教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 園田政務官の放射能水飲むパフォーマンスについて

<<   作成日時 : 2011/11/07 18:12   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 園田政務官が、福島第一原発の処理水を飲むというパフォーマンスをやったことが、インターネット上でさまざまな議論を呼んでいた。最近は納まったようだが、賛否両論あり、園田政務官を批判する者と、全く逆に飲めと迫った記者を避難する者と、実に立場はさまざまだ。もちろん、ここで、更にどちらかを批判したりするつもりはない。しかし、ここには、これだけで済ますのはもったいない「素材」が含まれていると思うのである。
 現在、原発批判の急先鋒にたっている武田氏は、このパフォーマンスを強く批判していた。たった一回飲むことで、「安全だ」と思わせることは間違った情報を与えるというのである。それは確かにそうだろう。このことで、園田政務官が、だから既に福島の問題は解決したのだ、と主張したというのなら、武田氏の批判は妥当だと思うが、どうもそこまで主張しているわけではなさそうだ。
 これを迫ったメディアの記者のレベルは、間違いなく「低レベル」といわざるをえないものだろう。日本だけかどうかはわからないが、とにかくこうしたかなり酷いパフォーマンスを迫る体質が、メディアにあることは時々感じる。大分前だが、文化放送を聞いていたときに、アナウンサーが熱いお茶を飲むという企画があった。そのとき飲むことを要請された中年男性のアナウンサーが、自分にとって喉は商売道具の最も大事なものだから、こういう熱いお茶を飲むのは嫌だと、かなり頑強に断ったのだが、相手のアナウンサーが、これは飲むことになっている企画だから、飲むように強く迫ったのだ。相手のアナウンサーは、まだ20代の若い女性アナウンサーだった。私としては、中年男性に頑張ってもらいたかったが、結局、飲まされることになり、聞いていて非常に不快だった。それ以降、文化放送はあまり聞く気がしなくなったものだ。今は全く聞かない。もちろん、これはアナウンサーだけの問題ではなく、そうした企画をたてるスタッフの体質の問題でもある。園田政務官に迫った記者は、おそらく政治記者なのだから、もっとエリートなのだろう。しかし、そのレベルは同じようなものだ。
 だから、メディアに関しては、100%酷いといわざるをえない。

 園田政務官の行為はどうだろう。私は、単純にくだらないパフォーマンスだと切り捨てる気持ちにはならないのである。というのは、こうした大きな事故が起きたとき、何故防ぐことができなかったのか、という問題を追求していくと、多くの場合に、防ぐことができたのに、責任ある経営者たちが、適切な措置をとることを回避させていたという事実があるからである。事故の90%は、技術的な問題ではなく、組織、人が原因で起きるという統計があるそうだ。福島原発事故だって、原因となったことが、ずっと前から指摘されており、特に昨年くらいから東京電力の中でも検討されていたという。しかし、結局、その対応をとるためには、多額の費用がかかるからやらない、という決断を経営が下してきたことの結果なのである。では、何故、経営陣は、事故の危険性があるにもかかわらず、対策をとらないのか。もちろん、費用の問題はあるだろうが、どんなに費用がかかっても、その事故が自分たちに危険を及ぼすものであるなら、必ず費用を惜しまず対策をとるだろう。つまり、経営の上層部は常に安全地帯にいることが、事故対応をまじめに取り組ませない経営を生むのである。

 私には忘れられない経験がある。もっと小さな出来事だが、家を新築したときのことだ。基礎工事に重大なミスがあり、それを隠して建設会社は工事を進めていた。しかし、私は親戚に大手建設会社に勤めて定年になっていた人がいたので、時々見に来て監視することを依頼していたのである。そうしなければ、決してわからないミスだったのだが、その人はそれを見破り、工事の人が全員帰ってから、密かにその写真をとって、私たちと一緒に交渉に臨んでくれたのである。そのミスに気づかず、そのまま家を完成させて住んでいたら、今頃、家は傾いて、かなり住むのに不便だったろうし、震災のときに崩れたかもしれない。それほど重大な基礎工事のミスだったのである。職場の専門家にも相談したところ、それは絶対に認めてはいけない、それは家とは言えないといわれたので、絶対に引かない覚悟で交渉に望むことができた。
 しかし、会社は、2度、「改修案」を提示してきた。基礎工事のミスを補強するというのである。そのとき、私たちは、録音をとりつつ、「その改修した家に、あなたと家族が住むようにいわれたら承知しますか?」と2度とも質問をした。すると、正直に彼らは、「住む気にはならない」と言ったのである。録音をとっていたから、やはり、いいかげんなことは言えなかったのだろう。
 つまり、自分がその危険を引き受ける決意があるのか、というときにこそ、最も真意が現れるということだ。すべて基礎工事まで撤収させ、まったく新しい基礎工事から始めさせ、いまでは安全に住んでいる。

 私は、前にブログでも書いたが、原発を存続させるなら、経営陣が原発敷地内に家族とともに居住し、そこの建物で重役会議をすべきだと思う。たけしが、東京湾に原発をつくれというのは、同じ発想だと思うが、結局、原発を遠くにつくって、もしものことがあっても自分たちは遠くだから被害が及ばないと、たかをくくっていたのは間違いないのである。

 つまり、園田政務官の行為は、こうした「当事者性」という観点からもっと考えるべきだろうと思う。一回水を飲むだけなら、パフォーマンスといわれても仕方ないだろうが、常駐する、買い物もその地域でする、ということになれば、多くの人が信用するだろうし、何よりも、費用を考えずに、安全確保のための技術をふるに使用するだろう。そうすれば、全体として安全が高まるに違いない。
 この事件をこれで終わりにするのではなく、もっと掘り下げる必要がある。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
園田政務官の放射能水飲むパフォーマンスについて 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる