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zoom RSS 大阪府教育基本条例案の検討4 教員の相対評価は、悲惨な前例があるのだが

<<   作成日時 : 2012/01/15 21:11   >>

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 かなり長い「校長」に関わる規定があるが、今回は、そこを飛ばして、「教員の人事」の検討を行いたい。この「教員の人事」の部分こそ、この案の最も強権的な部分であり、かつ、必然的にこの案が実施された場合に、大阪府の教育を破壊するとみられる内容をもっているからである。そして、いかにこの草案を作った人たちが、「教育」、つまり「人を育てる事業」とほど遠いかを示している部分でもある。まずその規定内容をみておこう。

−−−
   第五章 教員の人事
    第一節 任用
(任用)
第十八条 教員の任用に当たっては、府教育委員会は校長の意向を尊重しなければならない。
2 府教育委員会は、学校をまたぐ教員の人事異動に当たっては、両学校の校長の意見を尊重しなければならない。
3 府教育委員会は、前二項の校長の意向に反する人事を行った場合、その旨及び具体的理由を議会に対して報告しなければならない。
    第二節 人事評価
(人事評価)
第十九条 校長は、授業、生活指導及び学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
 一 S 五パーセント 二 A 二十パーセント 三 B 六十パーセント 四 C 十パーセント 五 D 五パーセント
2 教員の評価に当たっては、学校協議会による教員評価の結果も参照しなければならない。
3 府教育委員会は、第一項に定める校長による人事評価の結果を尊重しつつ、学校間の格差にも配慮して、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね第一項に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
4 府教育委員会は、前項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の給与及び任免に適切に反映しなければならない。
5 府教育委員会は、第三項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の期末手当及び勤勉手当に適切に反映して、明確な差異が生じるように措置を講じなければならない。
    第三節 優れた教員の確保・育成
(優れた教員の確保・育成)
第二十条 府教育委員会及び校長は、優れた教員の確保・育成を考慮して、適切な人事制度の構築及び運用を行わなければならない。
2 教員の兼職については、教育に支障が生じない範囲で柔軟に認めるよう、教育公務員特例法第十七条第一項を弾力的に運用するものとする。
−−−

 以上のような内容である。
 まず最初の内容は、校長が教員の人事について大きな影響力をもつようにするということである。
 この点を吟味する前に、ある実際例を紹介しよう。ある学校で、短期の生徒の補助的な指導員を募集し、校長が中心に面接して採用したところ、採用後直ぐに本人が自分はアスペルガーと言い出し、実際にほとんど指導ができない状態であることがわかった。また、別の採用事例では、自分の子どもの学校ではモンスターペアレントとして扱われていた人を採用し、まともに仕事もできない状態が続いている。いずれも、こうした人を採用したのは、その校長であり、教育委員会でもまた教師たちでもない。もちろん、そんな校長ばかりではないだろうが、この校長が特に問題を起こしたわけでもなく、世間的にはちゃんとした校長だと思われているのである。しかし、こうした事例を読めば、納得する教師は少なくないのではないだろうか。りっぱな校長も確かにいるだろうが、とてもそう評価できない校長も少なくないのである。特に戦後の教育行政の状況からすれば、本当に子どものために尽くそうとする教師が、校長になっていく割合が決して高いとはいえない。
 もちろん、校長が人事に意見を具申できるようにすることは必要であろう。しかし、それは現在でも法的に認められており、それを超えて、校長の権限を強化しようということは、必要とは思われない。

 そして、最大の問題、この条例案のなかでも、とびきり問題なのが、次の「人事評価」の部分であろう。
 それは一言でいえば、5段階相対評価で教員を評価し、それを人事と給与に反映させるということである。文部科学省ですらやめた5段階相対評価を、教師の評価に用いて、さらに人事と給与に反映させるというのだから、アナクロニズムもいいところであるし、これが本当に実施されたら、大阪の教師の質とモラルは急速に低下するだろう。

 最近は、あまり知らない人が多いので、日本の戦後の教育の歴史の一こまを紹介しよう。
 戦後の文部省と日教組の最大の争いのひとつである「勤務評価をめぐる闘争(いわゆる勤評闘争」である。この発端は、愛媛で起こった。戦後多くの地方自治体で財政困難に陥り、地方財政再建法の適用団体になるところがけっこうあった。最近は確か夕張などで適用されたと思うが、非常に稀である。
 愛媛では、県の財政難の打開のために、教師の給与を削減することにして、3割を選び出し、賃金カットをすることにした。そして、その3割を選び出すために、勤務評定が強行されたのである。つまり、教師に対して、全国で初めて行われた地方公務員法に基づく勤務評定は、教師を評価して、適切な人事を行い、そうして教育の水準を高めようというような目的で行われたのではなかった。あくまでも財政のため、賃金カットをする対象の選定が目的だったのだある。そして、次第に戦後の民主的な改革は後退し、冷戦的政治の影響が教育に及んでいた時期であったから、日教組の組合員が3割のなかに多くいれられ、組合潰しの道具ともなっていった。組合として、反対するのは、当たり前の状況であった。もちろん、財政難は誰にもわかることであり、賃金カットも仕方ない状況であったことは間違いない。しかし、それを政治的に利用し、その利用のために、「3割」という「相対評価」が採用されたのである。このあと、愛媛県は、全国学力テストで一位をめざすべく「奮闘?」し、学力一位を香川と争うと同時に、非行一位も争うことになっていく。

