教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 大阪府教育基本条例案検討2 政治の介入はなかったのではなく、過剰だったのだ

<<   作成日時 : 2012/01/12 11:28   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

 理念的な検討を更に続けよう。
 この条例の最も必要性を感じたであろう点は、「政治が教育に関与できる」ようにするという点であるように思われる。詳細な教師の懲戒規定も実はそこにある。しかし、この政治と教育の認識は、歴史認識からして間違っている。
 本来「附則」というのは、最後にあるものではないかと思うが、目次の次、つまり「前文」のような形で長い文章が続くのだが、そこに次のような文章がある。

−−以下引用
 大阪府における教育行政は、選挙を通じて民意を代表する議会及び首長と、教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織(学校教職員を含む)が、法令に従ってともに役割を担い、協力し、補完し合うことによって初めて理想的に実現されうるものである。教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかった結果生じた不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない。
 教育の政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法第十四条に規定されているとおり、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の影響力を行使できないということではない。
−−

 私自身、大阪に住んでいないので、大阪の特殊事情はわからないが、一般論として、是認しがたい記述がいくつもある。
 ここで見られる基本認識は、教育行政が政治から遠ざけられてきたというものである。しかし、教育行政史を少しでもみた人間は、日本の教育行政の歴史は、当時の権力が、過剰に政治的に教育に介入してきた歴史であることを、否定しようがないほど明らかなものとして認識している。戦前は、教育は政治の対象そのものであった。科学的認識などは、考慮の外だったといっても過言ではない。神話がどうどうと「歴史」として教えられてきたことを考えればわかることだ。教育を、政治的、あるいは軍事的動員のために利用してきたのが、戦前の教育行政の重要な側面なのである。

 日本が戦争に負け、アメリカを中心とする占領軍によって教育改革が行われた結果、教育から政治がある程度独立する土台が形成された。もちろん、占領政策によって、そうした土台が形成されたこと自体が、政治的なものであったということはいえる。しかし、占領政策によって設置された教育委員会制度は、教育の独立を保障するいくつかの制度的仕組みがあった。それは公選制によって選ばれることによって、住民に直接責任をもつ体制であったこと、財政自主権といって、一般予算とは別途に、独自の教育予算を議会に提出する権限があったことなどである。これは確かに、「政治」から独立して教育行政を行うには、今よりずっと大きな権限をもっていたといえる。
 しかし、この制度は、長く続かず、まさしく「政治的な介入」によって、崩壊させられたのである。中華人民共和国の成立によって、それまでの米ソ融和的な部分もあった占領政策は、完全に冷戦体制に応じたものになり、それに応じて教育行政も急転回した。自主的な権限をもった教育委員会は廃止され、首長が選ぶ任命制の教育委員会が成立した。これがいまだに続いているのである。教育委員は首長が選ぶのであるから、教育委員会の独立性などはもともと存在しないわけだし、首長の介入は人事権を握っていることによって保障されているのである。
 教育委員会の任命制への転換だけではなく、政治が直接教育に介入した事例は、戦後教育行政史のすべての面を特徴づけている。学習指導要領の法的拘束性の首長、勤務評定を政治介入の道具としたこと、学力テストを、教育的にというよりも、政治的に活用したこと(60年代)等々、あげればきりがないほどである。
 
 先日の新聞によれば、橋下市長は、教育委員会の面々に、住民との関係をもっと蜜にするように「説教」したという。しかし、教育委員会が住民との関係をもちにくくなっているのは、「制度」のためであって、決して、教育委員のサボタージュのせいではない。もし、本当に、教育委員会が住民をみて行政を行うようにしたいなら、何故「公選制」の主張を復権させないのだろうか。条例案には、そういう志向性は見られない。
 もちろん、教育行政が政治から完全に独立すべきであるという主張には無理があるし、また、住民の力が確実に教育行政に及ぶようにしなければならないというのは正しい。後の回で検討するが、この条例案は、住民の意志を民主主義的に反映させるような具体的提案は、私には見つけることができない。むしろ、知事を筆頭として、「政治」がしっかり教育行政や学校を管理できるようにし、そこに保護者や住民を「動員」するという志向性を濃厚に感じるのである。

 政治が教育行政に関わるとき、最も大切なことは、「民主主義原則」がきちんと守られていることである。りっぱに機能するかどうかは問題かあるにせよ、民主主義原則の基本は「選挙」であろう。したがって、教育行政を行う主体である教育委員会の「委員は」は選挙で選出されることが、最も民主主義的な政治の関与である。このことを含まない政治と教育行政の関与論は、ほとんど、自らの主張を政治的に実現するだけの議論といえる。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
・橋下は首長たる自分が関与するのが「適切な民意の反映手段」と考えてるのでしょ?
 条例案に反対する教育委員が公選制を「対案」として出し議論すれば良い話だけど、
 教育委員は自分達の「独裁体制」を崩されるのが嫌なので「対案」を出さないだけ。
・教育委員の公選制のは法律の改正が必要であり、条例では変えられない
 都構想に対し、よりハードルの高い関西州を仮想対案にして現状維持を目論む輩と同じ
通りすがり
2012/01/12 14:43
 はじめまして。
 この条例ってもし革新系の自治体(沖縄など)で制定されたら、条例は同じでも大阪とは全く逆の教育が実施されそうですね。
ゆきだるま
2012/01/20 22:57

コメントする help

ニックネーム
本 文
大阪府教育基本条例案検討2 政治の介入はなかったのではなく、過剰だったのだ 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる