教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 読売新聞、尾木直樹氏のインタビューへの疑問

<<   作成日時 : 2012/07/28 15:39   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

7月28日付の読売新聞に、尾木ママこと、尾木直樹氏のインタビューが掲載されている。大津の調査委員会の委員になったことが契機となっているようで、読売新聞はあまり読んでいないので、日常的にどのようなスタンスでこの事件を報道しているかわからないが、このインタビューを見る限り、切り込みが深いともいえず、また、尾木氏の発言に無視できない問題があるので、書くことにした。

 教師の見方があまく、生徒の信頼を損ねているなど、ごく当たり前のことを述べたあと、次のようなやりとりがある。

−−学校や教育委員会に構造的な問題があるのでは
 各地で導入が進む学校評価制度は必要なものだが、やり方に問題がある。教師はいじめを報告すると、自分の評価が下がるだけでなく、学校全体の評価が下がってしまう迷惑をかけると思ってしまう。今は通学先を選べる学校選択制も広がっている。いじめの件数などが公表されれば、親の選択に大きく影響しますから。むしろ、教師がいじめを発掘したことを評価するような仕組みこそが必要なのです。

 教師がいじめを発掘するとは一体どういうことか。まるで、いじめを摘発するような調子である。もちろん、いじめのサインを見逃さないことは大切である。しかし、いうまでもなく、それは発掘するためではなく、いじめを解決するためである。そもそも、いじめは、クラスの中で、きちんと解決されれば、特に表に出す必要もないし、また、実際に出されることはないだろう。

 尾木氏は、表に出すことを「評価」するシステムが必要だという。一体そんなことがありうるか。
 ここで、学校選択制度を持ち出し、いじめが多いと、親が選択しないというようなことがあるから、そうした評価を変え、発掘した学校を高く評価するようなことが必要だということらしい。あまりに馬鹿げた提言だ。
 いじめが多ければ、親としては、学校選択制度が実施されている地域であれば、そうした学校を選択しないことは、ごく当たり前のことである。いじめが多いということは、いじめを解決できていないということに他ならないのだから、そんな学校を高く評価する人などいるはずがなく、いじめを解決できなくて評価が低下したら、教師が頑張っていじめを解決し、地域に再評価されるように努力する以外にはない。

 尾木氏は、「いじめを発掘することが大切です。我が校では、これだけのいじめを発掘しました。とても優れた教育実践をしている証拠です。」というように、学校のセールスポイントを、学校選択の中で提起できるようにするのがいいとでもいいたいのだろうか。「なるほど、この学校の教師はよくやっているので、子どもをいれたい」などと親が思うべきだというなら、いかにも現実離れしている。

 いじめを解決しないまま、隠蔽しようとしても、現代社会では、どこかで暴露されてしまうということを、肝に命じる必要があるのであり、学校関係者は、そのことをこそ、今回の事件で学ぶ必要がある。いじめが起きても、しっかり対応している教師や学校のことは、子どもたちはちゃんとみているのだし、隠せば、子どもといえども、容赦なく批判的行動にでるのだ。

 次に尾木氏は教育委員会の問題を指摘する。

−−教育委員会が形骸化し、教師出身者のムラ社会だ、とも言われています。
 一日も早く教育委員会を解体した方が、教育は健全化されると思いますね。他の部局でどうにでも対応できる。大津市では、市長と教育委員会の見解が食い違うなど、おかしなことになっています。

 読売新聞が、教育委員会などというめんどうな制度をやめさせたいと思っているがゆえに、尾木氏にこういわせたというニュアンスを感じるのは、私の偏見かも知れないが、そういう憶測をしてしまう。

 このやりとりもまた、勘違いをいくつか含んでいる。そもそも、市長と教育委員会の見解が異なるというのは、市長が任命した制度ではあまり起きないのだが、今回市長はまだ現教育委員を任命しておらず、前市長任命の教育委員が任期途中で残っているせいで、こうしたことが起きるのだろうが、そもそも、市長と教育委員会の見解が異なること自体は、全然おかしくない。むしろ、なんでも一致しているとしたら、それこそ、教育委員会が主体的にものごとに取り組んでいない可能性すらある。
 学校の設備が古くなったので、新しくすべきであると教育委員会が主張したが、市長は、予算がないからだめだ、といったとする。ここで、予算がないなら仕方ないと、簡単に折れてしまうような教育委員会だったら、たしかに尾木氏がいうようにない方がよいかも知れない。しかし、こんな相違は、教育委員会が主体的に教育現場のために努力していれば、いくらでも起こりうることなのだ。それが起こらないのは、教育委員が首長によって任命される人たちで構成されているからに他ならない。そして、意見の食い違いが起きないだけではなく、教育委員会が主体的に教育現場の問題を解決するように動くことが少ないという事態になっているわけである。

 だから、教育委員会を解体することが正しいわけではない。教育委員会を住民の方を向いて仕事をさせるような仕組みに変えることが必要なのであって、それは教育委員の公選制の復活を抜きには不可能だろう。少なくとも事務局機構としての教育委員会は、必要な事務組織なのであって、問題はその上にあって審議機関として存在している教育委員会であるが、その存在を規定するのは、「誰が委員を選ぶのか」であって、現在は尾木氏のような人物ですら、任命制の教育委員会という制度概念でしかものごとを考えていないということであり、そこにこそ、「教育界」なるものの頽廃があるのかもしれない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
読売新聞、尾木直樹氏のインタビューへの疑問 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる