教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 甲子園大会の弊害

<<   作成日時 : 2011/08/06 08:21   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

 今年もまた、甲子園の季節がやってきた。
 いろいろな批判がありながら、あまり形態が変わらないまま、高校野球の大会が行われている。私が感じている甲子園大会の問題は、近年ますます増大しているように思われる。メディアの報道もますますおかしなものになっている。

 全国高校野球大会は、「教育」の一環として行われている。しかし、これほど「教育的配慮」の少ない大会も他にあまり見当たらない。サッカー大会などは、はるかにましだ。私には、何が「教育的」なのか、ほとんど理解できないが、反教育的である要素はたくさんある。

 その最大のものは、体力を超えた活動を強要している点にある。そして、その弊害は次第に目立つようになっている。
 現在のプロ野球では、先発投手は5日程度の間隔をあけて登板する。しかも、完投することは稀である。昔はそうではなかった。400勝の金田などは、一日二度ある試合の両方に投げて、一日で二勝することも稀ではなかった。一試合目で完投し、二試合目で同点で進んでいると、八回くらいから登板して、自らのバットで勝利に導くというような展開である。
 もちろん、こんなことは現在では、決してできないだろう。それは投手の力量が落ちたからではない。打撃技術が格段に進歩したからである。打撃は、マシンを使っていくらでも練習できるし、バットを使って打つために、いくら練習しても、それがすぐに身体に影響を与えるわけではないが、投球は体を使っているために、過度の練習は体を壊してしまう。こうした状況が打撃優位の状況をつくってきたわけで、プロ野球は、投手を多数投入することで対応してきた。

 しかし、高校野球は、優れた投手が一チームに複数いることは稀だから、エースがほとんどすべての試合で投げなければいけないことが多い。地区大会や甲子園大会の終盤戦は、そのために連日の登板となる。したがって、投手の疲労が極限になる終盤には、かなり大量得点の試合が多くなり、しかも、逆転につぐ逆転などが頻繁に起きる。
 メディアはそれを「あきらめない気持ち」などと称賛一色になるが、実は、疲労困憊して抑えることができない投手の状況が、それを作り出しているだけだ。投手が抑えきれなくなった乱打戦など、もっともつまらない野球に過ぎないのに、それを承知していながら、メディアはそれを「称賛」する。こんな茶番があるだろうか。

 高校生の大会であっても、サッカーは、連日の試合になるような日程は組んでいないようだ。これは、連日の試合が選手の身体的限界を超え、怪我の危険が高まるから当然のことだ。しかし、野球はそうした配慮を全くしないのはどうしてだろうか。おそらく昔ながらの鉄人投手のイメージが焼きついていて、それを修正することができないからなのだろうか。それとも、「教育」などはどうでもよく、こうした困難の中で、プロの素質をもっている選手を見極めようということなのだろうか。

 この弊害を除くためには、方法がないわけではない。夏休みという期間的限定を考慮する必要があるが、それもクリアできる。
 ひとつは、複数の球場を使用することである。甲子園のまわりには、プロが使用することのできる球場が3つある。甲子園の他、神戸、大阪ドームである。プロと日程調整することで、3つを使用すれば、日程をあけることができるはずだ。
 あるいは、都市対抗野球がやっているように、破れたチームの中から、一定の制限の下に、「補充」選手を認めることである。同じ地区の中から、投手を補充することで、連投を回避することができる。

 おそらく、我が儘な一般市民などは、こう反対するだろう。
 前者では、連日の熱戦を全部見ることができなくなる。本当にすべての試合をみている人が、一般市民でいるのかどうかわからないが、そこまで好きなら、今では複数チャンネル録画が可能なレコーダーがあるから、3試合見ることは可能だ。
 後者では、そんなことをしたら、ひとつの高校が優勝するという意味がなくなるではないか、などというかも知れない。しかし、甲子園ファンは、むしろ「地区」対抗的な意識でみているのではないか。同じ地区からの応援を認めないのは、あまりに狭量というべきではないだろうか。むしろ、地区大会では敵でも、甲子園では協力するというようなことの方が、よほど「教育的」であるように思われる。

 結局、「教育」であるための条件として、そこにいる人の心身の状態を危険に晒さないことが、いかなる場合にも不可欠だ。今の大会運営は、投手の肩を常に危険に晒している。それを全く配慮しないような大会運営が、「教育」的であるはずがない。みているひとたちも、終盤の逆転劇を「あきらめない」気持ちなどという、実態とはかなりずれた感覚ではなく、守られるべき条件への配慮が欠けていることによる、野球の劣化だと、正確に認識すべきではないか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
甲子園大会の弊害 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる