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zoom RSS 学校選択論の検討メモ(1)

<<   作成日時 : 2013/11/08 14:00   >>

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 この夏に学校や保育施設での親参加に関する論文を書いた。これまで学校選択制度をオランダを中心に研究してきたが、学校選択と親参加はセットのような関係にありながら、親参加はまったく扱ってこなかったので、これを機会に、双方を総合的に扱うことで、これまでの学校選択研究をまとめていこうという気持ちになっている。そこで、ときどきブログで単発的にテーマの分析をしつつ、全体のまとめへとつなげていきたい。
 今回は、題名の通り、「学校選択は市場メカニズムか」ということを考えてみたい。
 日本で、学校選択制度の導入が議論されたとき、教育分野への市場メカニズムの導入であるという前提で議論されたことは間違いない。それは、日本での議論が、主にアメリカのフリードマンから発する新自由主義的な考えの導入と意識されたからである。フリードマンにとっては、市場メカニズムが至上のメカニズムであり、それを最大限多くの領域に適用することを考え、学校教育においても、ヴァウチャー制度などを導入することが、至上メカニズムの「よい」点を実現することができると考えたわけである。比較的新しい若手の学校選択問題の研究である、橋野昌寛「学校選択制における不確実性の考察」(『教育学研究』772巻1号2005.3 p42)では、「市場メカニズムのパターンは文脈に依存しない普遍化可能なものであるのに対し、その作用に制約を課す制度は地域・時代間で相違のあるものであり、結果的に市場が個別文脈的な制度に埋め込まれることによってその帰結に相違がもたらされるという認識に立つ。」と書いている。いうまでもなく、ここでは、学校選択は市場メカニズムであり、その作用に制約を課す制度(教師や校長の移動、学級規模などに関わる定数等をあげている)が存在しているという枠組みで分析を行なっている。
 日本での導入の際の議論で、学校選択を支持する論者も、反対する論者も、この学校選択=市場メカニズムという前提にたっていた。しかし、その前提は、そのような議論についてのみ当てはまるものであって、そもそも学校選択が市場メカニズムだけの問題でないことは、広く学校選択が行なわれている国、オランダや北欧を見れば明らかである。
 学校選択を市場メカニズムであるという前提は、二重の意味で間違っている。
 第一に、新自由主義的な学校選択とは全く異なる原理での学校選択制度は、実際に存在していたし、また現に存在しているという点を見逃している点である。黒崎氏は、アメリカにおける学校選択論議の中で、フリードマン的な論理とは異なる論理と実践を析出したのであるが、オランダでは、100年も前から、現在のような学校選択制度が実施されており、現在では少しずつ変質しているとはいえ、明らかに、新自由主義的学校選択とは異なっている。(もっとも、オランダ人のTeelken がオランダ・イギリス・スコットランドの学校選択制度を比較して、オランダの制度を市場メカニズムに基づくと呼んでいるが、これは、正確にいえば、Teelken の誤解であるといえる。)どこが異なるのかは、また別の機会に論じたいが、ここでは第二の点として、新自由主義が市場メカニズムを学校教育に導入したいと考えて、学校選択制度を構想したことは明らかであるが、そもそも学校を選択することが、市場メカニズムにあわないことは、自明のことなのである。経済学でも、市場メカニズムがうまく適合しない分野があることを認め、その代表的な例として教育があげられるのが普通である。市場メカニズムとは、供給側と需要側に自由が存在して、需要が多ければ、供給側が生産を増大して供給を増やしたり、供給が少なくて価格が高いとき、需要側が購買を控えるとか、そうした行動の自由が存在していることが、市場メカニズムの基礎的な前提であろう。しかし、学校選択においては、需要が大きくとも、同種の学校を増やすことはできないのであって、通常、籤とか、先着順などの手段によって、定員できらざるをえないのである。また、義務教育である以上、気にいった学校がないから、学校にいかないという選択もできない。教育という分野は、市場メカニズムが機能するには、あまりに制約条件が大きすぎる。もちろん、市場メカニズムが機能することでえられるメリットと、学校選択制度を導入することで得られるメリットに近いものがあることは事実であろう。しかし、それはあくまでも似た側面があるということであって、市場メカニズムが機能したこととはいえない。
 では、もとにもどって、市場メカニズム的原理ではない、学校選択の原理とは何か。それは、「権利論」としての学校選択である。教育を受ける権利があるということは、権利の基本性質から考えて、どのような教育を選択するかの選択権がなければならない。これまで、等質の教育を提供していたのだから、学校の指定は教育を受ける権利を侵害しないという理論がまかり通ってきたが、それは「義務教育」ではあるが、「権利としての教育」ではない。真に「権利としての教育」となるためには、当然選択できなければならないのである。それが「権利」の意味であろう。権利としての選択という論理を無視してきたために、学校選択の議論が、メリットとデメリットの議論、特に反対論者が、学校選択によって、格差が拡大するとか、選ばれなかった学校の子どもがコンプレックスを抱くとか、地域との結びつきが薄れたなどという「弊害論」で反対してきた。しかし、メリットデメリットは選択制にも、非選択性にもあるのであって、双方のメリット・デメリットを比較考察するという議論はあまり行なわれなかったのである。そして、権利論であれば、そうした弊害論とは異なる論議が必要である。一例をあげれば、選挙権は、弊害があるかどうかで、その是非を論議したりしない。選挙活動の弊害があるから、選挙権を認めない方がいいというような議論は、ほとんど存在しないのである。もちろん、選挙権の是非は議論の対象であるが、現実に行なわれている選挙の弊害は、その妥当性を論じる場合に、それほど重要な要素ではない。弊害はどのように是正したらよいかという点で議論される。学校選択も権利としての「教育を受ける権利」を前提とすれば、当然の権利として、まず確立されるのである。

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