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zoom RSS 詩人アーサー・ビナード氏の傲慢

<<   作成日時 : 2012/03/09 23:56   >>

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 国際女性デー埼玉集会が中止になったという。どんな具合になるか、見に行こうかと思っていたので、少々残念だ。
 産経新聞で報道されて以来、抗議が集中し、おそらく中止にするのだろうとは思っていたが、強い自信をもって選んだ言葉であるならば、本人はやりたかったのだろうか。

 アーサー・ビナードというアメリカ生まれの詩人が、集会で講演することになっていたのだが、その題として「さいた さいた セシウムがさいた」というのをつけ、その言葉が問題となっていたわけだ。実行委員会の中心が、埼玉県教組であることも、産経新聞読者やネット論壇の人々を活動的にさせたようだ。そうした人たちの、もともと彼らはこんな感覚の人間だというような言い方には同調できないし、真剣に原発問題を考えようとしていたのだろうが、やはり、大きな問題を感じざるをえない。ただ、ネットで論じられているのとは、少々違うことを感じている。

 アーサー・ビナードという人物は今回初めて知ったのだが、非常に傲慢な感じがする。そもそも、アメリカ生まれのアメリカ人であるにもかかわらず、日本語で詩作するということに、それは十分現れているように思われる。エンゲルスが、マルクスの資本論のある訳について、こっぴどく批判し、翻訳をするということの困難さを指摘した文章があるが、外国語を自分の言語に直すことも極めて難しいのに、自分の言語ではない、後年修得した言語で作文をすることは、本当に難しい。それでも、論文や説明文のようなものは、多くの人が問題なく書くことができるレベルまで到達する。しかし、文学作品を自分のネイティブの言語で創作し、それが傑作と認められるようになったものというのは、どれだけあるのだろうか。そして、文学の中でも、もっとも言語感覚が厳しく問われる「詩」の分野では、ほとんどいないはずである。古今の天才詩人でも、外国語で作品を後世に残し得た人は、ほとんどいないと思われる。そういう詩作をやっているというのだから、余程の自信家なのだろう。

 今回の実行委員会の「開催中止にあたって」という文章では、この言葉は、ビナード氏本人から提案され、「本来なら花が咲いて楽しく迎えるはずの春を、福島第一原発事故が台無しにしてしまった。それほど大変な状態であることをこの言葉で伝えたい」と強いこだわりを見せたのだという。つまり、「さいた さいた セシウムがさいた」という言葉で、このような内容が伝わると考えていたわけである。しかし、日本語をネイティブで修得し、日本で生活してきた人で、そのように解釈する人は、よほど特別な感覚をもった人だろう。100%に近く存在しないといえる。実行委員会の人たちも、難色を示し、受け取られ方に不安を覚えたという。結局、ビナード氏の強い主張で採用することになったが、「本来ならば喜ばしい春の訪れを台無しにしてしまった東京電力福島原子力発電所の事故。放射性物質の拡散でくらしの危険が迫っています。日々の安全・安心を私たちの力で作り出していきましょう。」という文章を添えたチラシを作成したという。ということは、ビナード氏は、当初はそういう言葉も必要とは思っていなかったのだろう。

 このことから、ビナード氏は、日本語で詩を作れるほどに、日本語の感覚を身につけていないということが、暴露されてしまったというべきだろう。しかし、そのこと自体は、ビナード氏にとって、それほど不名誉なことではない。外国語で詩を作れる人など、実際にはいないといえるのだから。彼にとっての不名誉は、能力がないにもかかわらず、言葉を創作し、依頼者である日本人が、マイナスの受け取られ方をすると不安を示したにもかかわらず、強く主張して、強行したという点である。これは傲慢といわざるをえないだろう。

 それから対応した埼玉教組の人たちだ。彼らが、ビナード氏と同様な感覚をもっていたとは思わないし、また、注釈の文章は本心なのだろうが、有名な詩人に対して、自分たちの感覚を主張して、マイナスの事態にならないように努力するのではなく、中途半端に妥協してしまう、ある面では権威に屈する面を感じざるをえない。結局安易に妥協することによって、かなりの組織的打撃を受けてしまったわけだ。

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コメント(35件)

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いろいろな人がいるもんだが、こういう決めつけ方しか出来ない頭の固さが情けないね頭の良さをさらけ出して偏りすぎてることに気がつかないあーあためいき
negisyoi
2012/05/24 07:23
コメントどうも。「決めつけ」というのは、あなたの文章にこそふさわしいし、あなたも、ビナード氏のように「傲慢」なんでしょうね。(苦笑)そうでない、つまりビナード氏の考えが妥当だったのならば、「中止」にする必要はなかったでしょう。断固として決行すればよかったのです。
wakei
2012/05/24 14:58
「さいたさいた」はチューリップではない。
サクラ読本の歌詞をアーサーさんは引用している。
この詩の意味を知らずによくアーサーさんを傲慢と言えたものだ。
KI
2013/02/14 23:12
 アーサー氏を擁護する人のその擁護の仕方が、前の人もそうですが、まったく「傲慢」そのものですね。「チューリップではない」というのは、どういう意味ですか?私は上の文章で、チューリップのことなどまったく書いていない。書いていないことをもって非難するというのは、どういう感覚なのでしょうか。まったく苦笑せざるをえません。どこかで、そういう文章があって、その批判をここでそのまま使ったのでしょうか。
 私がアーサー氏が傲慢だと書いたのは、明らかに、彼の書いた日本語が、当時のほとんどの日本人がみたら怒るだろうと、合理的な感覚で、主催者である日本人が忠告しているのに、日本語のネイティブスピーカーではないアーサー氏は、それを認めず、強硬して、実際に多くの非難を受け、中止せざるをえなかったという事態を招いたことをいっているのです。日本人の日本語感覚を信用せず、おれの方が日本語の感覚を知っている、という認識がなければ、そうした態度はとれないはずで、そのことは、傲慢以外のなにものでもないではありませんか。
 「さいたさいた」がサクラ読本、戦前の国語教科書を念頭に置いたものであることは、あなたに指摘されなくても知っているし、サクラ認識の問題について、このブログでも書いているので、よかったら読んでほしいと申し上げておきましょう。

 それにしても、アーサー氏支持者って、ほんとうに傲慢なひと達で驚いています。アーサー氏は、全体としてはりっぱな人だと思っているけど。
wakei
2013/02/15 08:49
では、傲慢なひととは誰ですか?
外国人なのに日本語を使い、一部の人から批判されながらも自己表現を貫くひとのことですか?
日本語を使うすべてのひとに日本語の自由な表現が保証されているはずです。
それは人間の権利です。憲法以前の言葉のルールです。
真に傲慢なのはじぶん自身ではない「批判的な何者か」に意見を仮託し、じぶんでは射れもしない言葉の矢の先を向けているだけの兜に無知を隠した貴方様大先生でございます。
アーサー・ビナードさんは中原中也賞を受けた職業詩人です。
貴方様は言論人として客観的評価をお受けになった経歴がありますか?
並大抵の日本語力無しでは客観的評価は通過できません。
すべての表現者、芸術家は命がけで自己表現しています。
アメリカの哲学者J.S.ミルが言うようにたとえじぶんとは反対の意見でも、
その言論の自由は身を持って保証させるべきなのです。
現在の日本は「自己規制の自己規制」による戦前の言論統制的情況です。
アーサー・ビナードさんがもし傲慢なら、
福島で日々セシウムの恐怖にたえる人々は沈黙する傲慢者ですか?
「世間様に迷惑をかける」「被害者を傷つける」と身勝手な自己規制(いや世間規制)を課して、
事実の真実性を掬い取ろうと試みる詩的言語表現に蓋をして喜ぶ姿は「傲慢」にみえませんか?
権力者の嘲り笑う傲慢な顔には真理を射抜く弱者のまなざしが時として脅威の閃光に感じられるので、傲慢な反逆者・民衆を扇動する背徳者・卑怯な謀叛者というレッテルを張り隠蔽工作に躍起になります。
FUKUSHIMAの現状をとらえるに外国人も外国語もそんな違いは本質的問題では無いはずです。
日本語の、もっと言えば言語の繊細な感覚を信用していないのは大先生!貴方様自身です。
stellamare0
2013/08/15 08:38
(1)
stellamare0 さま、長文のコメントありがとうございます。ずいぶんとエネルギーを使われたと思われますが、ずいぶんと説得力のない文章を書きつらねていますね。このような人々にビナード氏は取り囲まれているのでしょうか。気の毒な思いすらしてしまいます。
 これであなたで3人目のコメントですが、共通していることがありますね。それは、ビナード氏が主張したテーマ(題)そのものについて、どなたも弁護していないことです。私が「傲慢だ」と書いたのは、あくまでも「さいた、さいた、セシウムがさいた」という「題」を彼が主張し、主催者からもそれはまずいと指摘されたにもかかわらず、譲らず、結局、中止に追い込まれたことに関してだけなのですから、そのことを「弁護」しなければ、あなたたちのビナード擁護は成立しません。しかし、今回のあなたの議論も、ビナード氏は中原中也賞を受賞した優れた詩人ということに過ぎません。優れた詩人が、「常に優れた言語感覚で表現している」といえますか?どんなに優れた人だって、「常に」そういう作品を生み続けているわけではないでしょう。あなたは、「さいた、さいた、セシウムがさいた」という「題」が優れた日本語感覚に裏付けられた表現だと思うのですか?そこが問題の中核です。少なくとも、私の書いたビナード批判は、そこにしかありません。
 彼の言論活動を全体的に批判などしていないし、まして、「世間様に迷惑をかける」とか、「被害者を傷つける」とか、どこに書きましたか?他のところで言われていることを、ここにもちだすのは、いくらなんでも、あなたこそ、あまりに粗雑な書き手だということになりますね。(つづく)
wakei
2013/08/15 22:06
(2)
 「さいた、さいた、セシウムがさいた」という表現は、多くの日本人が「不快感を覚える」と、私は感じるし、また、ビナード氏を招いた人ですら、そう感じたのです。だから、主催者は、その表現をやめるように要請したのではないですか。そんな表現をしたら「反感」をかってしまい、集会がおじゃんになると危惧したからでしょう。そして、実際そのようになった。何故不快感を感じるか、ここで説明する必要はないでしょうね。あなたが、あの時期にこの表現を使うことに、とても意味があった、とてもよい表現であったというのらば、そのように弁護すればいいのです。どうですか?

 それからいくつか。
1 「「批判的な何者か」に意見を仮託し、じぶんでは射れもしない言葉の矢の先を向けている」全く意味不明です。私は上記表現に関するビナード氏の姿勢を批判しただけです。あなたのいう表現の自由を行使したまでのことです。それとも、ビナード氏を批判することはタブーなのですか?ビナード氏に表現の自由があるように、私にも表現の自由がある。もちろん、あなたにも。だから、ここで私を批判しても、私は何もあなたに規制はしません。もちろん、反論しますが。
wakei
2013/08/15 22:07
(3)
2 「ビナード氏は受賞したけど、お前はどうか」これこそ、「虎の威を借る狐」的言い方ですね。みっともないですよ。「言論の自由」というのは、一切の肩書ぬきに、つまり社会的権威ぬきに、「言葉の妥当性」で議論するものなのですよ。しかし、それがあなたにはできないから、私を批判するのに、私が批判している内容そのものは少しも触れずに、いいもしないことを批判し、「賞」などをもち出しているのでしょう。違いますか?
3 「すべての表現者、芸術家は命がけで自己表現しています」ずいぶんとおおげさですね。確かに、そうせざるをえない社会や時代もあるでしょう。また、そういう心がけでやっている表現者がいることは認めましょう。しかし、少なくとも、あの集会にかかわっていたビナード氏には、少なくとも報道される限りでは、「命がけ」という姿勢は感じませんでしたね。本当に命がけだったのならば、どんなに右翼の攻撃があっても、自分が矢面にたつから開いてくれとでもいうべきだったのではないでしょうか。彼に好意的であったと思われる報道でも、そういう姿勢を見せたようには書かれていませんでした。(すべての報道をチェックしたわけではありませんが。)むしろ、問題があのようになって、実は、自分の表現があまり適切ではなかったことを感じたのではないでしょうか。もし、本当に不適切な表現であったと認めたのならば、逆にビナード氏を尊敬します。その後のことはわからないので、そこらはどうなのでしょうか。あなたはよく御存知のはずですね。ビナード氏があの表現を、あの後どのように自己評価したのか。
wakei
2013/08/15 22:08
(4)
4 「FUKUSHIMAの現状をとらえるに外国人も外国語もそんな違いは本質的問題では無いはずです。日本語の、もっと言えば言語の繊細な感覚を信用していないのは大先生!貴方様自身です。」つまりは、あなたは、あの表現が「言語の繊細な感覚を信用していれば」許容できたと思われているわけですか?もしそうなら、ここに書いた以上、何故そのような繊細な表現でありえているのか、説明してください。書き逃げはやめてくださいね。
 日本語も外国語も基本的に変わりはないことは、その通りだと思います。しかし、それはあの表現が日本語でいい表現ではないように、同じような表現を外国語でしたら、やはり、いい表現ではないのだということにしかならないということを意味すると思います。

 再度の説明を期待しています。
wakei
2013/08/15 22:09
教組のつくったチラシを読めば題名に込められた思いを解することのできる人はかなり増えると考えられるので、権威に屈するというほどでもないかなと思います。所が流行りの「風評被害だ」と言う叫びが予想以上の竜巻になった、という感じでは?
ビナード氏が説明など添えずとも伝わるだろうと考えたのは日本語の心をまだ理解していないのに自分を過信していたからではなく、自分の基準を(言葉がちと悪いですが)凡人に当てはめたからではないでしょうか。個人的にはそう感じたので「傲慢」と書かれると少しピンときません。

2015/12/26 22:27
上に何度も書いたように、ビナード氏が、最初に件の言葉を書いたことを傲慢といっているのではなく、その言い回しはほとんどの日本人の反感をかうと、招いた主催者ですら忠告しているのに、その忠告を無視したことを指しています。そして、その通りになったわけです。たしかに、言おうとしていることは、それなりに伝わるでしょう。あの言葉の意味をまったく誤解した人はそんなにいないと思います。しかし、そのことと、「気持ちよく受け入れられる」こととは全く別のことであり、それをまわりの人が説明しているのに、聞かなかったことは、まるで自分の日本語感覚が、多くの日本人の感覚より優れているのだと思っていたからではありませんか。素直に聞けばよかっただけのことではないでしょうか。集会が開催できなくなったことで、かなりの損害を受けたはずだし、そういうことに思い至らない人は、私はあまり信用できないのです。
wakei
2015/12/26 23:05
>ビナード氏が、最初に件の言葉を書いたことを傲慢といっているのではなく、その言い回しはほ>とんどの日本人の反感をかうと、招いた主催者ですら忠告しているのに、その忠告を無視したこ>とを指しています。

では、忠告に従わない人は、皆、傲慢ですか?ご説明願います。
一般人?
2016/02/17 00:23
このコメント欄に、何人かが、私の文章を批判・非難するコメントを書きましたが、すべてにきちんと回答しているにもかかわらず、その回答に再度コメントした人は、まったくおらず、いわば書き逃げ状態です。そんな状況を見ると、ビナード氏を擁護している人たちの「一部」は、無責任な人たちなのだな、とビナード氏に同情してしまいます。今回のは、「質問」自体が、まったくピントがずれていますね。私の引用された文章そのものもが、「限定」を意味しているのに、なぜ「皆、傲慢ですか?」というような質問が出てくるのでしょうか。あなたは、「限定」という意味を理解できないのでしょうか。「限定」している以上、「皆」でないことは、日本語の論理として当たり前ではないですか。
せっかくだからこちらからも質問しましょう。
「さいた、さいた、セシウムがさいた」という表現をあなたはどう感じているのでしょうか。もちろん、ビナード氏は、原発反対の立場で運動をしているのですから、その運動を推進する上でという意味での「限定」した質問です。
(1)原発反対運動を推進する上で、そういう人たちの共感を得る「優れた表現である」と考えるのでしょうか。
(2)表現としてはまずいと考えるならば、集会主催者が、事前にまずいと考え、その言葉の使用を再考するように要請したにもかかわらず、それを受け入れなかったビナード氏の態度をどう思いますか。
(3)表現として詩人の優れたものだと考えるならば、集会主催者が、集会を中止することを考えたとき、それを受け入れた、つまり、あくまで自分の「表現」の適切さを訴えて集会を行うように主張しなかったビナード氏の態度をどう思いますか?
こういうところで発言・質問する以上、責任がありますから、この質問にぜひ回答願います。
wakei
2016/02/18 07:15
返信コメントありがとうございます。

コメントへの感想は後回しにして、ご質問いただいた事に返答いたします。

(1)については、「人それぞれでしょう」
あなたが、そう(共感すると)思わなかっただけです。

(2)については、「問題ないと思います」
表現としてまずいと思ったのは主催者側で、ビナード氏はそう(まずいとは)は思っていないでしょう。彼らは、考え方が違ったようですね。

