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zoom RSS 教職は平等な切磋琢磨こそ必要だ(産経新聞の社説について)

<<   作成日時 : 2010/01/12 07:29   >>

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 1月12日の産経新聞は、また例によって教育に関する現場破壊的な論説を掲載している。「教員の資質を競争と評価で鍛え上げよ」という題だが、このような主張こそ、教員の資質を低下させるし、また、優秀な教員が集まりにくい環境を作っていることを、明らかにしでおく必要があるだろう。

 免許更新制度についての産経の主張については、何度か書いたので、ここでは触れない。かなり箇条書き的に短く主張が書かれているが、いくつか検討しておこう。

 「文科省は来年度予算案で自民党政権時に予算要求した主幹教諭増員を見送った。主幹教諭は校長の学校運営を支え、新人教師らの指導役にもなる。教員世界の横並び意識を変える制度であるが、日本教職員組合(日教組)など一部教職員組合は反対していた。」

 学校教育法の改訂によって導入された新しい教員の種類に「主幹教員」というのがあるが、最初東京都が導入し、法改正によって全国的に導入しようとしている制度だが、東京でも希望者が少なく、確保に教育委員会が苦慮しているというものだ。しかし、主幹教員になど応募しない人が多いということにこそ、むしろ健全さがあるというものであろう。産経新聞は「教員の横並び意識」を非難しているが、むしろ学校の教師というのは、「横並び」が仕事の本質から来る当然の意識なのである。会社で部長や課長、平社員は明らかに「異なる仕事」をしており、また権限も違う。しかし、学校では、新人でも30年のベテランでも、学級担任あるいは教科担任としての、最も基本的な仕事は「同じ」なのである。生徒や親は、どんな教師であろうと、異なることを期待するわけではない。だから、同じ立場で協力する体制を整えることこそが必要なのであって、そこに地位の異なる関係を人為的に導入して、指導・指導される関係を作るなどということは、教職の本質に反するのである。それにどんな優秀な教師であろうとも、年度が変わり、生徒が入れ代われば、教室運営に変化が生じ、指導がうまくいかないということが起こり得る。だから、できるだけ平等な立場で、率直に実践を交流し、批判しあえるような関係を作ることが、教師の指導力向上のためには必要なのであって、実際に学校全体での教師の力量を向上させているところでは、そうしたことが当てはまる。
 また、文部科学省が一貫してとってきた教師の階層化は、現場に大きな負担を強いるものでもある。つまり、管理職は実際に教える行為から抜けてしまうことがほとんどで、教職員がいるにもかかわらず、授業を行う人の割合が減ってしまう。アメリカの研究で、教職員の中で教える人の割合が減ると、学校全体の成績が落ちる傾向があるという研究があったと記憶するが、日本の教育行政はその方向性をとっているし、産経新聞はそれを支持していることになる。

 それは次の主張とも関連する。

 「これまでの民主党の教育政策をみると、教員の「負担」などを減らすことに重きが置かれ、厳正に評価し、指導力向上につなげる視点に欠ける。それでは悪平等など教育界の悪弊を絶てない。」

 先日の朝日新聞に文部科学省の官僚を休職して、現場の校長になっている人のインタビューが掲載されていたが、彼がとにかく一番感じたことは、教師にたくさんの仕事、その少なくない部分が雑用(不要な文書作成の強要)が多いという点で、もっとそうした仕事を減らす必要を強調していた。現場を知るものであれば、誰でも感じることだろう。「負担を減らす」ということは、決して楽をするということではなく、本来授業のために必要な仕事をしなければならないのに、それを邪魔する様々な雑用を減らすという意味に他ならない。会議や書類整理に追われて、授業準備などする時間がほとんどとれない状態を放置して、「厳正な評価」や「指導力向上」の取り組みなどできると思うのだろうか。

 「教師の資質向上に重要なことは、評価をためらわず、熱心な教師には待遇面を含め報い、ダメ教師を教壇に立たせない施策を徹底することである。」

 ここで見るように産経新聞の「評価」というのは、評価の高い教師に待遇を良くし、低い教師を辞めさせるというためのものである。しかし、こうした考えは、逆に教師の質を向上させない発想なのである。
 もし、本当に資質のある教師を採用し、順調に成長を保障しているなら、「ダメ教師」などは極めて例外的にしか存在しないはずである。産経新聞が憂いているほどダメ教師が多いとしたら、それは採用や教師の育成方法に問題があるのだ。とするならば、これまで採られてきた採用方法や、まさしく「主幹教諭」を設置するような「教師の階層化」の政策こそ点検されるべきではないか。数十年間、日教組の方針が学校現場で採用されてきたとでもいうのだろうか。

 もちろん、単純に平等な扱いをすることは大きな問題を生じさせる。例えば、都市部の学級運営の難しい状況がある学校では、困難な学級の担当はいつも同じ教師になってしまい、能力の低い教師は問題の少ない学級の担当に固定されたり、あるいは担任を外されたりする。こうした状況が固定すると、やがて有能な教師も疲れてしまい、「燃え尽き」に陥る危険がある。しかし、こうした問題を、「待遇の改善」で対応できるのだろうか。いくら待遇を改善しても、燃え尽きを回避させることはできないのである。待遇への不満から燃え尽きるのではなく、あまりの学級運営の大変さから燃え尽きるだから。とするならば、教師全体の仕事負担を減らすことで、授業や学級経営に専念できる部分を増やし、ダメ教師を成長させて、困難な学級も担当できるようにする必要があるのだ。そして、それは飴と鞭による階層化ではなく、できるだけ平等な関係によって、相互に切磋琢磨できる体制を作ることが有効なのである。しかし、その切磋琢磨は決して、「競争」ではない。皆が向上することをめざすのであって、協力であり、評価も差別化のためではなく、あくまでも実践の質的向上のための評価でなければならない。現場では、産経新聞が主張していることが実践されていないのではなく、ずっと実践されてきたからこそ、子どもや親の要求の多様化に対応できる教師集団の力量形成が妨げられてきたのである。

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