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zoom RSS 亀岡事故の被害者情報提供は、学校の情報意識が背景

<<   作成日時 : 2012/04/27 14:50   >>

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 京都亀岡の事件は、様々な議論を呼んでいるが、被害者の情報を加害者の父親に教えたという問題もそのひとつである。当初警察が漏らしたということで、警察が非難されていたが、亡くなった女性の番号を教えたのは、女性の娘さんが通っていた小学校の教頭だったということが明らかにされている。
 この問題はいくつかの考えねばならない点を提起している。

 確かに被害者側が怒るのは自然だと思うが、テレビで映った映像でのように、あそこまで非難することだろうかというのが、率直な感情だ。情報を提供してほしいといったのは、加害者の父親ということだが、この父親は、息子のやることに普段から心を痛めており、決して、何にも感じない無責任な父親ではないようだ。だから、謝罪したいと思って、情報を求めたという。そのこと自体は、問題があるようには思えない。相手の所在がわからなければ、謝罪できないからだ。もちろん、何らかの悪意があれば、酷い話だが、報道されている内容からみて、謝罪のためというのは、疑うべきだとは、私には思えない。

 では、信頼できるから教えたということが適切かというと、もちろんそんなことはない。実はここに「学校」がもつ、あるいみ不可避的な目線を感じるのである。つまり自分たちが情報管理者であるという意識である。情報管理者は、対象となる情報の当事者であるという意識が、学校関係者はもちにくいようだ。
 教師予備軍の学生を普段教えているのだが、いじめられているという子どもに相談を受けたらどうするか、という問いに、多くの学生が、事実を確かめるために、いじめているという子どもを呼んで話をすると答えていたので、後日、何故そのような回答をしたのかと質問すると、授業でそう教わったという。私は人間科学部にいて、臨床心理学では、決してそのように教えないので、驚いたわけだ。事実を確認せよ、と教えた教員は、複数いていずれも学校現場で教師をやっていた人だった。
 相談というのは、当然その人を信頼して打ち明けるのであって、その情報が管理されることを前提としている。事実を確認する必要があるにしても、断りなしにいじめているとされる子どもを呼んだら、あとで仕返しをされる危険があるのはいうまでもない。当人の意思が絶対的ではないにせよ、基本的に当人の合意の下に、情報を開示するべきであるが、様々な情報を機関としてもっている学校では、自分たちが情報管理者であり、情報は自由に処理できるという意識が抜きがたくあると感じる。
 今回の教頭が求められるままに出したのは、自分で判断できるという意識があるからだろう。決して、その教頭個人の特別な感覚ではない。

 どうしたらよかったのか。もちろん、加害者の親が被害者に謝罪したいという気持ちは当然で、そうした機会を設定することは意味のあることだろう。しかし、それも双方の合意が必要であり、どのような設定による場がいいのか、勝手に加害者側で決められるものでもないし、また学校が一方的にそれを決められるわけではない。また学校がふさわしいわけでもないだろう。警察なりが場を設定して、双方がそこに出向き、加害者側が謝罪をするというのが、もっとも適切であるように思う。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
いつもTVを見て、辛い気持ちになります。
もし我が子がって思うと居ても立ってもいられません。どうも出来ない自分が悔しいです。遺族に心から言葉を送りたいです。

昔、お世話になった方もTVに映っており尚更腹立だしくなります。
何か出来る事があるなら、してあげたいです。
ただの偽善者て言われるかも知れませんが、本当に辛くて悲しいです。

犯人にちゃんと謝罪をしてもらい、それなりの罪を与えてもらわないと気が収まりません。
ママ
2012/07/20 08:42

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