(3)については、ご本人がラジオ番組で『でも、それが誰かを傷つけたタイトルだとすると、それは僕の本意じゃないから』と言っているようですよ。リンク張っておきますので、お時間があればご確認ください。動画の冒頭部分と最後に触れられています。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=l3TIqh1itGk
集会の強行は在りえなかったようですね。

ちなみに、集会が中止になった理由は、『中止の理由は、今回の記念講演の演題に対する抗議が相次ぎ、中には脅迫めいたものもあったため、講師、参加者、会館、会場周辺のみなさんの安全を考えて判断したとのことです。』と、書いてあるブログがありますので、こちらもお時間があれば、ご確認ください。
URL:http://ameblo.jp/sai-mido/entry-11188533397.html

集会に行かなくて良かったですね。(笑)

一般人?
2016/02/19 01:19
(続き)
最後になりましたが、あなたのコメントに対する感想ですが、そもそも、私の質問は、
「忠告に従わない人は、皆、傲慢ですか?」です。
あなたは、なぜかこの“皆”という部分が引っ掛かったようですが、この“皆”という単語がなくても質問の意味は変わりませんよ。
「忠告に従わない人は、傲慢ですか?」
この質問の“忠告に従わない人“は、両方とも不特定多数であることは、日本語が読解できるなら、分かりますよね?
私の質問の意図は、“何らかの忠告に対し、それに従うかどうかは選択できる”と、言うものです。誰が何を言ったなどという「限定修飾」は、意味がないでしょう。誰が、その内容の良し悪しを決めるのですか?考えが違えば、従わないこともあるでしょう。それが、“傲慢”かと聞いたのです。むしろ、自分の考え(あなたがこのブログでいう主催者の忠告)に従わせようとする方が、傲慢でしょう。ビナード氏は主催者側に呼ばれたわけで、自分が集会を開いてくれと頼んだ訳でもない。それに、集会の中止自体も主催者が決めたことですよ。およそ、あなたが想像する事態で中止にいたったわけではないのです。早合点したようですね。
ビナード氏が主催者と忠告に従わないことで喧嘩して中止になった訳ではないことは、お分かりいただけましたか?他にもいろいろと、書きたいことがありましたが、あなたに不快な思いをさせてしまうだろうと思うので、止めておきます。悪しからず。
一般人?
2016/02/19 01:19
 回答いただいたことについてはお礼を最初に申し上げておきます。しかし、その内容については、はっきりいって、ますます、ビナード側にたって(と理解しますが、それも早とちりでしょうか?)いる方たちの、論理性のなさに驚いております。
 お勧めのyoutubeを聴いてみましたが、正直いって、これを聴くまでは、ビナード氏は、もっとまともな人かと思っていましたが、むしろ呆れました。また、そこに迎合的な発言をしている吉田照美氏に対しても。
(1)の回答について。「人それぞれでしょう」というのは、当たり前のことでしょう。私は「あなたの」考えを聞いたわけです。「人それぞれ」という表現をするということは、あなた自身は、判断停止をしていると解釈してよいでしょうか。それとも、あなたは、原発事故とか、原発そのものについて、どうでもよいという立場なのでしょうか。それなら、まあ、あまり議論する意味はないかも知れません。私がこの表現に不快感をもっているのは、反原発運動にマイナスとなり、反反原発派に大きな攻撃の材料を与える表現であるということが基本です。
wakei
2016/02/19 21:59
 吉田氏とビナード氏は、「サイタサイタセシウム」の表現が「不謹慎だ」と批判されたことに対して、不謹慎だとは思わないと語っています。私自身も、「不謹慎だ」という批判をするつもりはありません。私自身、桜という花が好きではなく、ブログでもfacebook でも書いているので、サクラをセシウムに置き換えることの意味を理解しないわけではありません。しかし、私のサクラ嫌いは、圧倒的な少数派であって、そういうことをいうと、100人中99人は信じられないという表情をします。99%の人は、つまり、桜が好きなのです。桜だけではなく、一般的に「花が咲く」という現象に不快感をもつ人はほとんどいません。つまり、ビナード氏の表現の問題、そして、ビナード氏を招待した人ですら受け付けなかった理由は、本来「好ましい」とほとんどの人が考える「花が咲く」という表現のなかに、花を、人間にとって深刻な悪影響を与えるセシウムに置き換えた、その表現のニュアンスなのです。おそらく、主催者が事前にこの表現を受け取ったときに、否定的態度をとったのは、そうした「ニュアンス」のもつマイナス感情が人々のなかに起きると予想したからでしょう。そして、それは実際に現実となったのです。少なくとも、運動に責任をもっている人にとって、自分の使う言葉がどのような受け取られ方をするかについては、厳しい姿勢をもっていなければなりません。おそらく、ビナード氏は、たんに「サイタ サイタ サクラガサイタ」の「サクラ」を「セシウム」に置き換えただけだという感覚なのでしょう。そのようにyoutube で語っていました。しかし、私はここまで無責任な人だと思っていませんでした。
wakei
2016/02/19 22:00
詩人であれば、その言葉の感覚、感性、ニュアンスにもっと敏感でなければならないのに、外国語のニュアンスに対して、ネイティブの人がしている忠告を、集会がだめになった時点でもあまり深く考えていないのだと、このラジオ放送を聞いて感じざるをえませんでした。
(2)表現としてまずいというのは、主催者で、ビナード氏はまずいと思っていないということは、半分の事実としては、そうなのでしょう。ビナード氏がまずいと思っていないことは、ラジオを聞いてよくわかりました。しかし、まずいと感じたのは主催者だけではないのは、あまりにも明らかではないですか。あなた自身がこう書いていますね。
「ちなみに、集会が中止になった理由は、『中止の理由は、今回の記念講演の演題に対する抗議が相次ぎ、中には脅迫めいたものもあったため、講師、参加者、会館、会場周辺のみなさんの安全を考えて判断したとのことです。』と、書いてあるブログがありますので、こちらもお時間があれば、ご確認ください。」
 抗議のなかには、反反原発の人たちの、どんな集会にも抗議する人たちももちろんいたでしょうが、そういう人たちに口実を与えたということは否定できないし、また、そうした人だけではなく、おそらく、もっと中立的な人や反原発の人たちもいたに違いありません。もちろん、それを論証することはできませんが、当時のメディアは、とくにテレビなどは、原発事故の正確な状況を伝えないものも少なくなかったのですが、新聞やインターネット等では、けっしてそうではなく、原発の危険性を真剣に考えようという雰囲気は確実にありました。しかし、そうしたなかでも、私の読んだ限りでは、この集会の中止に至った事情については、残念なものだという雰囲気が強く出ていたような気がします。
wakei
2016/02/19 22:00
 もちろん、報道されているような状況で、集会を強行することができなかったことは明らかでしょう。現実的判断としての集会中止の是非をあなたに聞いたわけではありません。あくまでも論理として、あの表現が問題ないのならば、その表現を撤回せず主張した本人は、あくまでも集会を行うことを主張するのが筋だと、考えないのかと質問したのです。
 自分としては、この表現は適切であるし、みんなに話せばわかるのだから、ぜひ開いてほしい、でも、こんな脅迫があるようでは、仕方ない、というのと、前者がないのとでは、その人への評価は大きく変わります。
(3)「ご本人がラジオ番組で『でも、それが誰かを傷つけたタイトルだとすると、それは僕の本意じゃないから』と言っているようですよ。リンク張っておきますので、お時間があればご確認ください。動画の冒頭部分と最後に触れられています。」
確かに最後で上のようにいっています。しかし、これって、まるで政治家のいいわけのように聞こえますね。自分の主観的意図だけを語っていて、それを理解しないものが悪いとでもいいたげに聞こえます。「傷ついて人がいるなら、迷惑をかけたなら誤る」というよくある謝罪と同じだと感じてしまいます。この点についてはこれだけ。
wakei
2016/02/19 22:01
 2番目の文章についてです。
 「なぜか皆という言葉に引っかかった」ということで、皆があってもなくても同じだとの論法は、あっけにとられますね。
 「忠告に従わない人は、皆、傲慢ですか?」を「忠告に従わない人は、傲慢ですか?」に置き換えて、同じ意味だろうということですが、ふたつの文章が、厳密にいえば違いますが、だいたいにおいて同じであることはそうでしょう。
 「忠告に対し、従うかどうかは選択できる」、当たり前のことですね。その通りです。
 問題は次でしょう。「誰が何を言ったなどという「限定修飾」は、意味がないでしょう。誰が、その内容の良し悪しを決めるのですか?」とあなたは書いています。「限定は意味がない」というのは、明らかに「論理」の基本を無視した考えといわざるをえません。一般的にいえるのか、限定的な状況が付加されれば、意味が変わるのかは、当然重要なことで、限定に意味がないなどというのは、話になりません。
 誰がそれを決めるのか、というのは、たとえば、ここでの私とあなたの話でいえば、私がどう考え、あなたがどう考えるかを出し合って、その妥当性を議論していくということでしょう。ビナード氏と主催者の話し合いでは、双方の考えを率直に出し合って決めるしかないでしょう。そういう意味で、主催者側がビナード氏を説得できなかったことも、彼らの弱さとして批判されるべきです。
wakei
2016/02/19 22:01
 私はここで、自分の考えを明確に、何度も書いてきました。しかし、あなたは、人それぞれだ、誰が決めるのか、という書き方をしていますが、それは誰も決められない、誰も判断できないということですか?双方が自分の見解をきちんと述べ、柔軟に議論すれば、共通認識に達することはできると思いますが、ひとそれぞれだというだけでは、それは不可能ですね。
 もちろん、考えが違えば従わないこともあると思います。あるいは、そうすべきであることもあるでしょう。(あなたがご自分の見解を述べない以上、セシウムがサイタ、の表現自体の議論はこれ以上進まないでしょう。)
 ただ、念のため、もう一度ポイントだけ書いておきます。

