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zoom RSS クリスマスの日のふたつの子どもの記事

<<   作成日時 : 2013/12/25 22:47   >>

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 12月25日、クリスマスの日で、世界の多くの地域で祝い事をしている日だろう。この日、MSNのトップページに、ふたつの見出しが、並んでいる。
 ひとつは、「今どこに・・・居所不明児童669人」という記事で、出生後間もなく死亡し、その後10年間まったく消息不明のまま、生活保護などを受け取っており、不正が発覚したが故の児童の捜索を扱った記事で、結局現時点で発見されていないのだが、日本全体でみると、行方不明の児童が、現在669人もいるというものだ。そして、もうひとつが、「日本2部門で1位・・・子供の幸福度調査」という記事だ。先進国での子どもの幸福度調査の記事で、これまで日本は、資料不足のために順位がつかなかったが、今回はじめて順位がつき、6位だったというものだ。もっとも、経済的には、下位であるとされているが。
 先進国で6位の幸福度を誇る日本で、669人もの行方不明児童がいるという記事の並列は、実に現在の日本のおかれている状況を象徴的に表しているような気がする。

 実は大学のゼミの課題を、今年度「幸福」と設定し、現在学生たちがまとめの論文を執筆中である。大学祭での発表もしたのだが、幸福という主観的なことがらについて、たくさんの「客観的な指標」による調査が発表されており、そもそも幸福となにかという、根本的な問題を考えなければならないということで、理論、実際を踏まえた研究をしてきたのだが、問題の難しさを感じた。

 この記事でいえば、669人が行方もわからないというのは、もちろん、極めて例外的な状況に置かれた人数であり、そこに近い境遇にある児童も含めれば、もっともっと多数になるだろう。父親の無理心中で重体となっている小学生のニュースも、つい先日のことだ。しかも、それが子どもが通っている小学校で起きた。

 「幸福な家庭はみな同じようなものだが、不幸な家庭は多様だ」と書いたのは、トルストイだが、では、幸福をめざすときには、みな同じ形態をめざすのか、といえば、決してそうではないだろう。幸福な状況も決して「みな同じ」なわけではないし、また、そういう前提では、幸福になりえない状況を生きているひとたちも少なくない。やはり、基本的には、個別の状況に対する対応・配慮が基本的に必要なことだろう。もちろん、客観的調査で重視される、幸福になりうる条件(経済・教育・安全等々)も大事であるが、それはあくまでも条件に過ぎない。
 そして、この記事のもっとも忘れるべきでないことは、669人は、存在そのものが忘れられているに近いという点である。捜索された児童も、書類上はいることになっているのに、その存在はなく、不正に生活保護を受給しているものだけが、いないことを知っており、そして、それ以外の者は、なんら意識していなかったという点も、大きな問題であろう。

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