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zoom RSS 教員免許更新制度に関する、産経新聞社説のでたらめさ

<<   作成日時 : 2009/09/15 22:38   >>

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 産経新聞がまた教員免許更新制の廃止提案に異議を唱える記事を掲載し、更に社説でも主張している。しかし、その主張は全く矛盾に満ちたもので、信じ難いような低レベルなものである。インターネット上では、産経の記事に影響された議論が多いようなので、繰り返しになってしまうが、再度書かせてもらう。

 「更新制度では、10年ごとに指導法や最新の教育課題について30時間(5日間)以上の講習を受ける。そして模擬授業など実技を含めた試験により、5段階で評価される。60点未満だと不合格になり、2年以内の再講習で合格しないと免許が失効する。」(9月14日産経社説)

 まったくの事実誤認というか、勝手な思い込みによる主張の典型だろう。産経新聞は、教師の指導力を向上させるための講習という位置づけをしていて、それを受けて、上のように書いている。
 しかし、「模擬授業など実技を含めた試験」などをやっている大学は、あったとしても極めて少数、ごく例外的だろう。まず、試験については、文部科学省は「筆記試験」を原則としているのである。そして、前にも書いたが、多くの大学は、アンケート調査のような試験をやっていると聞いている。なぜなら、不合格にしないため、不合格によるトラブル回避のためである。
 それはさておき、現実的に考えてみてほしい。この講習を行っているのは大学であり、大学は、文部科学省から予算を受け取ってやっているわけではなく、すべて、受講生の講習代で費用を賄っているのである。人件費、広報費、テキスト代、光熱費等々を含めて、おそらく1クラス60人程度が採算点だろう。つまり、60人いないと赤字となる。だから、70人とか、80人のクラス編成をする。今年度はそれすら集まらなくて、赤字の大学がほとんどであることは、既に産経新聞ですら報道している。
 さて、60人として、最大限時間をとっても2時間の試験時間である。その中で、「模擬授業など実技を含めた試験」など実施可能だと思うだろうか。120分の中で、模擬授業などの実技試験をしたとして、全くよどみなくやっても一人2分だ。80人なら一人1分半。それが試験としての意味をもつわけがないし、そんな試験をする大学があるはずがないのだ。
 つまり、産経新聞は勝手な思い込み、願望と、実態、あるいは可能な現実をまったく取り違えているのである。

 次に以下のような主張をする。

 「 民主党はマニフェスト(政権公約)で、教員免許制度を「抜本的に見直す」としてきた。教員養成課程を6年制にするほか、教員の増員を強調している。教師の待遇や地位向上などを訴える日教組の主張に沿ったものだ。
 だが教員養成課程を6年制に延ばしても、教師の質が良くなるかどうか疑問である。実際、大学の教育学部、大学院の教育内容そのものが理論に偏り、実践的でないなど課題が多い。」

 産経の社説は、民主党の教員養成6年案に対して、6年に延ばしても教師の質が良くなるかは疑問で、その理由は、「大学の教育学部、大学院の教育内容が」課題が多く、要するにだめだということをあげている。しかし、免許更新制の講習は、「大学」がやっているのではないか。6年やっても(つまり2年余分)だめなのが、なぜ、30時間の講習(たった5日間だ)で、成果があがると考えるのか。同じ「大学」がやっているのに。小学生でも分かる馬鹿げた議論だ。

 そして次のように続く。

 「また教師は自分の授業を客観的に評価される機会が極めて少ない。ベテランがマンネリ化し、学級崩壊を招くケースも報告されている。指導法を見直す機会としても、更新制は意味が大きい。」

 ここまで来ると、デマゴギーとしていいようがない馬鹿げた議論だ。
 免許更新制の講習というのは、ごく例外的に実習的な内容が入ったとしても、ほとんどが講義である。60人のクラスで、わずかの時間で実習的なことなどできない。したがって、「教師が自分の授業を客観的に評価される機会」などでは、まったくないのだし、制度としてそのようなことが可能でもないのである。各人の指導法を見直す機会などには、なりえないのである。
 もちろん、産経の主張するようなことが、絶対に不可能であるとはいわない。しかし、それには次のような条件が最低限必要だろう。1クラス30人程度のクラスで、30時間程度ではなく、その数倍の時間をかける。しかし、そのための費用は、現在の5倍程度が必要となるだろう。文部科学省のいうように、自己責任であるから、自己負担ということになれば、教師たちは、大体15万円の受講料が必要となる。それはあまりにひどいということになれば、文部科学省が予算化する必要がある。まさか、大学が持ち出しでそのような講習を引き受けねばならない、社会的責任があるとは思えない。1人15万とすると、1000人引き受けて(私の大学では1000人引き受ける覚悟をして、この講習の計画をした。)1億5千万の費用がかかる。それを、受講生でない学生が負担する義務があるはずがない。

 確かに「教師は自分の授業を客観的に評価される機会が極めて少ない。ベテランがマンネリ化し、学級崩壊を招くケース」があることは、確かであるし、教師の指導力を高めるための努力は必要である。しかし、それは、学校の内部の教師集団が、協調的な精神と、厳しい相互批判の雰囲気の中で、日常的に実践の検討をし、教材の研究をしていく努力をすること以外には、解決の手段はないのである。ところが、**教育研究指定校などという、はっきり言って、マイナス効果の方が大きい研究が行われ、そのために、その学校に合った教師たちの相互努力の機会が奪われている実情が多々ある。校長等の管理職が、本当に教育的な指導力を欠いていて、適切な指導ができず、問題を徒に拡大している例なども少なくない。
 このようなことの改善こそが、今最も必要なのである。

 最後に、産経新聞は、「教育の重要施策が特定団体の意向などでねじ曲げられることは許されない。」などと書いているが、実は別の記事で、このようにも書いている。

 「放課後の指導などで多忙な教員が30時間を割いて「最新の知識技能」を大学で受講することに、「意味があるのか」との批判が、日教組系ではない教員からも起きた。座学をこなせば大半が合格する認定試験にも疑問が呈されていた。」(9月13日産経)

 つまり、組合員教師以外からも疑問があがっていると、産経新聞自身が書いているにもかかわらず、社説では、「特定の団体」の声にすり替えているのである。日教組と書けば、それだけで「否定するに十分」というような産経こそ、「政治的中立」とはほど遠い存在であろう。そして、「大半が合格する認定試験」とも、ちゃんと認識しているではないか。
 こう書いてくると、では大学は何もしないのか、という批判があるかも知れない。しかし、今時の大学は、大学生き残りのためということもあるが、一般市民や様々な専門職のための公開の講座を、それぞれの大学の持ち味を出すように、盛んに開いている。私の大学でも、たくさんの公開講座があるし、また、教師のためのさまざまな講座・講習を開いている。しかし、それは身分と関わるものではなく、本当の意味で力となり、身になることを目指して実施しているし、また参加する人も、自発的に参加しているものが多い。このような基本的に自発的意思に基づく学習機会は、大学はどこでも提供しているのであり、それが大学として、ふさわしいやり方だろう。

 教師の身分に関わることは、雇い主である自治体や国や法人が行うことなのである。それを教師の雇用と全く無関係の大学に押しつけることは、行政のあり方としてまったく間違っている。そんな当たり前のことを、何故産経新聞は指摘しないのか。つくづく産経新聞の社説を書いている人たちは、モラルも識見も洞察力も低いひとたちなんだと感じざるをえない。











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