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zoom RSS 大阪府教育基本条例案検討5 教師の処分を考える前に育てることを考えるべきだ

<<   作成日時 : 2012/01/17 21:51   >>

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 いよいよ教師の懲戒・分限処分の条文にやってくる。教師の懲戒に関する規定は21条から41条まである。つまり、この教育基本条例案の約半分の内容は、教師の懲戒・分限処分に費やされるのである。その詳細について書くことは、別の機会にしたい。問題は、教師に対するそうした「見方」である。
 教師に対しても、実は子どもに対してと同様に、一番大切なことは「育てる」ことなのだ。生徒は大学までの16年間の教育を通常受けるわけだが、その間が育つ期間であることを疑うものはいないだろうが、教師だって、22歳から60歳までの38年間、育っていく必要がある存在なのだ。教師は、他の公務員よりもずっと綿密な研修規定が法整備されている。一般公務員は「研修」だが、教育公務員は、「研究と修養」という言葉が使用され、わざわざ自由を本質とする「研究」という言葉まで使われている。教師が職務を十分に果たすために、ずっと学び続ける必要がある、つまり成長し続ける必要があることは、橋下氏だって否定しないだろう。しかし、教師の研修を保障し、促進させる条文は、ひとつもないのだ。前回引用した「優れた教員の確保・育成を考慮して、適切な人事制度の構築及び運用」という内容は、研修の十分な保障と読むには、あまりに文脈から遠い解釈になるだろう。評価と処分の間に挟まった内容だからである。
 まずは、研修の保障があり、そして、評価、処分というのが順番だろう。つまり、この基本条例案は、教師を育てるための方策は全く無視しているといわざるをえないのである。

 このブログを読んでいる人のなかには、大学で教職の勉強をしてくるのだから、教師は最初から一人前の仕事ができなければならない、教師の成長など、法令で規定することではないという人もいるかも知れない。あるいは、法令で初任者研修や十年経験者研修が規定されており、教育委員会が研修の機会を保障する制度があるのだから、不要なのだという人もいるかも知れない。しかし、それはいずれも不十分である。少なくとも、懲戒・分限処分規定をこれだけ詳細に規定する必要を感じる人ならば、研修についても詳細に規定してしかるべきだろう。
 大学で学ぶ教職は、もちろん、私も大学人として日々努力しているし、まだまだ改善の余地があるだろうが、教職の基礎や幅広い教養を身につけることが基本であり、実践的な力量はやはり現場に出てから、ずっと学び続けることで向上させていくものだろう。教師の実践は子ども相手のことだが、大学には子どもはいないのだから、真に実践的なことを学ぶことはできないのである。だからといって、大学で学ぶ意味がないわけでなく、大学でしか学べないことも多くある。しかし、やはり、多様な子どもを前提として、どのように指導するのか、また時代とともに変化する子どもの状況や、教育に要請される内容の変化への対応など、現場に出てから学ぶ必要があることは、たくさんある。
 教師に対する教育行政の最も重要な点は、そこにあるのだ。そして、現在の法的研修制度には重大な欠点がある。それは何か。
 日本教育新聞に出ていた調査の示すところでは、研修のなかで最も効果的なのは「自主的研修」である。これは当たり前のことだが、実は自主研修に対する教育行政は極めてネガティブであり、行政は、教育委員会の設定する研修ばかりを重視する傾向がある。研究指定校制度なども、研究を促進しているというよりは、現場にとって大きな負担となっていることが多い。また構内での平等で自由な教員同士の授業改善のための研究が行われれば、極めて効果的であることが、教育学的には知られているが、実際に校長のリーダーシップがそこに発揮される事例は少ない。教育行政もそれを重視してもいないのである。
 教師の不祥事が起きたり、また、指導力不足の教師がいることは、すべての理由ではないにせよ、自由な学びが保障されず、多くの余計な雑用があり、ストレスに満ちているからであり、闊達な学習の雰囲気が形成され、教師の仕事に集中できる環境があれば、本来、教職に対する情熱があって教師になるのだから、不祥事や指導力不足はずっと減少するはずである。

 斉藤喜博という戦後日本の優れた教育家は、校長として教師を育てることにエネルギーを注ぎ、非常に優れた実践を学校単位で実現した人だが、彼は、教師は努力すればみんなりっぱな教育実践力を育てることができるが、それには、学校全体として、厳しい気持ちで努力する必要があることを説いた。斉藤校長の下には、指導力不足教師などいなかったはずである。

 しかし、大阪府教育基本条例は、教師を育てることは、まったく顧慮することなく、非違行為をした教師、指導力不足の教師、病気の教師に対する懲戒・分限処分の実に詳細な規定を作成する。もちろん、それは適正手続という観点での積極的な意味はあるだろう。だが、これは「基本条例」だ。基本的な理念が直接反映された内容だと考えれば、教師を育てる対象として見るのではなく、不適切な面があったら処分するという観点で見る、そういう教師像しか感じられないのである。殺伐・荒涼とした風景しか感じられないのは、私だけではないに違いない。処分制度を考えるまえに、育てる制度を考えるべきなのだ。

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