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zoom RSS 橋下市長の「入試中止」宣言は撤回以外にない

<<   作成日時 : 2013/01/18 21:46   >>

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 橋下市長が、桜宮高校体育科の入試を中止すると強弁していることで、大阪市の教育界は大変困った事態になっているようだ。さすがの文部科学省ですら、そうした方針は問題があるという意思表明をしている。
 大阪の公明党、自民党、民主党の市議団が入試中止撤回を求める要望書を提出したとも報道されている。公明党は、いわば与党に近い。
 ところで、この問題は、受験生がかわいそうだとか、混乱するとか、そういうことだけが問題なのではない。そもそも橋下市長が、体罰によって自殺者が出たことをきっかけとして、多少考えるところがあったのだろうが、基本的に橋下市長が体罰容認論者であることにかわりはない。スポーツの勝利至上主義などが問題で、そうしたことがすっかり清算されなければ新しい体制ができないなどというのは、日頃の橋下市長の主張からすると、何をか況んやである。

 橋下市長自身が、「勝利至上主義者」であることは明らかだ。大阪市の学力が全国学力テストで下位にあることを常に問題にし、もっと上位いかねばならないとはっぱをかけてきたのは、どういうことだったのか。スポーツの勝利至上主義も学力の勝利至上主義も、特別かわりはない。

 私自身はそう思わないが、万が一仮に、市長自身がかわって、勝利至上主義を変えたいと思ったのであればそれはそれでいいことだろう。しかし、それが入試中止によって可能になるとは思えない。入試中止は、単に失望、怨念、諦念を生むだけだ。基本的な態勢の変革なしには、勝利至上主義ではない教育に変えていくことはできないのであって、それは日常的な積み上げによってこそ可能になるだろう。そもそも、自殺者がでて、これだけ世間の批判を浴びているのだから、かなりの反省の気持ちが当事者たちに生じているはずである。こういうときこそ、教育そのものの変革を問題提起して変えていこうとすればいいではないか。それを入試中止して、流れを断ち切ったところで、議論そものものとまってしまうだろう。

 責任をとるべき人は、明確であり、少なくとも、それは今受験を考えている中学生ではない。全く責任を負う必要がないひとたちに、事件の責任をとらせるようなことは、ほとんどの人が納得しないだろう。

 水谷修氏が、橋下市長の対応は「幼稚だ」と批判しているが、その通りだ。そして、それこそ、橋下徹という人物の本質なのではないか。メディアはそのことにもっと気づくべきだろう。

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