 外国語の習得は極めて難しいものであり、かなりの達人であっても、文章に現れない細かいニュアンスを理解することは更に難しい。「サイタ サイタ セシウムガ サイタ」という表現は、ビナード氏の知識に基づく主観的な意図がどのようなものであれ、それが、人々にどのように受け取られるかについては、その主観的意図とは異なる可能性がある。そのような場合には、やはり、母語としてその言語を生涯つかっている人たちの、素朴なニュアンスの受け取り方について、謙虚に受け止めるべきなのである。ビナード氏を高く評価して講演者として読んだ主催者が、その表現はネガティブに受け取られる危険性があるから、改めてほしいといったときに、ビナード氏はもっと真剣にその「不安」を考慮すべきであった。
 実際に、主催者の不安は的中してしまったのだから、その不安は杞憂ではなかった。
 私がビナード氏は傲慢だと書いたのは、この一点です。

wakei
2016/02/19 22:02
 以下、あなたの「早合点」について指摘しておきます。
 私が自分の考えに従わせようとしているというのは、おかしな言い方ではないでしょうか。ここは単に意見表明の場に過ぎず、何の実効的行動もとれません。あくまでも議論をして、意見を自分で変えるか、維持するかというだけの世界でしょう。
 もし、相手の意見に疑問を提示することが、従わせようとしているというのなら、何をかいわんやですね。
 ビナード氏と主催者の関係については、あなたの書いている通りだと思っており、それと違うように解釈などまったくしていないし、主催者とビナード氏が喧嘩したなどと思っていませんよ。私がどのような事態で中止に至ったかなどということを、具体的に書きましたか?それこそあなたの早とちりです。
 それから、私は何を書かれても、きちんとした指摘であれば、不快な思いなどしませんから、どうぞご自由に書いてください。
wakei
2016/02/19 22:03
お返事ありがとうございます。

えっと。。。、(笑)

『長文のコメントありがとうございます。ずいぶんとエネルギーを使われたと思われますが、ずいぶんと説得力のない文章を書きつらねていますね。』

あなたが、コメントされた方に掛けた言葉です。そのままどうぞお受け取りください。(笑)

何か勘違いされているようなのですが、あなたのお考えは、これまでの内容を見ているので、理解していますよ。あなたが言うような、“双方が自分の見解をきちんと述べ、柔軟に議論すれば、共通認識に達することはできると思います”とは思ってません。頭、大丈夫ですか?むしろ、それ(一致点などない事)が分かるように書いたつもりですが。

私が提供した情報によって、ビナード氏への不信感を強くされた様で何よりです。そうだろうと思ってましたよ。別にあなたの考えを変えたいわけではないので。コメントを書くにあたって話の事実関係の具体性を上げる目的ですので。
でもまあ、あなたが言う“ビナード氏の傲慢”が主催者側とビナード氏の意見対立なくして説明できないのに“ビナード氏と主催者の関係については、あなたの書いている通りだと思っており、それと違うように解釈などまったくしていないし、主催者とビナード氏が喧嘩したなどと思っていませんよ。”
には、恐れ入りました。対立していないと思っているならば、あなたが言う忠告無視などということは、両者の意見が一致していれば、そもそも起こらないではないですか。一致していれば忠告などしないし、したがって、忠告無視もない。意見対立してこそのものですよ。ご自分の書いたものをよく読んで見なさい。
一般人?
2016/02/20 08:53
その上で、中止になった理由が『今回の記念講演の演題に対する抗議が相次ぎ、中には脅迫めいたものもあったため、講師、参加者、会館、会場周辺のみなさんの安全を考えて判断したとのことです。』という、事実を載せたのですよ。つまり、中止の主な理由は、あなたと同じく“タイトルが不快だ”との感性を持つ人が脅迫したことに因り、集会を襲撃・妨害される恐れを考慮したということです。だから、あなたの言う“主催者側の忠告”も集会を妨害される恐れがないなら発生していない事象ですし、抗議や脅迫がなければ、そのまま集会は行われていたということですよ。さらに、あなたは“ビナード氏が傲慢”と思ったようですが、私が紹介したブログの人は、あなたと違ってビナード氏を傲慢だとは思っていないようですね。講演が潰されたことを悔しがっていました。さらに、ここにコメントを寄せた人も全員、傲慢だとは思ってないようですね。おかしいですね、あなたの言に因れば、彼はほとんどの日本人に共感できないというタイトルの件で嫌われているはずなんですが・・・。彼は、現在も精力的に講演活動しているようですが、サクラを使っての何かの演出ですかね?それとも、傲慢な人の講演を聞きに行こうという人が、そんなにたくさんいるんでしょうか?説明できます?
一般人?
2016/02/20 08:55
付け加えておくと、集会は講演の中身が重要で、タイトルなど飾り程度ですよ。たとえば、あなたは本のタイトルや新聞の見出しに不快感を感じて、中身も見ずに抗議の電話や脅迫をしますか?タイトルなどはキャッチコピーとしての要素がいるので、多少過激に書くものですよ。私は、ほとんどの人がそんなものは無視していると思いますし、例えば本のタイトルが気に入らないからといって、差し替えろなんて言いません。買わなければ(読まなければ)よいだけのことです。この場合も同じで、タイトルが気に入らなければ集会に行かなければ良いのですよ。わざわざ、他人様の表現の自由を妨害しようとは思いませんね。しかし、あなたは脅迫するような方々と同一価値観の様ですね。不快だと思い、さらには傲慢だと。(あと、擁護するやつも傲慢だと)ずいぶん分かり易い理屈じゃないですか。小学生か?と思った程ですよ。

ちなみに、私が件のタイトルを共感できるかとお聞きのようですが、私がタイトルを見たときの感想は「意味不明」です。セシウムという名詞とさくという動詞が特につながらなかった。だから、作者が何か表現したいのだろうとは思いましたが、“サクラ読本”とは思い至りませんでしたよ。サクラ読本に興味ないので。だから、共感もくそも「何も思わない」が答えです。あなたの言うほとんどの日本人に入れず残念ですと言った方がいいでしょうか?お気に召しませんか?あなたに言わせれば、私も“傲慢な人”なのかもしれませんね。(笑)
一般人?
2016/02/20 08:56
ここにコメントを書いたのは、
ただ、『詩人アーサー・ビナード氏の傲慢』が何かと読めば、“能力がないにもかかわらず、言葉を創作し、依頼者である日本人が、マイナスの受け取られ方をすると不安を示したにもかかわらず、強く主張して、強行したという点”という。それのどこが傲慢なのだろうと思って、できるだけシンプルに質問した。
で、“「限定」を意味している”と返事が返って来たわけですが、二度目の返事に“「忠告に対し、従うかどうかは選択できる」、当たり前のことですね。その通りです。”とお返事いただきましたよね。そのあとに、またあなたの理屈が書いてありますが。。。
私が最初に引用した“その言い回しはほとんどの日本人の反感をかうと、招いた主催者ですら忠告しているのに、その忠告を無視したこと”があなたの言う限定でしょうが、あなたが二度目の返事に書いたとおりなら、忠告無視は傲慢ではないと認めていますよね。その後の文章では、自分が限定すれば矛盾しないとでも言いたげですが。それは屁理屈(主観)というものですよ。論理ではないです。論理とは普遍性を証明するもので、この場合の“その言い回しはほとんどの日本人の反感をかう”は反感を持つ人もいれば、持たない人もいる。その点は、人それぞれだと言った筈ですが、理解できませんでしたか?
場合わけしてみますよ。
仮に、人々がそのタイトルに反感をかうという場合
仮に、人々がそのタイトルに反感をかわないという場合(好感もしくは無反応)
あなたの“ほとんどの日本人の反感をかう”ですが、その実際はどうでしょう?知り得るすべがありますか?それとも全国民に聴いて回ったとでも?
あなたが言う“限定”とはあなたの頭の中のフィクション(思い込み)に過ぎませんよ。
だから、“限定”にすらなっていないつまり、「意味がない」と書いたのです。分かりませんでしたか?
一般人?
2016/02/20 08:57
さらに言うと、私は質問では「忠告」を「無視」が「傲慢」か?についてだけに「限定」しています。何か他の要素がありますか?これでは正解が1つに定まらない、という要素がありますか?これが、論理でいう「限定」ですよ。2つ以上に場合わけできる1つの不確定要素を混ぜて「限定」などと片腹痛い。
私は言葉の意味で論理をつくり、あなたは人の主観(感覚)で論理を作ったのですよ。

