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zoom RSS 原発再開の条件を考える

<<   作成日時 : 2011/07/06 22:15   >>

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 玄海原発再開問題で、いろいろと揉めているようだ。7月6日の朝日によると、国が県民に説明する放送に、再開賛成メールを出すように、九州電力が自社や子会社の社員に働きかけていたということが、暴露されていた。この説明会は、主催者が指定した7名だけが、市民として参加し、かつ本格的な質疑応答はなく、一方的な説明に終始したらしい。
 海江田大臣は、十分検査で安全性を確認しているという発言をしているようだが、今日のNHKニュースによると、更に「ストレステスト」なるものを実施するらしい。前に、安全が確認されたと言っておきながら、EUで行われているというテストを実施するというのでは、前の発言は何だったかということになるだろう。

 私は、原子力問題の素人だから、専門的なことはわからない。しかし、この問題は素人がどう関わるかこそが、重要な一プロセスなのである。素人が納得しないと、今後は、原発問題は進展しないと考えるべきなのである。

 そこで、ずっと疑問をもってきたことを書いてみる気になった。
 国や電力会社は、「安全基準」が大事で、今後より厳しい「安全基準」を設定して運用するから、大丈夫なのだ、と素人に説明している。
 しかし、素人としては、そんな説明は、全く「信用できない」というのが、これまでの経緯を見て、率直なところである。いくら基準があっても、検査するひとの立場が問題であり、その審査がどれだけきちんと行われたかが問題なのである。実際に、福島原発だって、安全基準と、実態に大きな乖離があったからこそ、あれだけの事故が起きた。そして、そうしたことが起きたのは、安全基準を作るひとたちと、それに基づいてチェックする人たちが、ツーカーの関係だったから、実際にそうした基準は機能しなかったという側面がある。

 要するに、「安全基準」はもちろん大事だが、誰がそれを審査するのか、その問題を抜きに、素人たる市民たちの「信頼」はえられないのである。

 では、どうしたらいいのか。
 ひとつは、審査員に、原発批判派の推薦する専門家を加えることである。そして、すべての審査内容を徹底的に公開することである。もし、福島原発の点検のチェックに、京都大学の小出氏や共産党の吉井氏などが入っていて、その調査結果が完全に公開されていれば、あの杜撰な前の状況は、そのままでは済まなかったはずである。
 原発批判派の人間が入ったら、絶対に安全基準を満たしたというような結論はえられない、という反対意見があるかも知れない。しかし、社会的に認められる専門家であれば、完全に公開される審査内容に関して、それほど理不尽なことは言えないはずである。小出氏のこの間の発言を見ても、また、数年前の共産党の吉井氏の国会での追求にしても、きちんとしたやるべきことをやれ、という立場であって、何がなんでも反対というようなことは感じられない。そんな理不尽なことを言ったら、完全公開なのだから、世間が認めないはずである。もちろん、それは、原発推進派に対してもいえることである。むしろ、完全公開は、原発推進派に最も厳しいといえるだろう。だから、説明会でも、指定したひとしか認めないということをあえてするわけだ。原発推進派のみの基準や審査で押し進めた政策は、もはや、市民の納得を得ることは困難な時代になったというべきである。

 第二に、各電力会社は、重役を原発近辺に住まわせ、取締役会を定期的に原発内で行うことを、法律で義務付けることである。原発が危険であることの「証明」は、ずっと昔から、大都会に原発を設置しないという事実で、説得力ある形で提起されている。いくら安全だと電力会社がいっても、「理解力がある」市民なら、安全なら、どうして送電ロスの少ない都会の近くに設置しないのか、という疑問にただ一度も答えたことがないことを、よく知っているのである。これだけの事故を起こした以上、今後電力会社が、原発を運転し続けることを、国民に納得させる一番確実な方法が、これだろう。取締役会を定期的に原発内で行うならば、最大限の安全管理をするだろうから、国民としては、かなり信用してよいはずだ。

 私は基本的には原発反対派である。しかし、今ある原発をすぐにやめるべきだというような考えには立たない。実際にこれだけある原発をすぐに廃止して、必要な電力を直ちに賄うことはできないと思うからである。それに、人間は、かなり危険だが、利用していることが他にもたくさんある。例えば飛行機だ。車だって、かなり危ない。しかし、危険に見合う安全対策を、それなりにとっていると見なせるから、利用しているわけだ。今回の地震で、新幹線は、かなり走っていたにもかかわらず、事故を起こさなかった。初期微動の段階で、地震を察知して、自動的に停止のための仕組みが作動したという。これは、そうした地震対策にかなりのコストをかけて、安全対策をしたためであった。もし、東京電力なみのコスト意識で、地震対策を通り一遍のもので済ましていたら、かなりの大事故が起きていたはずである。つまり、考えられる最大限の対策をとれば、かなりの危機対応はできるものではなかろうか。
 JRと東京電力のコスト意識の違いは、結局、東京電力が安全対策のコストをけちったために、莫大な事故対策費と損害賠償費用という、避けられたコストを東京電力に、背負わせることになった。

 以上の二点が実施されれば、原発反対派の私としても、少なくとも当面、現在ある原発のうち、安全な稼働期間内にあるものについては、運転してもよいと考える。

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