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zoom RSS 石原教育改革の「管理化」は学校の人間関係の阻害−教育に関するメール2

<<   作成日時 : 2012/01/05 10:55   >>

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 今回は、石原教育改革についてどう考えるのかという点です。
 これはとても難しい問題で、表面に現れていることだけで評価することはできないと思います。ただ、私自身としては、石原慎太郎という人物は、石原裕次郎というタレントとともに、まったく共感のできない人物で、そういうバイアスがあることは、初めにお断りしておきます。

 まず、石原改革が、石原慎太郎という人物の固有のパーソリナリティによるものであるのか、あるいは、文部科学省の政策の先取りなのか、あるいは徹底なのかという問題も抜きに考えることはできません。
 主幹教諭は、現在は学校教育法の改訂によって、全国的な教諭のひとつの地位となっていますが、最初は東京都が、法に先駆けて設置していたものです。法にない地位の教諭を設定することが、違法ではないのか、という議論もあったかと思いますが、文部科学省が後追いで同じ主幹教諭を置いたので、石原改革は文部科学省の先兵だったことになります。
 さて、この主幹教諭の問題は、結局のところ、「教師」という職業をどのようなものとして捉えるかという問題に関わっています。大分以前のことですが、学校単層構造論と重層構造論とが対決していたことがありました。潜在的には、今でもこの議論は有効だと思いますが、実態として、あまりに重層構造が現場に浸透させられてしまっているので、議論にならないことがありますが、このことの冷静な評価は必要でしょう。
 重層構造論とは、学校を企業のようなラインで捉え、校長を長とする命令系統で教師の関係を規定するものです。校長の命令・監督権を強化し、かつては教務主任、最近は副校長、主幹等の中間管理職を強化するという政策が、学校を改善したのか、あるいは改悪したのか。
 私はかなり明確な単層構造論の立場にたつので、こうした教職を上下の関係におくことは、すなわち教育現場の悪化をもたらさざるをえないと思っていますが、実際にそうなっていると思います。こうした重層構造の教職のあり方だと、授業をしない教師がたくさんでることになりますが、アメリカの研究では、授業をしない教師がたくさんいる体制になるほど、子どもの学力は低下するということです。これは、研究しなくても、当たり前の現象であるように思います。授業をしない教師というのは、一体何のためにいるのでしょう。教師とは教育をするものであって、その中心はあくまでも授業です。もし、今の学校にいる教師が全員授業に携わり、そして、必要な授業以外の仕事を分担するとすれば、どれだけ教師のなかにゆとりが生まれ、よい授業ができるでしょう。
 大学の多くは、(少なくとも以前はそうでした。)学部長は選挙で選び、様々な役職は分担します。大変な仕事には手当てがつきます。そして、それは順次交代していきます。学校もこれで全く問題はないでしょう。校長を互選して悪いはずがありません。少なくとも、全く教育の経験のないビジネテマンなどを、いきなり校長にするよりはずっといいと思います。夜スペで話題になった藤原校長などは、実際の学校経営では、かなり批判を浴びています。メディアは一方的に持ち上げていますが、そんなに優れた校長であったようには思いません。夜スペなども、希望者が少なかったために、教師がお願いして応募してもらったという話しも伝わっています。
 校長の権限強化、職員会議の補助機関化、職員会議での挙手の禁止等々、すべて根源は、教師組織のあり方から発しているといえます。教師は、基本的に「教育活動」つまり、まずは授業をすることが仕事なのであって、その点で、教師間は全く等質の存在なのです。ベテランも若手も、子どもにとっては、若手だから未熟でいいとはいえません。ベテランだから、授業以外のことに時間を割いて、授業そのものをいいかげんになっていいということもありません。子どもにとっては、教師はみな同じ存在であって、同じようにしっかりと教育活動に取り組む必要があります。
 しかし、教師に無理に分業をもちこみ、そこに上下関係を作ってしまうことは、学校全体として、教育活動に取り組む点で大きなマイナスがあります。
 そして、これはもっと大きな「教師管理政策」の一環として見なければいけないと思います。

 10年くらい前からですが、このままでいくと、日本の優秀な学生たちは、教職に就こうとしなくなるのではないかという危惧を抱いています。欧米ではずっと前からそうです。小学校の教師は尊敬されない職業です。だから、イギリスなどでは、教師はすぐにやめてしまい、補充募集が頻繁にあります。
 日本はいろいろといわれていても、欧米と比較すると、教師になる人たちは、平均的に優れた知的レベルをもった人たちでした。それを支えてきたのは、教職へのある程度の尊敬の念という社会的雰囲気と、戦前は、無料の師範学校制度と、戦後は奨学金の返済免除が、学生たちを教職に惹きつけてきました。そして、超過勤務手当てはでないけれども、5%の特別手当など、それなりの優遇措置があり、かつ男女平等であるという勤務体制がありました。しかし、現在奨学金の返済免除制度はなくなり、ますます忙しくなっているにもかかわらず、手当ては3%に減額されてしまいました。そして、現役での教員採用試験合格は事実上難しくなっている県が多数あるなど、教職に就くことを忌避するような条件がどんどんつくられています。今は不況で、公務員志向が強いので、なんとかなっていますが、欧米のようになってしまったら、教育改革などはいくら叫んでも、実際にそれを担う人材がいなくなってしまう危険性があります。
 管理態勢の強化は、ここに大きなマイナス点となるといわざるをえません。
 具体的な管理強化の政策として、日の丸・君が代の強制力のアップ、高校生への社会奉仕義務の導入、学校支援センターをつくって、授業を傍聴する体制(実際は監視?)、職員会議の執行機関化と挙手の禁止等々、いくらでもあると思います。もっとも現場でどのような効果をもたらしているかは、また別問題でしょうが、そうした志向性が、学校にとって、好ましいとは、私自身は思っていません。教師はもっと自由が必要であり、平等な関係で、授業等を検討しあう雰囲気が必要なのだと思います

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