同じ論理で、人殺しが、正当防衛だろうと、戦争だろうと、物取り目的だろうと、殺人は、殺人です。知りませんでしたか?あなたの言う「限定」など屁理屈程度ですよ。普遍性を証明できるものではありません。論理の基本を語る前に、論理が何か知らないんじゃないないですか?

ここまで書けば、“共通認識に達すること”がない事ぐらい分かりますよね?

さらにあなたは“私は何を書かれても、きちんとした指摘であれば、不快な思いなどしませんから、どうぞご自由に書いてください。”と言います。また怪しげな“限定(正確には条件ですか)”が書いてあります。“きちんとした指摘であれば”かどうかはあなたが決める、不快かどうかもあなたが決める。⇔独裁者ですか?(笑)まあ、あなたのブログではありますけどね。

さらにあなたは“ビナード氏を傲慢な人”と呼びあるコメントの返信には“全体としてはりっぱな人”とも書いています。“傲慢で立派な人”とはどんな人でしょうか?(笑)ずいぶん器用な言い回しですね。(笑)実際は何が言いたいんですか?(笑)
私には、これを見る限り、あなたが凄く善人に見えますよ。つまり、たぶん悪意はなかったんだろう、とね。(笑)
一般人?
2016/02/20 08:58
あとですね、私が「むしろ、自分の考え(あなたがこのブログでいう主催者の忠告)に従わせようとする方が、傲慢でしょう。」といった「自分」の部分をあなただと思われたようで、私の書きようが悪かったみたいですね。書くときにも、気をつけたつもりなんですが、やはり読解できなかったようですね。ここでいう、「自分」とは「ある人が、自分の考えに従わせようとする・・・。」という一般的の意味です。括弧内はこのブログのケースであり、主語は主催者で、その人の忠告に従わせる、です。よく読めば分かると思いましたが、難しかったですか?
まあ、主催者側は従わせようなどという意図がないことは、私が紹介したブログで判明してるんですけどね。あくまで、集会を潰したのはあなたと同じ感性の人々の抗議・脅迫なのですから、問題点は彼ら(ビナード氏と主催者)にはないでしょう。あなたは、私に“まったくピントがずれていますね。”と言いましたが、そっくりそのまま、あなたのブログ内容にお返ししておきます。(笑)
一般人
2016/02/20 09:00
そうですね、大体ポイントは書いたのですが、あとはあなたのサクラ嫌いに特に重要性を感じない(私は、自分がサクラがすきかどうか重要でないです)であるとか・・・。
他には、原発問題は重大だと思っていますよ。同時に、件のタイトルがさして問題にならないとも思っています。講演内容見ずに批判する人が、その問題性にどうやって気づくのですか?そんな人とは普通、議論が成立しませんよ。
それから、ビナード氏の詩人としての能力についてのご指摘ですが、私は、評価しています。彼の本も詩も読みました。あなたは、もちろん読んだのですよね。では、ブログに書くときは、抽象的に書かずに、この部分と指摘する方が説得力があったんじゃないですか?お得意の“限定”はなかったように思われますが・・・。それに、あなたが“外国語で詩を作れる人など、実際にはいないといえるのだから。”とのご指摘は、日本人が英語で詩を書くという人もいるようですよ。リンク貼っておきますので、よろしければ。
URL:http://www.joqr.co.jp/sagasu/2015/05/
世の中は広いですね〜。あなたにとって、この世は傲慢な人だらけですね。(笑)
一般人?
2016/02/20 09:01
最後に、あなたは“こういうところで発言・質問する以上、責任がありますから、この質問にぜひ回答願います。”と書いておきながら“ここは単に意見表明の場に過ぎず、何の実効的行動もとれません。あくまでも議論をして、意見を自分で変えるか、維持するかというだけの世界でしょう。”とも書いています。
“単なる意見表明”と“質問する責任”とはまた、相反する表現ですね。あなたが“書き逃げ”と称するコメントは、単なる意見表明だったのですか?それとも、何か果たさねばならない責任だったのでしょうか?
ネットの書き捨てに責任がありますかね?おそらく、コメント受付しない方がよかったんじゃないですか?

