教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 小学校水泳事故(秩父)は、教育体制の制度疲労が原因

<<   作成日時 : 2014/06/10 22:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 6月10日の産経新聞(ウェブ版)によると、埼玉県秩父市の小学校で、小学校6年生の女子が、プールの授業中、水中で動かなくなり、病院に搬送されたが、意識不明の重体であるという。こうした事故が起きるたびに、私は、現在の学校の教育体制は、既に制度疲労に達していると考えていて、意見も述べているのだが、特に、これから教師になろうとしている学生たちは、そうした見解にたたず、教師がしっかりすれば、こうした事故を防ぐことはできる、自分たちが教師になったときには、しっかりやりたい、というような意識を表明する者が多い。
 もう少しこの事故について整理しておくと、まず今日は、6年生にとって、プールの初日の授業であったという。プールは縦25メートル、横13メートル、深さ0.9〜1.1メートルの、小学校の標準的なプールである。屋外にあり、2クラス58人の子どもを、2人の教師が指導していたという。そして、この女子は、端のレーンで、25メートルを泳ぎ切る練習をしていたが、20メートル進んだところで、水中で動かなくなったのを、別の女子児童が発見し、男性教諭が引き上げて、人工呼吸を施し、病院に搬送したそうだ。
 私は現場の人間ではないので、詳細はわからないが、普段現場の教師たちに聞いている限りでは、こうした授業は普通の状況だと考えられる。体育の授業は、通常クラス単位だから、クラスの人数に対して、1人の教師が指導する。しかし、水泳は危険なので、通常2クラスを一緒にして、2人の教師が指導するようだが、今回の授業でも、同様のやり方がとられていたわけである。
 私が、こうした事故に関連して、制度疲労だと考えるのは、この授業体制は、「普通」の体制であり、そこで普通に行なわれていた授業で事故が起きたのは、この普通の体制にこそ問題があると考えざるをえないからである。特に、教師が不注意だったわけではないだろう。また、人工呼吸などもやっているのだから、指導力が全く欠けた教師だったわけでもないといえる。逆にいえば、こうした普通の授業のなかで、このような重大な事故が、いつでも起こりうることを、この事例は示しているのである。つまり、この「普通」のなかには、絶対に必要な安全対策のための要素が欠けているということなのである。(この授業でやるべきなのにしなかったと、想像できることはいくつかあるが、それはここでは書かないことにする。)
 学校の体育の授業には、生命にかかわる事故が起きる可能性がある内容が、いくつかある。水泳は最たるものだが、柔道やランニング、投擲競技などが代表的なものだろう。こうした競技については、どのような危険があるのか、事前、最中に、どのような体制をとる必要があるのか、子どもたちに、どのような事前指導と、最中の注意をすればいいのか、等について、詳細に知っており、かつ指導に関する訓練をうけている指導者が、授業を行なう必要がある。しかし、日本の体育の授業では、そうしたことは、ほとんど知らない教師が教えているのが実情である。それは決して教師の責任ではない。養成制度と、授業システムの問題なのである。もともと訓練していないことをさせているのだから、十分な指導や配慮が足りないことは、ある意味仕方ない。私が小学生のときには、学校には、ほとんどプールはなかったので、水泳の授業などやっている学校はほとんどなかった。だから、水泳の授業の事故なども滅多になかったのである。今の体育の授業をする教師の養成と授業そのもののシステムは、その頃と本質的には変わっていない。柔道の授業なども、私の時代にはなかった。
 危険なスポーツが、どんどん小学校のなかにもはいっているにもかかわらず、教育のシステムそのものの進展はなく、単に教師の注意にかかるような体制で授業が行なわれているのである。
 では、どうしたらよいのか。
 ヨーロッパのような社会体育的やり方をとりいれる以外にはないと、私は思っている。施設的な問題は、ヨーロッパのようにはできないから、やるべきことは、指導者を専門家に限定することである。水泳の授業は、水泳の授業をするための専門的な訓練を経て、その免状をもった者だけが行なうようにすべきである。そして、専門的な見地から、人数や授業内容・方法を適切に決める必要もある。私の子どもは、オランダで、一年間水泳の授業をうけたが、58人の子どもに対して2人の指導者、などという体制はほとんど考えられない。20人の子どもに対して、3名の指導者が常にいたと記憶する。ヨーロッパは、水泳の授業は、市のプールまで出かけて、そこに勤務する専門の水泳指導員が授業を行なう。しかも、授業内容が、競泳的要素はほとんどなく、危険回避などが中心的な内容だった。日本では体育施設は学校にあるのだから、授業そのものは学校でやることになるだろうが、教える者が、通常の担任だったり、一般的な体育の教師であるような体制を変えることはできる。
 現在の学校関連の法律では、特定の学校に所属しない、巡回教育をする教師の存在を認めている。体育の教師はそうした存在になれば、それぞれの専門分野をもち、指導力を向上させた上で、指導をすることができるので、ずっと安全対策は向上するはずである。
 今のシステムは、危険を内在させているという認識を持たなければ、今回のような事故は、ずっと起き続けると考えざるをえない。行政や現場の教師の発想を変えることが、切実に求められていると思う。
 小学校の体育の授業は、義務としてやらされるのである。それにもかかわらず、自発的な意思で行なわれるスイミング・スクールなどの指導より、ずっと専門的訓練の乏しい人が教えているのである。危険でないと考えることは、とうていできない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
小学校水泳事故(秩父)は、教育体制の制度疲労が原因 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる