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zoom RSS 教職の人気低下は、文部科学行政の帰結

<<   作成日時 : 2011/12/25 22:01   >>

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 少し前に、現在の学生が希望する(魅力を感じる)職種と希望しない(魅力を感じない)職種についてのアンケートが、インターネットに掲載されていた。そこで、「いよいよか」と感じたのは、私だけではないだろう。「教師・公務員」が、希望しない職種の2番目だったからである。
 私は、10年以上も前から、教職の人気がやがて落ちてくるだろう、優秀な学生があまり教職に就かないときが来るだろうと、いろいろな機会に書いてきた。明治以降、教職は人気のある職種であり続けてきたと思う。もちろん、社会のなかで最も尊敬される職業であったわけでもないだろうが、堅実な人気をずっと保持してきたことは確実だ。今から10数年前、教師の募集が極端に少ない時期には、教育学部の人気が下がったことがあるが、それは教職の人気が下がったわけではない。募集がほとんどないので希望が少なくなっただけと考えられる。大量募集時代になって、新たな教育学部を設ける私立大学がいくつかあるほどの人気が近年まであった。
 しかし、今度のアンケートは、希望しない職種の2位になったしまったのだ。そして、公務員も。
 これは、明らかに、これまでずっと勧められてきた文部行政と、メディアを中心とする教師批判の結果であると言えるだろう。メディアは報道の自由、表現の自由を活用して、自分たちの見解を表明してきたわけだから、そのこと自体批判しても意味がないだろう。しかし、文部科学省のとってきた政策は、自らが教育を破壊するかのようなものだった。教育が教師によって成り立っており、優れた資質をもった教師が、やる気を十分に発揮したときに、教育の効果が現れることは、誰にも否定できないはずである。文部科学省のとってきた方向は、この「逆」であると言わざるをえない。
 ただし、教職が人気がなくなったということと、教職の価値を人々が認識しなくなったこととは異なる。人を育てる仕事が、価値の低いものであると考える人は、ほとんどいないだろう。尊い仕事であるにもかかわらず、人気がなくなったのは、仕事に関わる条件が低下してきたからに他ならない。かつて、教職が人気があったのは、まずは、子どもを育てる重要な仕事であるという社会的評価とともに、特に男女平等で、産休等もきちんととれるという労働条件、夏休み等の休暇が十分にあり、それが教師としての仕事に必要な教養を積むことにも対しても有効であったこと、日本育英会の返済免除が認められていたこと、超過勤務手当てが支払われない代償として、5%の特別手当が支給されていたこと、等が大きな要因となっていたと考えられる。しかし、これらの有利な条件の多くが突き崩された来た。
 教職が重要な仕事であるにもかかわらず、この間、メディアを中心に、教師攻撃が頻繁になされ、「指導力不足教員」なるレッテル貼りをされて、担任から外され、研修センターにいれられるという屈辱を味わわされる教師があり、それが大々的に報道もされる。社会的評価を低下させる報道がずっとなされてきたわけである。
 そして、夏休み・春休み等は、現在では全く存在せず、仕事が特にないにもかかわらず、学校に毎日出勤しなければならなくなっている。このこと自体は、ある面合理的な措置なのかも知れない。しかし、教師が旅行したり、あるいは、自発的な学習を行うことは、学校に出勤して無為に過ごすよりは、ずっと教師の仕事にとって有用である。夏休みには、多くの民間教育研究団体が研究集会を開催する。しかし、教育委員会等の官製の研修会以外の、民間の団体の集会への出席は、管理職によって厳しく制限されているのが実情である。教師自身、日々研鑽しなければならないのは当然だが、最も効果的な研修は、こうした自発性に基づいた研究参加なのであって、決して、上から与えられた場なのではない。出勤日にするにせよ、授業に支障がない限り、研修の機会を保障することが、法的に決まっているのだから、現在行われている民間教育研究団体の集会への参加制限は、法の精神に反するだけではなく、教師の資質向上にも反することになる。
 奨学金の免除に関しては、戦前の師範学校以来の伝統であったが、これも廃止された。教師を実際に目指す青年は、多くが、それほど豊かではないが優秀な者だった。だから、奨学金の返済免除は大きな魅力であった。これは、決して、教職だけに特有の制度ではなかった。官庁の設置する学校では、授業料が免除されるだけではなく、むしろ給与が支払われることも多く、むしろ、奨学金返済免除だけの教職の方が、よほど控えめな特典といえるものだった。これからでも復活させたい仕組みである。
 現在、教職の魅力が低下した最大の要因と考えられるのは、仕事がますます大変なものとなり、膨大な仕事量を抱えていることだろう。確実に以前よりも、教師の仕事は膨大な量の増大分がある。しかも、その多くは、子どもを育てることとは直接関係ないと思われることだ。多くの報告書を書くこと、モンスターペアレントなどとの消耗な交渉に時間を割かれること、等。しかし、どんなに多くの時間が割かれて仕事をしても、教師はそれらに対する超過勤務手当てを得ることはできない。それには二つの問題がある。
 ひとつは、特別手当が5%から3%に引き下げられた点である。明らかに「残業」的仕事がかなり増えたにもかかわらず、手当てが減額されている。更に、この間、授業、つまり狭い意味での教育活動に関わらない教育公務員が増えてきた点である。教育活動に携わらない教師がいること自体、私自身、学校にとって好ましくないと考えるが、そういう教師がいたとして、基本的に授業を行う教師の、授業以外の業務を減らすための仕事を集中的に行うべきであろう。しかし、彼らの多く(校長、副校長、教頭、主幹)は、管理的業務に専念しており、管理者として振る舞い、管理者への報告書作成の仕事が、授業を行う教師の負担像となっている。そして、トラベル等への対処に関しても、必ずしも「有能」な管理職ぶりを発揮する者ばかりではない。
 主幹という管理職は、石原都政で始めて導入されたものだが、今では、全国的制度になっている。学校の管理強化の象徴的存在である。この管理強化もまた、教職の魅力を低下させた大きな要因といえる。(続く)

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