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zoom RSS 全国学力テストは原則希望参加こそ望ましい−−産経新聞の社説について

<<   作成日時 : 2010/08/02 22:35   >>

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 産経新聞が社説で、またまた全国学力テストの悉皆調査復活を主張している。そして、その理由に「競争の強化」を明確にあげている。「全員参加に戻し競い合え」という題が付けられている。よほど、産経新聞は「競争」が好きなようだ。勉強は競争のためにやるものではないのだ。

 競争そのものの問題や悉皆調査の問題は、後で書くとして、学力の傾向に関して、漱石の「吾輩は猫である」の文章の意味がわからないことを課題としてあげている。「夏目漱石の『吾輩は猫である』の「羊の御厄介(ごやっかい)になったり、蚕(かいこ)のお世話になったり」という衣服を着ることを例えた表現が分からない生徒も少なくない。文豪の作品に親しまない弊害など、現代の子供の課題がうかがえる。」というわけだ。おそらくこの部分を読んで「苦笑」した読者は多いに違いない。そもそも漱石の「吾輩は猫である」は、「実際にはほとんど読まれない有名作品」の代表作ではないかと思うのだが、また読んだとしてもあれを「読みこなせる」現代人は、ごくごく少数しかいないのではなかろうか。私も若い頃読んだことは読んだが、とにかく漱石の漢籍と欧米文化の深い教養とその遠慮なき開陳に、ほとほと難儀した記憶しかない。だいたい産経新聞の論説委員は、この小説を「理解している」と自信をもっていえるのだろうか。少なくとも、様々な産経の社説を読んできたが、およそ論理的思考力の緩い人たちだという印象だから、とうてい「読みこなせる」人たちとは思えないのだが。

 さて、本題だ。

 「文科省の調査では都道府県教育委員会のうち「全員参加が望ましい」とする教委が7割を占める。多くの保護者が学校別の成績公表を望んでいるという調査もある。」ということから、悉皆調査を望んでいるという声が圧倒的であることを主張する。しかし、悉皆調査なら、すべて「国の負担」でやってくれるのだから、自分の負担(現在は採点)でやるよりいいと思うのは当たり前の話だ。本当に必要だと思うなら、自分の負担(費用なり採点等の労力)を提供することも厭わないのが当然だろう。そういうことを主張するのではなく、国の負担によりかかって参加したいという意向を、そのまま肯定するというのは、産経新聞が、いかに「自立的」であることを軽視しているかがわかる。

 この社説には現れていないが、別の産経の記事では、統一的な採点ではないので、他との比較や全体の中での位置がわからないから、統一的な採点が必要だと主張されていた。

 この問題はいくつかある。
 試験というのは、本当は「教師の自作」「教師の採点」が最も教育的に効果がある。それを積み重ねることで、学力はついていくものだ。しかし、もっと他と比較したいというときに、より大きな単位のテストを望む。そのこと自体の効果はあるとしても、単位が多くなればなるほど、実際の授業との距離が大きくなり、またそのテストの結果を日々の授業に活かすことも難しくなる。実際に、全国学力テストの結果を授業に活かしている現場は、私の聞く限りきわめて少ない。活かせるような資料もこないし、また、時間もないという。とするならば、確かに比較の数値を気にする結果になるだけだ。何位だからもっと頑張ろうとか、そういうはっぱかけに役に立つのがせいぜいなのだ。

 もし、本当に自分たちの役にたつことを意図して、学力テストに参加したいというのならば、自分たちの負担を当然負うべきであるし、またそれ抜きに効果があるとは思えないのだ。だから、3割の指定ではなく、統計的に有効であるサンプル数まで指定を減らし、原則希望参加にしたほうが、教育効果はあがるはずなのだ。もしそんなことは面倒だ、と現場がいうならば、産経新聞はそういう姿勢こそ批判すべきではなかろうか。

 さらに問題をあげると、他との比較を重視すると、確かに統一採点となるが、しかし、全国の生徒のテストを統一的に採点するとなると、当然選択問題となり、記述問題はきわめて難しくなりる。しかし、産経新聞は「記述式問題が苦手な傾向は変わらない」と指摘しているのだから、記述問題をしっかり出し、また現場でも記述式のテストを日常的にやるべきだと考えているのだろう。しかし、全国の生徒全員に、(もちろん2学年だけだが)記述式のテストをして、採点をする、それをデータ化して分析するということが、毎年毎年可能だと思っているのだろうか。PISAでは記述式を重視しているが、サンプルは各国1万以下であり、しかも3年に一度だ。産経新聞の感覚はきわめて非現実的だ。

 さて、何度も書いたが、1960年代の全国学力テストは、日教組が「競争主義」を否定したわけではなく、本質的な批判としては、国家が「正解」を決めることを批判したのであり、また、弊害としては、「競争」そのものではなく、「競争によって生じた不正」をあげていたのである。実際に、再開された全国学力テストでも、不正はいくつも報道されている。全国的な競争試験を強制としてやれば、不正が起きるのは必然だ。しかし、産経新聞は、一切この「不正」を取り上げることはない。不正などまるで興味がないという感じだ。しかし、教育現場が不正をせざるをえないような仕組みは、制度として問題であろう。

 産経新聞はもっと懸命に子どもと取り組んでいる教師たちが、何に困っているか、「政治的」にではなく、「教育的」に問題に取り組むべきだ。

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