 第二の事例は、高度成長以後のある時期の愛知県の政策である。東郷高校などを代表例とする、異様な管理教育が行われていた愛知県で、中学生の成績表に含まれる「人物評価」を相対評価で行っていた。ABCの3段階評価であるが、Cを少なくとも10%つけなければならないとされていた。もちろん、Cを付けられるだけなら、特別な問題は生じなかったかも知れないが、当時の愛知の高校では、Cのある生徒を合格させないという、かなり明確な傾向があった。それは、成績を付けなければならない教師からみれば、高校にいけない生徒を選ぶ作業にほかならなかった。科学的検証がなされているかといえば、そうした厳密な検証ではないが、少なからぬ人が、愛知県で生じた悲惨な少年犯罪と、この人物評価がもたらした人間的ゆがみが関係があると考えている。良心的な教師の悩みはいかばかりだったろうか。ちなみに今はこの制度は廃止されている。当然だろう。

 相対評価というものは、教育という行為のなかでは、積極的な役割を果たす側面は少ないと断言することができる。それは、相対評価が、集団のなかの位置、つまり「順位」を示すだけであって、決して、その人の到達の具体的状態を示すものではないからである。しかし、教育のなかで、競争を促したり、あるいは強権的な管理を実行するためには、とても便利な手段であることも示している。あるニュースでは、大阪教育基本条例のこの条文は、端的にD評価の教師をやめさせるために使うためのものらしい。

 ところで、人事評価が組織のなかで極めて重要なものであることは、いうまでもないが、少なくとも現在の効果的な人事において、極めて重要なものとして「異議申し立て権」がある。人事評価において異議が生じる可能性は高く、異議に正当性がない場合でも、とにかく申し立てを保障することは、人事制度そのものが円滑に機能するための不可欠の条件である。しかし、この条例案には、それが全く見られない。また、東京都で多く見られる自己評価の提出とその考慮ということも見られない。橋本氏は、その管理的な手法を石原都政で学んでいる面があるようだが、東京ですら行われている自己評価の尊重すら見られない。

 そして、一見配慮をみせている「学校間格差の配慮」はどうだろうか。これは、教員の評価を考えるときに、必ずぶつかる壁であり、教師の評価を安易に人事や給与に反映させるべきではないとされる大きな理由なのである。配慮しなければならないのは、学校間格差だけではなく、あらゆる格差である。学級間格差もそうだろう。教師の評価を授業力で行うにせよ、生徒指導の力で行うにせよ、また、べつの様々な教師の仕事で評価するにせよ、対応している生徒の多様な状況が、教師の実践に大きく影響することは明らかであり、その生徒の多様性を無視して、客観的な評価など成立しないことは、誰もが認めていることなのである。そして、現在でもなお、それを調整して、公正に評価できる方法ができたわけではない。
 とするならば、最低限、異議申し立て権を認める(異議を無条件に認めるというわけではもちろんない。)、人事や給与に影響することを小さくするというように配慮することによって、教師の人事評価の弊害を緩和するべきなのである。多くの自治体はそうしていると思う。しかし、橋本案には、まったくそうした配慮はない。つまり、橋本氏は、この人事評価を武器に、気に入らない教師をどんどん放逐したいというに過ぎない。

 さて、最も重要なことは次のことだ。
 こうした人事評価をテコに、優秀な人材を集めたいようだ。しかし、みなさんが、意欲的に教育を行いたいと思っていたとして、大阪の教師になりたいだろうか。教師の評価を行う校長が、また人事に対する大きな影響力を認めらる大阪。校長に気に入られなければ、いつか教職を追われる危険が大いにあると考えなければいけないだろう。かつて、(今もそうかも知れないが)子どもではなく、校長などの上のひとばかりみている教師を「ひらめ教師」と批判する言葉があった。子どもにとって、最も唾棄すべき教師である。しかし、この条例案は、ひらめ教師以外は認めないと表明しているようにしか感じられない。
 確実に意欲的な人材は、大阪を忌避するようになるだろう。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 はじめまして。
 各学校ごとに相対評価されるのであれば、最優秀の学校に配属されてD評価をもらって免職されるより、中の下か、下の上くらいの学校でB評価をもらう方が安全ですね。
 それに、たまたま問題児を受け持った先生はひどい目に遭いそうです。
ゆきだるま
2012/01/20 22:53
若い教師が1年生担任を受け持ったが、かなりやんちゃに手こずりクラス崩壊に近い形になった。それにともなって翌年度は担任も持たされない待遇を受けた。だが、違う学年に入り、トップの評価を受けた。
私はその学年にいて、その若い教師から学んだことが多かった。

大阪の教員ですが、管理職はかわいそうですね。人間を機械管理しなければならなくなるから。泥臭さが漂い、人間味のあるのが教師だったのに、そんな教師はどこへ行ったのでしょう。
公立学校の真実
2016/05/12 01:44

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