですね。
wakei
2009/05/07 20:59

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