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zoom RSS 教育現場での公正さを

<<   作成日時 : 2009/06/24 20:11   >>

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 「教育」という行為にとって、「公正さ」は極めて重要な要素であろう。公正さを欠いた教師は確実に尊敬されない。尊敬されない教師は、指導がうまくいかない。しかし、近年この「公正さ」を、行政等指導的立場にある組織が、無視したり、反対のことを行ったりすることが、目立っているように思う。もちろん、教育組織にいる私も、そうしたことに加担していると批判されても仕方ないのだが。

 例えば、入試については、「公正さ」が法的に規定されている。次の条文は大学設置基準である。

  (入学者選抜)
  第二条の三
   入学者の選抜は、公正かつ妥当な方法により、適当な体制を整えて行うものとする。
 しかし、指定校推薦、AO入試等、「公正」さも「妥当」さも疑問がつく入試方法は、私立大学の多くで行われている。私の所属する学部では、AO入試は行っておらず、また、3年前まで指定校推薦入試も行っていなかった。しかし、圧倒的多数の大学で直面している応募者減という事態を前に、「何故指定校推薦をしないのか」という、上からの圧力に抗することができないわけである。「そういう公正じゃない方法は反対だ」と言っても、それは圧倒的少数で、力をもたない。こうしたことが、全国の大学で起きているのだろう。

 こういうことの問題は、自民党の世襲議員と同じことで、大学生の質の低下をどんどんきたすという結果をもたらすと考えざるをえない。

 今回書こうとしているのは、もっと社会的に責任を負っている行政機関の問題である。

 私が比較的知っているのは、教員採用に関わる領域である。この分野では、首都圏を中心として、教員の青田刈りが広まっている。東京の「教師塾」や埼玉の「教員養成セミナー」などである。これは、採用試験の実績を踏まえた(と言われているが)人数を、大学に割り当て、大学推薦を受けた学生を1年間の実習と講習を受けさせるというものである。もちろん、そういう大変な実習を受けねばならないにもかかわらず、多数の学生が応募するのは、無事修了すれば、通常の教員採用試験を受けずに合格できるからである。

 私の所属する大学でも3年前からこの制度に組み込まれることになった。もちろん、私はこういう制度は公正さを欠くから、批判的であることを隠していないし、また、学生にも述べている。もっとも、それは学生の責任ではなく、彼らにとっても就職を有利にするための制度だから、学生自身は歓迎するし、その気持ちは認めざるをえないから、協力はするが、できることなら、ちゃんと試験を受けて教師になってほしいとは言っている。なぜか、教師が公正さを大切にしなくてどうする、ということだ。

 もちろん、こういうやり方は、教育委員会が行っているものであり、文部科学省もそれを後押ししている。しかし、この大学割り当ては、特定の大学にのみ割り当てられるものであり、割り当てのない大学の学生にとっては、応募のしようがない制度なのである。

 私自身は、現在の3週間から4週間の実習は、あまり効率的でないし、また、受け入れの学校にとっても、負担が大きいから、週1か2を一年間続けるという実習のやり方はとても好ましいとは思っている。また、1年間来るのであれば、受け入れ校としても、実習生を有効に使うことができるし、その計画もできる。だから、実習の方式としては、反対ではない。問題は、その道の開き方がオープンではないことと、それにもかかわらず、採用試験の扱いに不平等が生じる点である。

 そんなことを考えているときに、朝日新聞の3月23日の記事を見つけた。「切り抜き雑誌」に掲載されていたものである。教職大学院がなかなかうまくいっていないという報告記事であるが、その中に、以下のような文章がある。

 「一方で、文科省は、大学院に進んだ新卒者が修了時100%採用試験に合格するように非公式に求めている。」

 この文章の正確な意味はよくわからない。誰に対して非公式に求めているのか不明なのである。文脈から見ると、大学院に対してのようだが、記事全体からみて、教育委員会と受け取れなくもない。もともと、非公式なのだから、記者にも正確には分からなかったのかも知れない。

 しかし、どちらに求めるにせよ、ずいぶんと非常識な要求だ。それを文部科学省が求めているというのだから驚く。大学院への要求であるとしたら、不可能というべきだろうし、また大学院生の数をかなり減らすしかないだろう。そうしたら経営上の問題が発生する。

 教育委員会に対しての要求であるとすれば、まさしく、試験の公正さを無視しろというに等しい。

 もともと教職大学院構想、あるいは拙速な出発に無理があったというべきであるが、それがこうした歪みのある要請となって現れている。こうしたことは、どんどん教育の世界から公正さを失わせているように思われる。いくら文部科学省が学習指導要領で、道徳教育を軸とせよ、といっても、基本的な部分で公正さが無視されて、道徳的な子どもが育つはずがないのだ。

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内 容 ニックネーム/日時
初めまして!
遊びに来ました!
これからヨロシクお願いしま〜す<m(__)m>
ややちゃん
2009/06/24 20:29

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