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zoom RSS 臓器移植法案について(3)

<<   作成日時 : 2009/06/22 23:46   >>

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 昨日、もう一点残っていると書いたので、その点について。
 脳死判定による臓器移植について、疑問をもっている人たちの多くは、脳死判定に対する信頼感の問題があると思われる。特に日本では、最初の心臓移植であった和田事件の記憶がまだ残っているから、脳死判定自体に疑問をもっても仕方のない面がある。今では、水死という、いわゆる脳死状態にはほとんどなりそうにない状況で、脳死判定を行って移植、というようなことはないだろうし、実際に脳死判定に持ち込まれる場合は、脳死状態の可能性の高い場合なのだろう。しかし、それでも、絶対に可逆性はないと言われても、あくまでもまだ大部分の組織は生きている状態での「死」の認定は、信じきれない、もしかしたら、息を吹き返すかも知れない、という期待を捨てきれない、そういう人がいても、まったくおかしくないわけだ。医学的にはそういうことは、かつてなかったと言われても。

 だから、脳死状態での移植を容認するという意思表示は、その点も踏まえて行うべきだろう。私の場合は、たとえ可能性として脳死状態から脱して、生き返るということがあったとしても、少なくとも医学的判断として脳死状態を確認されたら、生き返らせる必要はないと、自分自身については考えている。それは、「人間らしく生きる」という状態を保持したいと考えるからである。脳死状態から生き返ることは、私自身はありえないと考えているが、もしあったとしても、人間らしい生活に復帰できる可能性はまずない。とすれば、単に生物として組織が生きているに過ぎない状態であって、それは人間としての生ではない。
 そのように考えれば、脳死判定に、絶対的厳密性が欠けているとしても、それほど問題ではないと、自分についてはいえる。問題だと考えるひとは、移植を拒否するという意思を明確にしておけばよいのだ。

 それからこの問題について、学生と話していると、彼らの多くが、脳死を人の死と定めると、一般的に脳死判定を行う、あるいは脳死状態が出現するかのようなイメージをもっている。たぶん、多くの人がもっている誤解なのだろう。いわゆる脳死状態とは、救急車の迅速な対応システムと、高度な救急医療が整備されていて、初めて出現する現象であって、先進国でしか現れない、かつ先進国でも例外的な事態である。ほとんどの医者も、実は脳死状態の患者など見たことが無いと言われている。

 すぐに多くの人の死の判定を変えてしまうかのような誤解も、また、拒否的姿勢を生んでいる原因のひとつとなっているような気がする。

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