私は、質問して返事を書きましたが、当然、書き捨てすることも可能でしたし、今回、返答していただいた内容で、私の方は完結してますので、特に、今後返答するかは不確定なので、予め、ご了承ください。
と、言っておいたほうが良さそうですか?(笑)

いやー、説得力がない長文コメントだろうと思われるでしょうが、もともと、説得しようとは思ってないですし、ただの質問コメントからの単なる意見表明スタートなんで、適当に読み流してください。(笑)
一般人?
2016/02/20 09:03
再度の長文コメントをありがとうございます。
1対立と喧嘩を同じ意味でとっているようですが、あなたが「喧嘩」という表現をしたので、喧嘩はなかったと書いただけであり、「対立はあった」というのは、当初からの前提であることは自明ではないですか。逆にいえば、主催者は、ビナード氏と、喧嘩すべきであったともいえます。主催者は、ビナード氏を高く評価して招待したわけですから、あの表現そのものについて否定的な感情をもったとしても、当人がそれでいいのだといえば、心のなかで納得しないまま、採用した、ということなのでしょう。このようなことは、別に珍しくもないと思います。
2講演中止について、妨害される恐れがないなら、主催者の忠告もなかった、と書いていますが、恐れがあったから忠告をしたのでしょうし、それが実際に起きた。主催者の不安は正しかったわけでしょう。違いますか?実際に抗議がなければ集会は行われた、当たり前のことだし、妨害予告があったから中止した、それも仕方ないですね。で、忠告があったにもかかわらず、聞き入れなかったビナード氏に、まったく問題がないんですか?
wakei
2016/02/21 12:17
 3もちろん、その表現が、すごく大事で本質をついており、その表現でこそ開催する意味があるという確信があるなら、別でしょうし、主催者側だって、それを受け入れたでしょう。私には、そのような形で受け入れたとは思えない。そして、あなた自身が、「意味不明」とまで書いているではありませんか。「意味不明」な表現で、集会がつぶされる「恐れ」があるのに、それを改めるべきだったと考えないのですか?たとえば、事前の打ち合わせで、主催者がビナード氏に、この表現はまずいと忠告している場面を想定して、あなたがその場にいたら、「意味不明だけど、いいんじゃないんですか?」というのでしょうか、それとも、そういう恐れがあるなら、もっと明確に訴える表現に変えたらいいんじゃないか、と意見しますか?それとも、また別の意見をいいますか?
 4ビナード氏が「能力がないにもかかわらず」などという表現をどこかで、私が使いましたか?むしろ、能力があり、かつ自信があるからこそ陥りやすい事態として指摘しているのですが、そのことはお分かりのはずです。それとも、あなたは能力がある人は、決して傲慢な判断などしないとでも思っているのでしょうか。「全体としてりっぱな人という理解」と、「あの時点での対応は傲慢だったという評価」とは、まったく矛盾しません。立派な人が「常に」立派なわけではないでしょう。「傲慢で立派な人」などという、勝手な造語は慎んでほしいですね。(苦笑)
wakei
2016/02/21 12:18
 5忠告を無視することが傲慢か、というのが限定だそうですが、ずいぶんと恣意的な使い方ですね。その質問は「一般形」でしょう。一般的な場合はそういえないが、忠告の内容と、その無視との関係において、傲慢と評価せざるをえない場合があるということは、当たり前のことであり、それが「限定」だと理解しています。「多くの日本人の反感をかう」というのが、私のフィクションであり、私の主観にすぎない、証明できないことだ、という趣旨のことを書かれていますが、実際に、主催者やビナード氏が開催できないと判断するほどの抗議や脅しがあったのですよね。これはフィクションですか?逆にいえば、「そんなことはない、立派な表現だ、ぜひ応援するから、妨害には屈しないで開催してほしい」というような、更に、抗議を上回る支持の行動でもあったのでしょうか。
 6「集会は講演の中身が重要で、タイトルなど飾り程度ですよ。」という表現に、あなたの立場というか、感覚が集約されているような気がします。中身を知ることができるなら、あなたのおっしゃる通りでしょう。タイトルで反感をもっている人に、中身をちゃんと知ってから、ということは可能だし、適切な対応でしょう。しかし、講演はまだ開かれていないんですよ。知りようがありません。つまり、このタイトルで問題なのは、講演を周知させ、できるだけ多くの人に聴いてほしい、そして、講演の趣旨を的確に伝えるべてコピーが、そうした的確性をもっているかなのです。過激なタイトルをつけるのは、それはいいでしょう。結局、聴きたくても聴けない状況をつくってしまったわけです。
wakei
2016/02/21 12:20
 あるいは、中身が重要だということを極端にいえば、強行すべきだったと、あなたはお考えなのでしょうか。それは無理だというのは、厳密な可能性としては間違っています。警官に守られながら開催することが可能ですから。脅迫状もきていることだし、警察はちゃんと警備してくれますよ。私は、そんなやり方をするより中止すべきだと思いますが、あなたはどうですか。
 それからもうひとつ、これがとても重要なことですが、彼は詩人ですね。詩人は、極めて短い言葉のなかに、本質を凝縮させることのできる人であるはずです。つまり、最小の短い言葉、この場合「セシウムガサイタ」という表現に、彼の伝えたいことを凝縮でき、それを的確に伝えることができたのでしょうか。あなたですら、「意味不明」と思ったのですね。「飾り程度」という表現は、逆にビナード氏の詩人として重視していないと、私には感じられます。
wakei
2016/02/21 12:20
彼の表現は常に傲慢と言わざるを得ない。それは間違いなく彼の人間性からくるもの
だと思う。発言内容は正しい事も有るかも知れないが、常に言い方が上から目線で
かつ攻撃的で相手又は事柄にたいしても決めつけが激しい。特に日本の歴史に対して
の解釈が思い込みや間違いと思える事が多すぎる。スカパー等視聴率が低い番組や
ラジオでしか発言してないが地上波で堂々と言えたら大したものだと思うが。
特に、日本の歴史学者やその他の専門家が同席した場で自分の主張が出来るのか?
是非、独断場では無い地上波で堂々と発言して欲しいものだ。

アンチ ビナード
2016/03/26 05:15

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詩人アーサー・ビナード氏の傲慢 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
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