教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 外国人への教育権保障とは(つづき)

<<   作成日時 : 2010/02/28 21:54   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 再度「外国人学校」とは何かを確認しておこう。
 通常、外国人であってもその国の学校に通うことは認められている。少なくとも先進国ではそうだろう。そして、人権が保障されている国では、外国人の子どものためにはさまざまな配慮がなされる。そういう配慮が、基本的に子どもの権利条約などの定める内容といってよいだろう。

 しかし、外国人学校というのは、これとは性質が異なるわけだ。日本にいる外国人が、日本の教育ではなく、自国の教育を受けたいと考えるときに通学するのであって、そういう教育を保障したいと考えるその国や国の関係者が援助して設置・運営しているのである。だから、基本的に、その所在地の教育制度や教育のルールには拘束されないのである。もちろん、社会的ルールには従うべきものであるが、例えば日本にある外国人学校は、日本の学習指導要領などには全く拘束されない。そうした独立性は当然財政的独立性を前提に成立するものである。逆に、そこに財政補助を求めるということは、例えば日本にある学校であれば、何らかの日本政府による教育上の拘束を受けることを受け入れねばならないだろう。もし、財政上の補助を行いながら、日本の公的拘束を全く受けないとしたら、そういう財政支出に対して納税者が承認するのかという問題が発生するが、常識的にいえば、一般的納税者の承認を得られるとは、私は思わない。

 このことを逆からみれば、財政補助を行うということは、ある国が自国の子どもたちに、自国流の教育を行う自由を制限することになる。このことが問題だろう。そもそも、そういう拘束を受けたくないから、自国流の学校を設立するのだから。朝鮮学校関係者が、財政的平等を要求するというのは、まったく筋違いであると言わざるをえないのである。

 最後に、このネットワークのホームページを見ると、マイノリティの平等を主張しているにもかかわらず、私は、この人たちの「上から目線」を感じてしまうのである。このホームページには、日本にある外国人学校が列挙されているが、アメリカンスクールやドイツ学校は載っていないのである。載っているのは、マイノリティと彼らが考えている人たちだ。マイノリティというのは、通常先進国の出身者はいくら少数であっても含めないから、貧しい国の人たちに対して援助すべきだということだろう。
 しかし、貧しいにせよ、豊かであるにせよ、外国人の子どもが、日本の学校にいたら、やはり、学習上の困難を抱えるわけだから、程度の差はあれ、やはり何らかの配慮が必要なことにかわりはない。

 また、逆に、彼らの国が自国用の学校を外国人学校として設立したいというのであれば、平等に認めるべきであるし、また、その関わりも、独立国家が設置する学校なのだから、平等に扱うべきであろう。

 朝鮮学校の高校の生徒の授業料を無償にせよ、という見解は、設置主体の国内外の差の意味、進学の権利、法的権利、財政保障というレベルのことなる問題を混同した議論であると言わざるをえない。平等な権利といいながら、「主権の侵害」に似た論理になっている。

 他方、拉致問題などと関係させて否定するような議論もまた、厳しく批判されなければならないことは、再度確認しておきたい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
外国人への教育権保障とは(つづき) 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる