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zoom RSS STAP細胞騒動で思うこと

<<   作成日時 : 2014/03/12 07:12   >>

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 STAP細胞問題は、論文撤回に向けて動きが急になってきたようだ。私は文科系の研究者なので、この問題を専門的に理解することはできないが、研究者として感じることはある。
 ネイチャーに発表されて、ノーベル賞確実だ、とか、割烹着のリケジョなどという持ち上げ方をするメディアに、佐村河内問題が加熱していた時期でもあり、違和感を感じた人も多いのではないだろうか。このような言い方は語弊があるかも知れないが、30歳そこそこの若い研究者で、しかも、大学をAO入試で入った(つまり学力のための激しい受験勉強をしていない)人が、自然科学の常識をつくがえすほどの研究をなし遂げたというのが、ありえないことではないが、本当かなあという疑問はあった。メディアの騒ぎ方が、そうした疑問を誘発したという側面もあるだろう。科学分野のなかでの静かな検証が続くのではあれば、もっと冷静でじっくりとした動きに留まった可能性もあるだろう。
 しかし、次々に論文引用、写真使い回し等の疑問がだされるなかで、やはり、強調しておきたいことがある。それは、近年、博士論文を書かせることを、文部科学省なども非常に強力指導して、博士論文を提出する院生がでない大学院に対して、大学院としての存立理由にかかわるような圧力をかけている点である。私自身は、大学院にかかわらなくなっているが、博士課程に関しては、そのような行政指導があると担当者から聞いている。認可が取り消されることまではさすがにしないかも知れないが、そうした圧力があれば、当然、以前であれば認めないレベルの論文でも通してしまうという感情が生じてもおかしくない。
 実際に、私が出た大学院での博士論文の生産量が圧倒的に増えている。院生の実力が飛躍的に高まった結果であるとは、私にはとうてい思われないのである。
 こうした行政指導の結果と断定することはできないが、一部の大学では、体系的なひとつの論文ではなくても、査読をともなった学会誌にいくつかの論文が採用されると、自動的に博士号を取得させる大学も存在している。博士論文は出版義務があるので、教員採用に応募して人が、学位をもっているので、著作は?と業績表をみても、そうした著作がないことがある。疑問をだすと、上記のような事情を説明され、学位論文がまとまった形では存在しない場合があるというわけである。学位審査が安易になっている大学があるといわざるをえない。
 これとは違う事情だが、引用に対する姿勢が、極めて安易な分野が存在していると感じることが多い。私は、専門が教育学だが、社会科学的な制度論・政策論が専門なので、引用については、非常に厳格である。少なくとも自分ではそう思っている。マルクスやウェーバーの論文を読みながら育った世代であれば、引用はページまで含めて、厳格に引用部分を示す必要があると考えている。しかし、最近の論文を読むと、著作だけを示してページを示さない、あるいは、引用部分そのものを厳密には示さないようなものが非常に多い。また、どのように参照したのか不明な、大量の「参考文献」なるものが提示されることも多い。
 今回の問題でも、引用問題が複数生じているが、こうした一般的な論文作成マナーの甘い風潮がもたらしているのではないかと思うのである。今回は、世界的に注目されただけではなく、これまでの理論への根底的な挑戦というような側面もあったので、多くの研究者が精査したたために、ほころびがたくさんでてきたが、精査すれば、破綻するような論文も少なくないと思っている。
 小保方氏についていえば、おそらく意図的に捏造してやろうという意思があったとは思えないが、こうした論文作成上の厳格なマナーを幾分欠いた雰囲気のなかで育ったこと、そして、理論的な厳密な考察という点での力量不足が、今回起きているような論文の欠陥を生んできたのではないかと思う。

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