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zoom RSS 岡本茂樹『凶悪犯罪者こそ更生します』を読む

<<   作成日時 : 2014/12/02 21:09   >>

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 世間では、厳罰主義が強まっているが、刑事政策では必ずしも厳罰主義一色というわけではない。刑務所の開放的処遇は進展しているようだし、また、受刑者たちに対する改善指導などが政策化されている。もっとも、法ができても、実際の運用が追い付いているかは、別問題であるが。
 そうした中で、岡本茂樹氏の『凶悪犯罪者こそ更生します』という本は、重要な提起をしているように思われた。もっとも、厳罰主義の先端をいっているような雰囲気のある新潮社からでている新潮新書であることは、多少の違和感があるのだが。
 この本の主張はだいたい以下のように要約できる。
1 犯罪者は、通常、「加害者」であるにもかかわらず、多くが「被害者意識」をもっており、犯罪を犯しながらも、被害者のせいで自分がそうした行為をしてしまったと思っている。
2 その被害者意識を放置したまま、あるいは理解しないままに、宗教などのような方法で、反省を迫っても、むしろ逆効果で、却って被害者意識を温存させてしまう。それで反省することは実際にはほとんどない。
3 彼らの被害者意識は、育ってくる過程で、多くが家族の愛情を受けずに育ったために、人との積極的な関係をもつことができないままであり、かつ孤独に苛まれていることが原因である。親からの暴力をうけていることが多く、被害者意識はその延長にある場合が多い。
4 したがって、彼らの被害者意識を受けとめ、生育歴を省みることが必要である。そして、生育歴の中で本当はほしかったものを自覚し、それを表現すること、また、さまざまな場面で自分が苦しかったときに、やはりどういう状況を望んだのかを自覚し、表現することが必要である。
5 そうした表現は、相談者が受けとめたり、あるいは、ロールレタリング(実際には届かないが、手紙を書く。)、ロールプレイなどを実施する。
6 相談者は決して、上から目線をしてはならず、平等な関係を明確にしながら、受刑者たちと接する。
7 そうしたことを実現すると、受刑者たちは真に反省するようになる。
 だいたい以上のように纏めることができるだろう。
 私は刑務所にいる受刑者の更生については、具体的なことはもちろんわからないが、ただ一般的に、犯罪を犯した者が、罰を受けることで反省し、全うな人間になるとは、思えない。捕まって後悔し、こんな損なことは繰り返したくないという感情が生まれ、再犯しないことはあるだろうが、社会に受け入れられ難い状況に置かれてしまうことを考えれば、やはり、更生が実現しなければ、再犯の恐れが高く、厳罰主義が社会を安全にするとは、私は思えないのである。その意味で、この著書の主張には、大いに共感できる。また、こうした観点から、実際に受刑者たちと向き合っていることは、尊敬すべきであろう。
 しかし、ふたつの点で、この著書に対する不満がある。
 第一は、確かに反省は更生への不可欠の一歩であるが、反省によって、社会に復帰したときに十分な資質を獲得したことにはならないのではないかという点である。私は、ベネズエラにおけるエル・システマ運動を注目してきたのだが、この一年、刑務所におけるエル・システマ運動について調べ、論文を書いた。それについて、以後ここで少しずつ書いていこうと思っているが、刑務所でオーケストラに参加することで、かなりの更生が実現し、エル・システマ参加者は再犯率が非常に低いといわれている。それは、オーケストラというかなり大人数の共同作業に参加して、公開演奏を行い、拍手喝采、賞賛を受けることで、「自信」がつく、自分が人々の役にたっているという実感を味わうことができるためである。長年非行少年に向き合った能重真作氏は、非行はブリキの勲章であって、非行から立ち直らせるためには、ブリキではない、本物の勲章を彼らがもてるようにしなければならないと言っているが、それは、反省という消極的なレベルでの理解から一歩でた、積極的な何かを獲得することである。かなりの努力を経て何かを達成して得た自信は、社会に復帰したときに、困難を乗り越えるエネルギーをあたえてくれるが、「反省」だけでは、そうした力にはならないのではないかと思うのである。
 そのことに関連するが、第二の不満は、著者が、本当の反省にいたらせた受刑者たちが、出所後どうなったかについては、全く触れていない点である。だから、反省の結果、きちんと社会復帰できたのか、あるいは再犯してしまったのかについては、全く触れていない。とするならば、その反省も、著者が期待したような発言を著者に対して行ったり、著者が期待したような仮定の手紙を書いたことで、著者が「反省した」と認識したに過ぎないと、受け取れなくもないのである。つまり、宗教家が説教をして、熱心に聖書などを読むようになり、「反省した」と宗教家が認識していることが、著者は「危険だ」と警告するのだが、著者のいう「反省した状況」と、宗教家が認識した「反省状況」とが、本当に異なるのかの説得的データは示されていない。宗教家に対して、宗教家が期待する「反省」を示したと同様に、著者に対して、著者が期待する「反省」を示しただけかも知れない。やはり、その反省が本物であると認定できるのは、社会復帰後の通常の生活を営めているかによって判断されるべきであろう。

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